閑話 ユリカのトレーニングデビュー 前編
「本読むなのは、怒れるソフィア、怯える由梨香」後半部分からの、ユリカ目線のお話です。
湊太から大牙さんの連絡先を共有されたのは、高校入学式の日の放課後、学校最寄り駅直結のショッピングモールのフードコートにいた時だった。
ストーカー問題が急浮上した時で、少なからずテンパっていたのもある。その場で『今度護身術みたいなの教えてもらえませんか』と状況ノリで打ったのは間違いないのだが、実際そんな暇はないだろうし、教えてもらえる話になるとは思っていなかった。
湊太とは、小中通して今まで学校が同じだったことがない。
シュートとは小学校は一緒だったが、クラスが一緒だったことがない。
つまり、二人は知らないのだ。私の腕力がゴミクズレベルだということを。
足は速い方ではないけど、徒競走は大体3位とか4位、言ってしまえば真ん中の「普通」で、足の遅い子が多いグループになった時でも2位が最高位だ。
それに引き換え腕の力が極端に弱い。握力とハンドボール投げは、スポーツテストでいつも致命的な数値を叩き出すのだ。
そんな私が、今から初めて護身術というものを習う。
湊太と一緒に部屋を出て、3階行きの動く階段に乗った。すると湊太がすぐに
「ソフィア、何であんなに怒ってたの」
と聞いてきた。
ソフィアには、湊太と『付き合っているフリ』をしている事情を話したが、私が恋愛というモノを必要としていない事を話しても理解して貰えなかっただけなのだ。
「うーん…私が変なんだろうけど、価値観が徹底的に違ったわ。客観的に考えたら、私がメチャクチャわがままでおかしいのも、分かるんだけどね」
頭は腕力問題でいっぱいだったので、いささか尻切れトンボなコレジャナイ回答をしてしまったが、今はそれどころではない。
ザコ腕力を知られてしまうのが悔しいのか、それともウケ狙い的にはおいしいのか分からない。
出来ない子キャラみたいになるのだけはごめんだが、本当にできないものはどうしようもない。自分から「護身術教えて」と言ったくせに、恐ろしく簡単な事すら出来なかったらどうしよう、と今更ながら不安になってきた。
考えすぎると足元がおぼつかなくなる。動く階段のバランスをとる余裕がなくなって、とりあえずいつものように湊太に掴まらせてもらいながら、どう打ち明けるべきか考えた。
あと、大牙さんには言えないけど、実は私はお兄さんの東雲氷牙の大ファンなのだ。
弟とは違って氷牙の身長は172cm(ネット情報)とかなり標準的な身長だが、アメリカンプロレスでは間違いなく小柄な方だ。しかし、大柄なレスラー相手にロープの上や間、敵の体さえも利用して自在に動き回り、くるくる回りながらいつの間にか相手をマットに叩きつけている姿は、もはや芸術と言っても過言ではない。
ああなりたい、と憧れていた時期もあったが、中学の頃弟と一緒に公園に行き、雲梯で一つも前に進めなかった時に全て諦めた。小学生の頃は出来ていたのに、いつの間にかぶら下がる事しかできない腕力になっていたのだ。
3階に着いたとき、視界の端にものすごい勢いで迫ってくる女性が飛び込んできて、急に思考を打ち切られた。
「え、何?何?」
こんなぱっつんボブのエルフ女性は記憶にない。会ったことがない人のはずだ。
「シモーネ、落ち着け!」
後ろから追いかけてきた男性の声で、湊太の肩をがっしり掴んだこの女性がレビの祖母であることが分かった。
「ソータね!?」
「は、はいっ。あ、初めまして…おはようございます」
興奮気味のシモーネに湊太が挨拶したので、私も
「はじめまして、白石由梨香です」
と頭を下げた。
その後紳士的な旦那さん、ランディ氏にも挨拶をしたが
「ソータ、今度お茶でもどうかしら。そちらのガールフレンドも一緒に…うふふ」
