右側、真ん中のゲート
ストーカー問題を真剣に相談している途中だったのだが、急に大牙のグノメが
『パトリシアから通信が入っています』
と空気も読まずに告げてきた。
「なんだろ?繋いで。あ、トリッシュ、久しぶり」
大牙は、パトリシアの事をトリッシュと呼んだ。愛称なのだろうか。
『タイガー!やっと来た、新作のパンの試食をお願い!』
「いいけど、今湊太の部屋でちょっと真面目な話してるんだよ」
『分かった、じゃあお茶も一緒に持っていくから!クレアのクッキーもセットで!』
勢いの良い通話が終わると、大牙は苦笑しつつ
「何が分かったんだか」
とため息をつくと、また湊太の方に向き直った。
「ちなみに…その、美雨さん狙ってたストーカーってどうなりました?どうやって解決したんです?」
湊太が訊いた途端、大牙が少し寂しそうな目をした。
「…解決…なのかな、あれは。彼女が、自分がそこから消えることを選んで、この件は幕引きだ」
「え?き、消え…」
ホントに聞いちゃいけないことを聞いてしまったのか。恐ろしい想像をして、湊太の顔色が変わった。
「あ?ああ、ゴメン、違う、そういうんじゃないよ。ちょっと色々あって彼女は高校生の時から一人暮らしだったから、別居中の父親を頼ってアメリカに逃げたんだ。九州に祖父母がいたから、そっちに移ることも考えたんだけどね。…ちょっと相手が粘着過ぎて、国内だと追いかけて来ないとも限らなかったから」
「アメリカ?…そこまでしなきゃいけなかったんですか…」
「彼女なりに考えて出した答えだ。誰もケガをしない、犯罪者を出さない方法だって」
「…すごいな、ストーカーの事まで考えてたんですか。優しい人なんですね」
「優しい…かなあ?まあ、どっちかって言うと塩対応だし変な子だよ。
…あ、一つ気になったことがある。美雨自身は全然記憶になかったんだけど、仲の良い幼馴染に言わせると、そのストーカーはずっと小学生の頃から彼女の事ばかり見てて、中学生の頃には何度も呼び出してたらしい。体育館の裏ってやつだ。でも、彼女は呼び出しにも応じなかったし、そいつの事、高校の時点で欠片も覚えてなかったんだよ。興味なさ過ぎて」
「…はぁ」
大牙の説明の意図が読めず、湊太は曖昧な相槌を打つ。
「湊太のその子の場合、先輩からは2週間でフラれて、その後ずっと湊太じゃん?先輩に執着がなさすぎるのと、逆に湊太に執着しすぎてるのが気になる。湊太からも先輩同様2週間でフラれてるのに、次に行かなかった。湊太にだけ粘着質な理由はなんだ?」
「え…確かに。なんでだろ」
「そもそも湊太に告った段階で、もうかなり執着が見えるんだよ。湊太は何度も断ったんだろ?ひょっとしたら、湊太の記憶にないだけで、その前に無意識に人たらしな事してたんじゃないかって」
中学1年、小学校と記憶を辿ってみる。しかし、早紀の記憶は全然なかった。同じクラスだったことがあったかどうかすら記憶が曖昧だ。
「えー?全然記憶に…ないです」
「まあ、そうだろうな。興味がない方からしたら、多分些末な事なんだよ」
ドアがノックされて、カートを押しつつパトリシアが入ってきた。
「ソータもいるとか運がいいー!味覚が鋭いって話を聞いたよ?新作の感想を聞かせて欲しいの」
「…だからぁ。真面目な話してるって言ったろ?」
マイペースに喋るパトリシアを大牙が軽く睨むが、彼女は二人の前にそれぞれパンの乗った皿と紅茶、真ん中に追加のパンとクッキーの入った木のトレーを置くと、意に介さずソファに座り込んでしまった。どうやらパンの感想を聞くまで座して待つつもりのようだ。
このまま話を続けていいものか、悩みながら湊太はまた話を元に戻した。
「美雨さんって、そんな人たらしだったんですか?」
「…いや全然?むしろ逆。さっきも言ったけど、基本塩な子。実際に幼馴染の話でも、そのストーカーに対して最初から虫けら以下の扱いの超塩対応だったらしい。彼女は他人に興味がないし、仲のいい僅かな人間以外全く相手にしない。出会ったのが高校の入学の時なんだけど、その時は俺の事も見えてないんじゃないってレベルだったよ。
