ユリカの事情
バスを降りた由梨香は、大通りから少し入った通りを自宅へ向けて歩いていた。
今日の事を思い返し、ぎゅっとリュックの肩ひもを握る。
―――イヤな女だな…。
打算まみれの自分の性格に嫌気がさす。
湊太があの女と付き合っていた頃…まあ、本人の言葉を信じるなら付き合ってはいないのだが…あの何日間か、湊太がゲームにログインして来なかった時の何とも言えない喪失感を思い出した。
あの、片腕がもがれたようなイヤな感覚。
それは、たとえ秀人だったとしても同じことだ。何人かとチームを組んでみて、一番しっくりくるメンバーが、湊太と秀人だったのだ。由梨香にとっては、どちらが欠けても同じように嫌なのだ。
あんな思いをするのは、2度とごめんだ。自分が彼女のフリをすることで、他に取られないなら、それでいい。
友人として、彼女が出来てそちらと遊ぶ方が幸せなら、ただの遊び友達の自分としては笑顔で送り出してやるべきだな、と当時は思ってはいたのだ。だけど、実際来なくなると寂しくて辛くて仕方がなかったのだ。
そして先日、なのはから話を聞いて、『コンタクトちゃん』は友人として近づけてはいけない人間だと思っていた。
今日実際に目の当たりにしてみると、実際の彼女は聞いていたよりヤバい案件だった。
性格的なことを言うなら、秀人の方が自分とタイプが似ている、と由梨香は思っている。
趣味全振り、恋愛などどうでもいい、と言うところはかなり近い。ただ由梨香の場合はその趣味のうち7~8割がゲームが占めていて、秀人は恐らくゲームは4割くらいだ。なにせ、秀人は多趣味と言うか興味の幅が広いのだ。まあ、趣味の内容はかなり偏ってはいるのだけれど。
言い方は悪いが、趣味に時間を使いたい人間からすると、恋愛だの恋人だのに時間を割くのは無駄なのだ。悩む時間も正直もったいない。
何にしても男女3人のチームなんて、普通に考えたらどこか恋愛感情があるんでしょ、みたいに言われることは今までも多々あったが、由梨香と秀人に関しては完全に『ない』と言い切れた。色んな人から同じことを質問されるたびに「恋愛脳乙」くらいにしか思わなかった。
ただ湊太だけは、完全に『ないフリ』をしていた。でも、それで今まで「丁度良かった」のだ。
でも、そんな3人の関係に一石を投じたのは秀人だったのだ。
「ユリカと湊太が結婚したら、俺が遊びに行って、今まで通りずっとゲームしようぜ」
あの時は、冗談めかして
「それも良いかもねー」
なんて返した記憶がある。
―――あれ?あの時、湊太は何て言ってたっけ。思い出せないや。そもそも、何であんな話になったんだっけ…
ぐるぐる記憶を辿っているうちに、自宅マンションの前に立っていた。
「ただいまー」
表で部屋番号を入力して、チャイムを鳴らす。自動ドアが開くとまっすぐ建物の中に入り、エレベーターに乗った。自宅のある8階で降りて進んでいると、自分の家の扉が、随分早いうちにガチャリと開け放たれた。
「おかえりぃ」
ドアを開けてくれたのは、父親の正樹だった。
「ただいま。宇杏どう?」
「うん、さっき熱は下がってたよ。インフルもコロナも陰性だったし。明日は学校行ける…かな?ってとこだ」
昨夜から弟の宇杏が熱を出していたため、今日は父が仕事を休んでいた。母は由梨香の入学式に行く予定だったので、看病を申し出てくれたのだ。
「そ、良かった。お母さんは?仕事?」
リュックをリビングの床に放り投げると、由梨香はすぐに窓際のパソコンの前に座った。
横のテレビではワイドショーをやっていて、人気タレントの結婚を報じていた。
「うん、お昼食べてすぐ出て行ったよ。…こら、カバンは自分の部屋!パソコン触る前に着替えなさい」
「はぁい…」
面倒くさそうに由梨香は椅子から立ち上がり、リュックを掴むと自分の部屋へ運んで行った。
部屋着のワンピースを頭からかぶりリビングに戻ると、テレビでは人気タレント結婚の話題が続いていた。どの番組で共演していたとか、最初の出会いはどの番組で、などといった話だ。
「ねえ、お父さん。なんでお母さんと結婚したの?」
「…何だよ、唐突だな。前も言ったろ、お母さんは会社の受付で…」
「そこは何度も聞いたよ、綺麗で、目立ってて、皆の憧れだったって。そこじゃなくて。なんでお父さんみたいな地味な人がそんなお母さん捕まえられたの」
「地味って…」
正樹が、娘の言葉でしょんぼりと落ち込んだ。
「なんか弱みでも握った?」
「ひどいこと言うなあ、実の父に向かって!…いや?あんまり外れてないかも」
「お?そこんとこ詳しく!」
「えー…?」
少し照れつつも、父は昔話をしてくれた。
ある週末の事。正樹は会社帰りに、普段あんまり行かない方面のお店に会社の人たちと飲みに行ったそうだ。