とシモーネが謎のお誘いを口にしたので、一瞬にして周囲の空気が凍ってしまった。
裏がありそうで怖い、とびくびくしていたら、エルフ夫婦の後ろからいきなり大男があらわれた。
「シモーネおばさん、ソータたちが怯えてる。きっと彼らはボクに用だよ」
「ジョルジュさん!」
湊太は知っている人だったようで、助かったと言わんばかりの声をあげた。
今まで会ったエルフはみな細く、ランディが僅かに『恰幅がいい』になりかけくらいだ。
身長も、レビがシュートよりわずかに高いかな、程度で「大きい」と感じた人はいなかったのだが、湊太がジョルジュと呼んだこのエルフは、身長もだが横幅が大きい。筋肉のつき方がおかしいのだ。
しかし彼は見た目とは違ったのんびりした口調で、シモーネたちを上手く追い払ってくれた。人懐っこく柔らかな喋り方は、どこかパティシエのトルテを思い出すような空気感だ。それでもやはり、はじけとびそうなシャツに浮き出る筋肉に目が行く。
何をどうしてこうなった、こんなのもう世紀末覇者じゃん、と私の頭の中では誰にも聞こえないツッコミを色々叫び続けていた。
「そちらのお嬢さん。人間の一生は短いわよ。あなたが曖昧な考えのままならば、私も巫女の作戦に全力で加担しますからね」
去り際に、シモーネは完全に脅しと思われる捨て台詞を吐き捨てて行った。
脳内が完全に筋肉に支配されていた私は、シモーネの言葉の意味を即座に理解する余裕がなく、固まってしまった。
曖昧な考え?
ゴミクズ腕力で、考えなく護身術習いたいと言った事を反省すべきか、と一瞬考えた後、巫女の作戦という言葉で湊太の事を言っているのだとようやく気付いた。
―――めっちゃ私に怒ってない?この人!
湊太に呼ばれた気がして、慌てて意識を現実に戻した。
その途端、急に恐怖が押し寄せて来て、思わず自分の両腕を抱きしめた。
「こ、怖かった!レビと全然ちがう!…助けていただいて、ありがとうございました」
そしてマッチョエルフにも礼を言った。
湊太の話だと、ジョルジュさんは軍の偉い人で、私たちに防刃グッズ一式をくれた人らしい。
そちらに関してもお礼を言った後で、またあのシモーネの氷のようなまなざしが脳裏によみがえってきた。
「…シモーネさん、なんでさっきの東屋での話知ってたんだろう」
「スパイだよ…ひょっとしてジゼルさん…さっきのメイドさんか…?」
湊太は何か心当たりがあったらしい。あの可愛らしいおばあちゃんメイドの事を、スパイだと言い始めた。何を馬鹿な、と言いかけて、東屋の去り際の彼女の言動が急に思い出された。あの場にはいなかったのに、巫女姫の発言を全て聞いていた風だった。
「ああ、ジゼルは今はメイド長だけど、昔はシモーネおばさんの子飼いのスパイだったねぇ。並のエルフより耳がいい、特殊な人だよ。…だいぶ衰えたとは言うけど、まだまだ現役だね」
ジョルジュさんは、ふわふわとした雰囲気のまま情報をくれた。そして朝食に行くと言って階段を下りて行った。何とも優しくていい筋肉さんだった。
3階のゲート部屋のゲートたちはまだ私たちでは起動できないはずだったが、ジョルジュさんのお陰で軍行きのゲートのみ操作の許可が出ているらしい。
湊太の案内で、初めて軍行きのゲートを通った。
病院のゲートの場合、部屋は無人で外に警備員が立っていたが、軍の場合はゲートの目の前に直接守衛のような人が立っていた。湊太はこの人とも顔見知りだったらしく、私が移動したとき、既にヒョウ柄制服の守衛さんと話していた。
「ああ!この方が例のお嬢さんですな!身を守れるよう、しっかり鍛えて行ってください」
既に私の事も共有されていたようで、守衛さんは笑顔で私を応援してくれた。
次に湊太は守衛さんと、今日担当のトレーナーだろうか、そんな人たちの話をしていた。二人の会話に、ヴィオラ…恐らく、さっきジョルジュさんが「面白い」と言っていたヴィオレッタという人の事だろう、そしてもう一人ケイヨという名前が出て来た。