多分、湊太は違うだろ。通りすがりで困ってる人いたら助けちゃうだろ」
「え?助けるでしょ、普通」
「なー、そういうトコだよ。
本人たちは覚えてないけど、相手からしたら深く残ってる何か、があるんじゃないの?彼女と湊太、方向性は真逆だけど。…まあ、これも俺の勝手な想像だけどね」
「おーい!先にパン食べてよー!あったかいうちにー!」
パトリシアが、遠慮がちな小声で叫ぶ。
「湊太のそういうトコは長所だ。それに好意を抱くのは相手の勝手で、好意が暴走して相手に迷惑を掛けることはまた別問題だ。湊太が反省することじゃないから、そこは勘違いすんなよ」
「は、はいっ」
「おーい、無視するなよぅ…」
パトリシアは悲しそうな声を出した。
ここで、アラームをセットしていた湊太のスマホが呑気な音を鳴らした。
「おっと…切り忘れてた」
湊太が慌ててアラームを解除する。
「もう、泣くよ?お姉さん泣いちゃうよ?」
パトリシアが頬を膨らまして情けない顔で二人を見た。
「分かった、分かったから。先に味見するから。
まあストーカーちゃんが執着する原因なんて、知ったところでどうすることも出来ないから放置で良いと思うけどね。ただ原因が分かったら、今後似たようなのが発生するのは防げるかもってだけで」
「こんなの何度もあったら困りますよ。…あれ、美味しい。これ」
「そう!?」
静かに二人を睨んでいたパトリシアの顔がぱっと明るくなる。
「あ、ほんとだ、美味いな。…あそうだ、忘れるトコだった。こっちの用事な。例のユリカの進路の件で夕湖さんに連絡先の共有お願いしたんだよ」
「ああ!そうだったんですか」
「もうちょっと!何か感想!他にないの!?」
「ふわふわ感ともっちり感が良いと思います!
…来週の土曜日って都合どうかな。ユリカに会いに行って欲しい人がいて。出来れば湊太もついて行って欲しいんだ」
「塩味と甘みのバランスがメチャクチャ良いと思います!
え?ユリカの進路なのに、俺も行った方が良いんですか?」
「会って欲しいのは、さっきも話に出てた美雨の幼馴染。そいつは今、カウンセラー的な事やってて、ユリカと話してもらいたいんだ。そこに湊太が同席するかしないかは、ユリカに決めさせて」
そう言いながら、大牙はポケットから1枚のカードを出して湊太に手渡した。
「はい…」
受け取ったカードは『木原里奈子』と書かれた名刺で、裏に地図が載っていた。
「で、その後、デートでもして来なよ。そいつのサロンが神田にあるから。一駅移動して」
「…秋葉原!?」
「そういう事」
「え?ソータがデート?…誰と?」
パンの評価の次が出るかとわくわくして待っていたパトリシアが、急に呆然とした声を出した。
「なんでトリッシュが気にすんだよ。湊太に可愛い彼女が出来たんだよ。デートぐらいするだろ」
「え…うわ…く…クレアに…うわぁあー!」
大牙の言葉を聞いた途端、パトリシアは叫びながら出て行ってしまった。
「あらー…ややこしい事になったの…か?」
口調とは裏腹に、大牙はちょっと悪い笑顔を見せた。
「何か…楽しんでません?」
「いや、状況が変わっただろ?いい加減湊太とジークさん同一視するのやめてもらいたいんだよね。もうユリカがいるんだから」
そう言うと、大牙はまだ残っていたパンをちぎっては口に運ぶ。
「うん、やっぱこれ美味いよね。さっきの感想で良かったのかな。まあこの時間の社会人なんか、みんな腹減ってて何食べてもおいしい時間だけどさ」
「確かに美味しいですよね。お茶も助かりました。お湯の沸かし方は何とか分かるようになったけど、紅茶とかなくって。今度コーヒーとか茶葉持ちこんどいた方が良いですよね」
「ああ、それが良いと思うよ」
二人でパンとクッキーを食べながら、話は移る。
「彼女さん、その…それのせいで遠距離になっちゃったんですか?」
「あー、まあスタートはそうなんだけどね。元々大学はイギリスに行きたがってたんだ。で希望叶って大学からはイギリス行って、今の職場は研究機関のあるブラジル」