みんなと別れて駅に向かって歩いている途中、ネオンに惹かれてふらっとゲームセンターに立ち寄った。そこで見覚えのある女性が、真っ黒なパンツスーツといういでたちで
「一人で、ゾンビばんばん撃ってたの」
「oh…」
「もう、どこのスパイかエージェントかって。いや、アサシン?」
「だはははは」
ランキング1位のスコアを出し、アルファベット3文字の名前を一生懸命入力している時に、声を掛けた。
「スコア勝負しませんかって。でも、お父さんの顔見て、お母さんは逃げようとしたんだよね」
「まあ、わかる」
「なんでだよ」
酔った勢いも手伝って「勝負して、僕が勝ったら付き合ってください」と言った。
「え、勝ったの?」
「いや、ダブルスコア?トリプル手前の大負け」
「全然ダメじゃん…」
翌週、金曜日にまたそのゲームセンターに行ってみた。
同じ職場の受付嬢仲間と飲んだ後らしく、見覚えのある何人かがプリクラを撮ったり、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取ったりしていた。キラキラOLのアフター5、といった光景だった。
そのうちお開きとなり、彼女は一人そのゲーセンに残ると、また「ゾンビハンター」と化した。
「え、それずっと見てたの?キモッ!怖っ!」
「いやー、確かに今考えると怖いよな…」
向こうは酔っ払い、こっちは素面。今度こそ勝てると思い、また勝負を挑んだ。
「…負けたんでしょ」
「その通り!」
「えー!?じゃあ、なんで結婚できたんだよー!」
「しつこさの勝利かな?」
負けたので何か奢らせてください、と人気のカフェに誘って、流行りのスイーツを注文した。そうやって奢るふりをしつつ、デートに漕ぎつけたのだ。
「その時、丁度新作のRPGが出る直前でね。買ったら土日は寝ずにやるって言ってたんだよ」
「…今もそうじゃん」
「そう、だから…」
『新作のRPGが出たら、好きなだけやっていいです。その間の家事は全部僕がやりますから』
そう言って、結婚を前提の交際を申し込んだのだ。
「…………………掘ったな、盛大に墓穴!」
「でも、お父さんはちゃんと今も約束守ってるよ?偉いだろう」
確かに、ビッグネームのシリーズ物のRPGが出るたび、寝食を忘れてゲームにふける母親だ。そしていつもその間は、ニコニコと父親が家事をこなしているのだ。
「いや…そんな契約だったとはつゆ知らず…まじか、うちの親まじかー!!!」
母に良いように利用されているようにも見える父は、とても幸せそうに笑う。
「普段と、あのゲームしてる時のギャップが良いんだよ…いやー、恥ずかしいな、こんな話」
嬉しそうに笑う正樹を見て、由梨香は何とも言えない複雑な気持ちになった。
「お父さん、喉乾いた」
宇杏が部屋からパジャマ姿で、ぺたぺたと自分の部屋から出て来た。
「そうか、何が飲みたい?…由梨香、念のため部屋に行ってなさい」
「はぁい」
立ち上がって、自分の部屋に向かおうとしたその時、情報番組を流していたテレビの隅に『録画を開始します』の表示が出た。
―――ああ、またラグくなるな。
そうだ、あの時も何か録画が始まって、ゲームがラグくなって。
「なんでユリカんち、いつもそんなにネット重いんだよ」
聞いたのはどっちだったかな。
「今、両親が友達とスマブラ対決してるから。さっき何か録画も始まったし」
「へえー、親が友達とゲームすんの?大人なのに?」
ああ、これはシュートが言ったセリフだ。
「いいな、それ。お前ら二人結婚しろよ。そしたら俺、遊びに行くからさ。そしたら大人になっても同じようにずっとゲームできるじゃん」
何を言い出したんだ?って思ったけど。オンラインで顔が見えないからさらっと冗談みたいに流したんだ。
「あー、それも良いかもねー」
って。
「なんで俺だよ、シュートでもいいじゃん」
湊太はちょっと焦った声で言ってたな。
「俺は無理。女の人と一緒に生活って、考えただけで恐怖でしかない。その上相手ユリカとか罰ゲームだろ」
「なんだとコラ」
…あれ?思い出したらちょっと腹立ってきたぞ。
由梨香はベッドに倒れ込んで、天井を見上げた。
―――ハルカさんが言ってた、呪いってこういうのだろうな。
どこかずっと心の端っこに引っかかってる。
シュートはずっとこれを「野望」として秘めてて、湊太もあの時「黙れ」ってシュートの言葉を止めた。みんな、覚えてるんだ。
そしてなぜか、弟が生まれて半年ほどの頃の事を思い出した。
それまで、白石家は毎月1回必ず「ちょっといい外食」に行っていたのだ。
会社が倒産した、と両親が慌てていた。その当時の由梨香は倒産の意味も分からず、ただ毎月行っていた外食がなくなったことに不満を覚えていた、物を知らない普通の子供だった。
その時の父の落ち込みはひどく、青い顔をしてこのマンションも売らなきゃ、みたいな話をしていた。