「真面目で教え方も上手いし、良いヤツです。やや獣人交じりの、ほぼ人間かエルフに近い部類の人種で、一部の女性にはとても人気です。彼と組むと…厄介なのはヴィオラの方で」
「あー…」
全然会ったことのない人たちだが、何となくヴィオラという女性がこじらせてる恋愛話かな、と思って勝手に納得してしまった。そして女性に人気の獣人系軍人、ケイヨさんが気になりすぎる。
「まあこの時間は出勤前に鍛えていくガチの男性が多いので、二人共ヴィオラが見る事になると思いますが、彼女さんはケイヨに近づかん方が賢明ですな」
守衛さんのその言葉で、私の中ではヴィオラさんこじらせ説が確定してしまった。
「気を付けます」
ほどほどの距離で見ているのは面白そうだが、関わると面倒臭そうだ。
「…あ、今日はタイガ先生も来てますよ」
初めての場所で不安だったのだが、守衛さんの一言でとても肩の力が抜けた。湊太だけでは頼りないとか別にそういう意味ではないのだけど、やはり大牙さんがいると思うと安心感が違う。
そして何か柔道だったか格闘技だったかを教えてるとは言ってた気がするけど、ここで大牙さんが先生呼ばわりなのがちょっと面白い。
お礼を言って、ゲートに囲まれた部屋を後にした。
長い廊下を抜けて到着したトレーニングルームは、体育館並みの広さのある部屋だった。
入り口そばに、高齢女性たちを相手にヨガのような運動を教えているヒョウ柄パンツの若い女性がいた。この人がヴィオラさんかと思って一瞬警戒したが、歩きながら廊下で湊太が説明してくれた褐色の肌、赤髪という風貌とは違う。黒めな茶髪の、色白女性だ。
「ああ、タイガ先生のお連れさん。ヴィオラは朝休憩中だからちょっと待って…一番奥にタイガ先生がいるから」
その女性が部屋の奥を指差したので、お礼を言って部屋の真ん中を突っ切った。
歩き始めてすぐ、湊太がまっすぐ前を見たままで
「あの人だ」
と呟いた。
突き当りの壁際、大牙さんと二人並んで座っている、異次元のオーラを放つ半獣人の姿が目に入った。
「何あの二人。あそこだけ別世界だね。色気がすごいわ」
ライオンを擬人化したらこうなるな、という風貌だ。しかも腕のいい絵師さんが随分美麗に擬人化したレベルだ。
「すっごい、ライオンっぽい」
と口にしながら、これは間違いなくなのは案件だとも思っていた。
「ユリカも来たね。今のうちに紹介しとくよ、ここの指導員の一人のケイヨ。カッコいーだろ」
壁際までたどり着くと、大牙さんが隣のライオンのような軍人を紹介してくれた。大牙さんも随分なイケメンだと思うが、そんな彼からしてもケイヨさんはカッコいいと言わしめてしまう魅力があるのだろう。
彼らの横にもう一人、普通の人間のお兄さんがいたが、私たちを見るとさっさと帰って行ってしまった。私たちが話の邪魔してしまったようで、何だか申し訳ない。
「すいません、お話の邪魔しちゃって」
湊太が謝った。こういう時にさっと謝れるのは湊太の良いところだと思う。
「ユリカ、ジムの向こう側が女性更衣室だから今のうちに着替えて来て。レンタルの服はグノメさんに聞けばわかるから」
「はい」
大牙さんに言われて、入り口側の部屋に向かってUターンした。
何となく周囲からの視線を感じながら男性が圧倒的に多いマットの間を抜け、女性更衣室と書かれた部屋に辿り着いた。
更衣室に入ると中はかなり広く、ロッカーやシャワー室と、真ん中には円形のソファがあった。無人だったので、気を緩めつつグノメさんに時計を表示してもらう。
地球では16時を回ったところだが、こちらではまだ7時前だ。大牙の言う通り、地球基準で考えると今は出勤前の時間だ。そんな時間に運動したい男性がこんなに大勢いるなんてびっくりだ。