「えー?地球の裏っ側じゃないですか」
「多分毎日元気に、カエル追っかけてるよ」
「カエルぅ?」
「言ったろ?変な子なんだよ。カエル好きすぎて南米ウロウロしてるんだ」
「…クセ強すぎですね」
「だろ?困ったもんだ」
大牙はそう言いつつも、楽しそうに笑った。
「じゃあ…彼女さんも、最初からやりたいことが決まってた人なんですね」
「あー、確かにそういう事になるね。ネットか何かで見た先生のインタビュー記事が気になってて、その先生のゼミに行きたいって言ってたから」
その手の話を聞くと、湊太には焦りばかりが生まれる。やはり、やりたい事のある人間が羨ましい。
「そんな顔すんなって。そいつ、里菜子の方は目的が決まってなかった側の人間だ」
大牙が、卓上の名刺を指す。
「…湊太もやっぱ一緒に話した方がいいかもな。そいつも若干ヤバ目な人間だけど、なんていうのかな…人の方向性とか、きっかけ作るのが上手いんだ」
「ヤバ目な人…なんですか?」
「個人で頼むと、あいつバカみたいに金取るぞ?俺とは裏取引があるから、安心して行ってこい」
色々引っかかるが、目的がなかった側の人間と言われると、会ってみたい気がする。周りが大牙や美雨のような人間で、焦りはなかったのだろうか。
「そういや、最初に美雨のストーカーに気付いたのも里菜子で、うちの道場に護身術教えてくれって来たんだよ。一人で美雨を守ろうとしたんだ。行動パターンがユリカと似てるな」
「行動力すごいですね。護身術、教えたんですか?」
「姉貴がね。でも、護身術じゃ自分の身を一時的に守れても、襲われてる友達から男の暴漢を引きはがすなんて女の子の力じゃ無理だ」
「それは…確かにそうですね」
「だからユリカの場合は…あそうか、今回相手が女か。ならユリカは、湊太を守るんじゃなくて自分にヘイトが向くこと承知で護身術って言いだした…のか?」
「…そう…かも。確かに、あいつが俺の事守るとか、考えただけで違和感あります。だからあくまで『護身術』なんだ」
「そうか、中途半端な話だったらやめとけって言うところだったけど、リアルに自分守るためだったら覚えておいて損はないな」
「あ、俺も習いたいです!でも、大牙さん仕事もあるし、おすすめの道場とか格闘技の種類とか教えてもらえたら、それで探すんで」
「ウチの実家は各種揃ってておススメだけど、通うには若干遠いよな。ユリカにも俺が教えるわけにもいかないし。JK触るとか、また先輩たちに何言われるか分かったもんじゃない…あ!そうか、その手があった」
大牙は急に時計を表示させると
「今なら丁度いいな。ちょっと行くか」
と立ち上がった。
「え?あ?はい」
湊太も訳が分からないまま一緒に立ち上がった。大牙の後を追って部屋を出て、3階に上がるとゲートの部屋へ向かった。
大牙はゲートを既に自由に使えるようだ。躊躇なく扉を開くと、右側の3つのゲートのうち、真ん中のゲートに向かった。
「真ん中…」
湊太が呆然と呟く。このゲートの行き先を、湊太は知らない。
「ついでにコレも試してみるか」
大牙はポケットから小型のペンライトのようなものを取り出した。
「さっき部屋に届いてた試作品。スイッチオーン」
ゲートに向かって大牙がペンライトのボタンを押すと、ゲートが一瞬で起動した。隣の病院行きゲート同様、向こうに白い壁が見えるが…その前に、随分とがっしりした体形の男性が立っているのが見えた。
「おーいいじゃん!」
「えー!何ですかそれ!超便利」
「耕作さんにお願いしてたんだ。ゲートを開ける専用。この間ハルカさんが苦労してたからさ。このサイズのゲートは普通の人間にはさすがにキツイっしょ」
「…確かに」
やはり、大牙は周囲へに気配りや面倒見が極端に良い。この間のハルカの苦労を湊太も見ていたが、下敷きプレゼントしようかな、などとうっすら考えていたのがちょっと恥ずかしい。
「よーし行くぞ!」
大牙が楽しそうにゲートに入っていく。湊太もおそるおそるついて行った。
トリッシュの新作は、湯種パン。