連日この世の終わりのような顔をしていた父を見て、さすがに保育園児の由梨香でも我が家の非常事態だと悟った。でも、そんな父の横で、母は元気に笑って見せたのだ。
「ま、お母さんが何とかするから、心配しないの」
あの時すぐに、母は仕事と宇杏の保育園を決めて来た。その時から、母はずっと今のスーパーで働いている。
半年ほどで父の仕事が決まってからは時短のパートになったけれど、あの当時はフルタイムで働いていたと記憶している。
2馬力だったうちの収入は一瞬失業保険頼みになり、その後母のパートでプラス0.6馬力くらいだったろうか。
今の母は「年収の壁」とやらと戦って仕事を押さえているので、あの頃に比べると我が家はトータル1.4馬力くらいだと思う。
「小さい頃、外食よく行ってたよね?」
小学生の3年くらの時だったろうか。思い出したように母に聞いたことがある。
「あー、あの頃は収入に余裕があったからね」
と母は少し申し訳なさそうに笑っていた。
「会社が倒産したから?」
「…よく覚えてるなぁ、小さかったのに。そうだね、あの時は大変だったよね」
そして母は少し遠くを見るような目をした。
「あの頃の事、お父さんほとんど覚えてないんだって」
「男って弱い生き物だねぇ」
私は、自分で働いて自分で稼ぐ。
そう決めたのは、多分あの時だ。男に頼る生き方は、何かあった時にとても怖い。でも。
左腕の感覚を思い出す。湊太に掴まっていた時のあの感触は、嫌じゃなかった。
「わがまま言っていい、か…」
秀人は、どこまで理解してあのセリフを言ったのだろう。自分に嘘をついてる、みたいな言い方をされてしまったが、どれの事を指しているのだろう。
湊太はいいヤツだ。これは、本当にそう思う。友人としては大好きだ。でも、同列になのはや秀人もいる、本当に友人としての好き、なのだ。現時点でそれ以上に見ることは出来ない。
確かに、理解ある友人のフリをしようとしたことは認める。湊太に好きな人が出来たら、ちょっともやっとはするだろうが、幸せになって欲しいとは思う。そこに一つ望みを言えるのならば、せめてその彼女が私達3人でゲームする事に文句を言わない人であってくれと願う。
その気もないのに、遊び仲間を失いたくないというだけで。
他の男子が鬱陶しいからといって。
嘘は言いたくない。でも、こんな本音は言えない。相手の気持ちも聞かないことで自分の罪を軽くしたつもりになっている、自分はただの卑怯者だ。
寝っ転がったまま、由梨香はパンっと顔を両手で叩いた。
「うん、シュートがわがまま言って良いって言ったんだもんね!」
和美先輩は、お互いの気持ちなどどうでもいい、身を守るために付き合っているフリをすればいいと言い、私はその案に乗った。周りが勝手に勘違いしているならそれでいい。しばらくその状況を利用させてもらう。
―――最初のコンセプトと何もズレてない。うん、よし、私は何も悪くない。全てOK!
頭を切り替えて、明日のテストに備える事にする。起き上がって机に向かおうとしたところで、カバンの中でスマホがぶんぶん音を立て始めた。なのはからの着信だった。
「…はーい。どした?」
『ユリカ!ユリカママから何か聞いた?』
「ん-、帰ったらもう仕事行っていなかったから、会ってもないけど?」
『さっきうちのママから聞いたんだけどさ。入学式の時にね…』
秀人の母が、湊太の母に放った失礼な言葉を聞かされ、由梨香は愕然とした。
「…まじか」
『ねえ、どうしたらいい?シュート知らないよね、親がそんな事言ってるとか』
「知るわけないよ。あー…時々シュート、親の事愚痴ってたんだよ。聞いてたよりヤバいな…なんかそれちょっと病んでんじゃないの?」
由梨香の中で「秀人の母」は物静かなイメージの、どちらかと言うと暗い感じのする人ではあったのだが。
『電話より会って話した方がいいよね、こういうのって。変に伝わるのイヤだし』
「そだね…ゴメン、頼める?私まだ親から何も聞いてないし」
『うん、呼び出して話する!』
「今日シュート5時から塾だ。それまでに」
『分かった、すぐ連絡してみる!…あー、あとさっき美奈とも話したんだけどさ』
「フッ軽すぎ!動き早いな!?」
『これはまた後で。先にシュートだな!』
「おう、よろしくー」
勉強しようとしていたところで出鼻を挫かれ、スマホを持ったまままたベッドに転がった。
推しとゲーム関係の情報を軽く一周して、「涼サマ」の配信動画を1つだけ見て起き上がった。
―――なのはから報告が来るまで、テス勉じゃあー!
春休みの課題を引っ張り出し、机に向かった。
この時点で由梨香は、湊太に連絡すると言った事などすっかり忘れていたのだった。
秀人に分かる女心なんて、あるわけないんですよw