扉のすぐ両側に棚があり、貸し出し用のトレーニングウェアがサイズ別で並んでいた。
「柔道の…道着もあるんだ」
『ユリカはサイズ5ですね。上は4.5か4でも良いかもしれません』
「なんだと、下半身デブって事か?それとも貧乳って言いたいのか」
同級生に言われたようなノリで、反射的にグノメに言い返してしまった。
『…そう捉えて貰っても構いませんが、身長で割り出すと5なのです。ただ筋肉量の問題で上半身はワンサイズ落しても良いと判断しただけです』
冷静に言われてちょっと悲しくなったが、素直に従うことにした。ただ言っておくが、私は決して貧乳ではない。…ちゃんと測ったことないけど。
まずはグノメの指示通り、5の棚に行ってみた。
「長いのと短いパンツあるなあ。長い方でいいかな」
『長い方で良いと思います。膝は守れた方がいいので』
何色か置いてあったので、緑の長ズボンを手に取った。
「上は…道着はいらないよね?」
『道着は不要です。今日は半袖のシャツをお勧めします。思った以上に腕の筋肉量に問題がありそうですので、実際に見て貰う必要があります』
試着用、と書いてあった5サイズをまず着てみたが、かなり大きい気がする。諦めて4.5を試着した。もうワンサイズ落しても行けそうな気がしたが、程よいダボつき感ということにして4.5にした。
『ロッカーは私が施錠しますので、空いているところをお使いください』
なるほど、こういう小さな事もコンシェルジュAIが担うのだな、と感心しつつ着替え終えた。
更衣室を出ると、トレーニングルームは一気に人が減っていた。皆出勤のためにトレーニングを切り上げたのだろうか。
広く空いたマットの上では、大牙さんとケイヨさんはどちらもお客さんの相手をしている。二人共体が大きいので、近づいていくとかなりの迫力だった。ふと見ると、窓には外から張り付いて二人を見ている子供と、その上からは大人も一緒に覗き込んでいた。
「柔道…人気なのかな。覗き見とかも普通なの?」
『今、柔術は流行り始めたところです。ここ半年で、分かり易く言うとバズった競技です。軍は興味がある人を引き込みたいので、覗きは歓迎です』
窓の向こう、覗いている人たちの頭上に世界樹が見えた。
「そうなんだ…」
壁際で湊太が柔軟運動をしているのが見えたので、そちらに向かった。
「とりあえず柔軟する?」
隣のスペースを湊太が指差したので、ぺたりとそこへ座ってみた。
「ん-と、柔軟って何すればいい?」
柔軟と言うと、足を開いて体を前に倒すとか、それぐらいしか思いつかない。準備運動と言われたら、ラジオ体操なら出来るのに。
「まじか、そこからか!」
半ば呆れられながらも、湊太がいくつか簡単な柔軟運動を教えてくれたので、一緒にやってみた。なぜか首とか肩とかがパキパキ鳴る。
柔軟が終わるころ、大牙さんが戻ってきた。なんだか、ものすごく悲しそうな顔をしているように見える。
「…ユリカって、何か運動してる?」
ああ、私見て悲しくなったのね!?と悟った。
「えーっと、何も?」
「そっか…ちょっと、力こぶって作れる?」
一目で腕力の貧弱さに気付かれたようだ。
「あはは、出た試しがないんです、これがまた」
笑うしかない。小さい頃は何度もやっていたが、実際やるのは久々だ。昔は少しは出ていたが、決してカッチカチにはならなかった。しかし、今回は筋肉が動いた気配が微塵も感じられない。
「…俺が触ったら怒られる。湊太、ちょっと腕触ってみて」
大牙さんが湊太に指示したが、別に二の腕くらいよっぽど嫌いな人でない限り触っても怒らないのに、と思う。
湊太は何か一瞬イヤそうな顔をしたが、私の二の腕を抑えた後、何とも言えない微妙な表情をした。
「…むにむにですね。…あいたっ」
さすがにむにむには何だか腹が立つ。反射的に湊太の頭を叩いてしまった。




