3話
屋敷の門前。
朝の空気は、静かに張り詰めていた。
馬車が一台、準備されている。
荷物はすでに積まれていた。
「……いよいよか」
カイルは腕を組んだまま、呟く。
「ああ」
短い返事。
セイルはいつも通りの顔で立っていた。
英雄養成学園。
王国最高峰の場所。
そこへ向かう日だった。
「忘れ物は?」
「ありません」
それだけの会話。
特別な言葉はない。
だが。
これが“別れ”だということは、分かっていた。
「……行きます」
御者が声をかける。
セイルは馬車に足をかける。
その瞬間。
「負けるなよ」
カイルが言った。
短く。
それだけ。
セイルは一瞬だけ動きを止める。
そして。
鼻で笑った。
「当たり前だろ」
振り返りもせずに言う。
「誰に言ってる」
そのまま馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
馬車が動き出す。
ゆっくりと、屋敷から離れていく。
カイルはその場に立ったまま、見送る。
何も言わない。
ただ、見ている。
やがて。
見えなくなる。
静寂が残る。
「……さて」
小さく呟く。
肩を回す。
「相手、いなくなったな」
これまで当たり前にいた存在が消えた。
毎日のように剣を交えていた相手。
それがいない。
つまり。
「……模擬戦の相手がいない」
少しだけ考える。
すぐに答えは出た。
「……外だな」
人じゃないなら、他を使えばいい。
単純な話だった。
⸻
屋敷の中庭。
カイルは剣を振りながら考える。
(魔物)
森にいる。
人より強い個体もいる。
実戦になる。
(ちょうどいい)
むしろ好都合だった。
そのまま、屋敷の奥へ向かう。
目的は一つ。
⸻
執務室。
「……魔物と戦いたい」
低い声。
父――グラディウスが机の向こうで言う。
「はい」
カイルは背筋を伸ばして答える。
「模擬戦の相手がいなくなりました」
「ですので、実戦で経験を積みたいと考えています」
理屈は通っている。
少なくとも、カイルの中では。
だが。
「却下だ」
即答だった。
「……理由をお聞きしてもよろしいですか」
「死ぬからだ」
迷いのない言葉。
「お前はまだ、一人で魔物と戦える段階にない」
「ですが」
カイルは一歩踏み出す。
「セイル兄上とも戦えていました」
「ある程度は通用するかと」
「人と魔物は違う」
グラディウスは淡々と言う。
「数も、動きも、執念も違う」
「だからこそ、です」
カイルは視線を逸らさない。
「今のうちに慣れておく必要があります」
沈黙。
しばらくの間、視線がぶつかる。
そして。
「……許可しない」
結論は変わらない。
「お前はまだ“死なない戦い方”を知らん」
カイルは歯を食いしばる。
「……承知しました」
一度、頭を下げる。
だが。
顔を上げると、その目は変わっていなかった。
「ですが」
一瞬、間を置く。
「それでも、行くつもりです」
静かに言い切る。
グラディウスの目が細くなる。
「許可はしない」
「自己責任で行動しろ」
それだけだった。
それ以上は言わない。
止めない。
だが。
守らない。
その意味は、理解できた。
⸻
夜。
屋敷は静まり返っている。
カイルは自室で剣を握る。
(行く)
迷いはない。
止められても、関係ない。
(見て、読めば勝てる)
そう信じている。
それだけで十分だった。
静かに部屋を出る。
音を立てないように。
廊下を進む。
屋敷の外へ。
夜の空気が冷たい。
だが。
足は止まらない。
そのまま、森の方へ歩き出す。
振り返らない。
躊躇もない。
⸻
この時、カイルはまだ知らない。
一人で戦うことの、本当の意味を。




