9話
屋敷の中庭。
朝の空気は澄んでいる。
カイルは剣を振っていた。
鍛錬は禁止されている。
だが、完全に止めるつもりはなかった。
(……まだ足りねぇ)
振る。
止める。
振る。
思考と一緒に、身体も動かす。
その時。
「カイル様」
ティアの声。
振り向く。
「どうした」
「例の兄妹ですが」
少しだけ言葉を選ぶ。
「問題が出ています」
カイルの眉がわずかに動く。
「何があった」
⸻
使用人の詰所。
中に入ると、空気が重かった。
数人の使用人。
その中心に、レオとリナ。
明らかに萎縮している。
「……どういう状況だ」
カイルが言う。
一人の年配の使用人が前に出る。
「カイル様」
軽く頭を下げる。
「その子たちを働かせる件ですが」
「いくつか問題がありまして」
「具体的には、仕事が回っておりません」
落ち着いた口調。
「現在の人数で業務は足りておりますので」
「新たに任せる仕事がほとんどありません」
カイルは黙る。
(……そういうことか)
頭では分かっていた。
だが、現実として出てくると重い。
「それと」
別の使用人が口を開く。
「正直に申し上げますと」
「不安の声も出ております」
「不安?」
「はい」
少しだけ視線を落とす。
「素性の分からない移民を屋敷に入れることに対して、です」
静寂。
レオの肩がわずかに震える。
リナがさらに後ろに下がる。
カイルはそれを見る。
そして。
ゆっくりと使用人たちに視線を向ける。
数秒。
何も言わない。
そして。
深く、頭を下げた。
「……悪かった」
場の空気が一瞬で固まる。
「カイル様……!?」
戸惑いの声。
カイルはそのまま続ける。
「考えが甘かった」
「現場のこと考えずに決めた」
はっきり言う。
「負担かけてるのも」
「不安にさせてるのも」
「全部、俺の責任だ」
静かに言い切る。
場が静まる。
やがて。
年配の使用人が口を開く。
「……顔を上げてください」
カイルはゆっくり顔を上げる。
「我々も理解しております」
「助けたいというお気持ちは」
「ですが、現場としては回す必要があります」
「分かってる」
カイルは頷く。
「だからやり方変える」
レオが息を呑む。
「……どういう、ことですか」
カイルは一歩近づく。
「お前たちを、ただの使用人としては使わない」
その一言で空気が変わる。
「……え?」
「俺の側近にする」
静かに言い切る。
その場にいた全員が固まる。
「側近……?」
レオの声が震える。
「そうだ」
カイルは頷く。
「これから先、俺は領地を背負うことになる」
「その時に、使える人間が必要だ」
一拍。
「お前たちは、その候補にする」
レオは言葉を失う。
理解が追いつかない。
「……俺たちが、ですか」
「ああ」
迷いなく答える。
「だから育てる」
視線をまっすぐ向ける。
「レオ」
「はい……!」
「お前には戦い方を教える」
レオの目が見開かれる。
「剣も、動きも、全部だ」
「……!」
「ただ生きるためじゃない」
「守るための力をつけろ」
言葉が突き刺さる。
レオの拳が震える。
「……はい!」
強く、答える。
次に。
カイルはリナを見る。
リナはびくっと肩を震わせる。
「リナ」
「……っ」
小さく頷く。
「お前には知識を教える」
リナの目がわずかに揺れる。
「文字、計算、読み書き、全部だ」
「……」
「戦うだけじゃ足りない」
「考えられる人間になれ」
静かに言う。
リナは戸惑いながらも。
小さく。
「……うん」
と答えた。
⸻
周囲の使用人たちはざわついている。
当然だった。
ただの移民の子供。
それを側近として育てる。
前例のない話だ。
だが。
「文句あるなら言え」
カイルが振り向く。
静かに言う。
誰も口を開かない。
「これは俺の判断だ」
一歩踏み出す。
「責任も、俺が取る」
それだけで十分だった。
空気が静まる。
⸻
レオはまだ震えている。
信じられないものを見るように。
「……なんで」
ぽつりと漏れる。
「なんで、そこまで」
カイルは少しだけ考える。
そして。
「使えると思ったからだ」
それだけだった。
飾らない。
正直な答え。
レオは一瞬、呆気に取られる。
そして。
少しだけ、笑った。
「……分かりました」
まっすぐ顔を上げる。
「絶対に、役に立ちます」
その目には、覚悟があった。
⸻
リナも小さく前に出る。
まだ怯えはある。
だが。
逃げてはいない。
「……がんばる」
小さな声。
それでも、確かな意思。
カイルは頷く。
「それでいい」
⸻
空気が変わる。
ただの“救われた子供”ではない。
これから“使われる側”になる。
その覚悟が、そこにあった。
⸻
カイルは空を見上げる。
(……これでいい)
分けない。
奪わない。
新しく作る。
その最初の形。
それがこれだった。




