ゴールデンウイークの実家にて その2
姉に呼ばれてキッチンへ行った大牙は、周囲の女性たちに指示されるがまま、唐揚げなどの揚げ物類が乗った大皿を抱えて座敷へ運んだ。大皿は4枚あり、4往復終えたところで晴香に呼び止められた。
「ごめん大牙、ちょっと来て」
「はあい」
一人分の食事の載った丸盆を持たされ、キッチンを出て晴香について行くと、部屋を引っ越したという祖父の部屋の前で姉の足が止まった。
「おじいちゃん?入るね」
「おう」
中から、かすれたような声の返事が聞こえた。
襖を開けると6畳ほどの畳の部屋に簡易ベッドが置かれ、そこに座って祖父がテレビを見ていた。
「おお、大牙か!元気か」
190cmの身長が通るにはやや低い入口を、大牙は少し腰をかがめながら潜り抜けて中に入った。
「俺は元気だよ。おじいちゃんこそ元気かよ」
「まあまあだな」
「まあまあか」
大牙はベッドの横のテーブルに夕飯の載ったトレイを置くと、すっかり小さくなった祖父を見下ろした。
部屋の隅にある、小さな台に作られた簡易仏壇の正面に唐揚げの載った小皿を置くと、晴香は手早く左右のろうそくに火をつけた。線香に火をつけ、そっと手を合わせると
「おばあちゃん、大牙が帰ってきたよ」
と呟いた。
部屋に、線香の香りが広がっていく。昔は嫌いだった匂いだが、今は不思議と心が落ち着く。
晴香に場所を譲られ、大牙も線香を供えると黙って祖母の写真に手を合わせた。
「なんだ大牙、嫁を連れて来たとか、ばあさんに報告はないのか」
「うるさいな」
大牙が大阪に行った年の冬、霜が降りていた寒い日の事だった。
その日の朝、祖母は起きてこなかったそうだ。
寝たまま亡くなったのだから、大往生だったと思う。大牙も死ぬならそういう死に方が良いと心底思う。
しかし、下宿の管理側としては大事件だ。食事を準備する主戦力が突然消えたのだ。
学生たちに迷惑をかけるわけにもいかず、その日の朝は大騒ぎだったと聞く。
「うるさいとはなんだ」
そう言いながらも、随分と覇気の薄れた祖父は嬉しそうに笑った。
「今日は私からの報告があるから、大牙はもうちょっと先ね」
「晴香姉…ついに?え?どこに住むの?ここどうなるの」
母も前よりはかなり早く帰ってくるようになり手伝ってくれるようになったと言うし、長男の嫁も寮生活を経験した事のある元スポーツ選手というだけあって、理解があって手伝ってくれていると聞く。しかしやはり今の主戦力は晴香なのだ。
「ここに住むよ。なんかもう私が実質ここの寮母さんみたいになっちゃってるから…おじいちゃんも心配だしね」
「おれは大丈夫よ、そのうちばあさんと同じく迷惑かけんようにコロッと行く予定じゃい」
「まだまだ当分先だろ。今行っても追い返されるって」
そう笑って返しながらも、一気に老け込んだ祖父に不安は募る。祖母が亡くなってから、すっかり大部屋での食事が居心地が悪くなったらしく、引きこもり状態らしいのだ。
「新婚でこのぼろ家はどうかと思うけど…まあ、あいつもずっとここの住人だから、抵抗ないのか…」
大牙たちが昔住んでいた敷地内の比較的新しい一軒家は長男夫婦に譲って、今は両親もこの母屋に住んでいる。晴香も2階の寮の女子部屋を使っている状態だった。
「通うより楽だもん、ここがいい」
「じゃ、あいつ完全にマスオさんじゃん」
「でも、住み慣れてるし全然問題ないってさ。奥の元おじいちゃん達の部屋、プチリフォームもしてくれたし。綺麗だよ、見る?」
「そっか…」
「晴香を好きな寮生どもがどんな顔するのか見ものだな。どれ、それだけでも見に行くとするか」
「…おじいちゃんったら、いつの話だよ。もう私も30過ぎてるんだから」
晴香が大学生だった頃、たまたま学校の男性の先輩と歩いているところを寮生に見られ、その男子生徒がショックで寮を出て行ったことがあった。
都内にこれだけの面積の家を維持していくのは簡単な事ではない。つまり、この家で寮生の減員は死活問題だ。責任を感じた晴香は、あれからすっかり男性を回りに寄せ付けなくなっていた。
弟から見ても彼氏くらいいても不思議ではないくらいの女性だと思うのだが、実際いたのかどうなのか大牙にも分からないくらい、完全にそういった気配を消していた。
そして清廉潔白を装い、寮生からのアイドルを続けていた…ように、大牙には見えていた。
「そっか、改めておめでと」
「ありがと。まあ、生活は全然変わらないけどね」
弟からの祝福を、照れ笑いで晴香は受け取った。
祖父の部屋からの帰り道、
「これで遠慮なくなったでしょ、大牙もさっさと向こうのお父さんに挨拶に行きなさいよ」
と、姉から背中をぺちんと叩かれた。みのりの予想通り、この件に関して立て続けに言われている気がする。
「別に姉ちゃんに遠慮してたわけじゃないけど…うーん、あいつが俺の兄になるのか…」
話を逸らしながらも、心の中は美雨とどう話をするかで頭がいっぱいだ。
10年にこだわり過ぎていたのだろうか。それでも、社会人になってまだ2年、生活できるくらいの基盤が整うにはまだ不十分な時間のような気もする。
おかしな話だが、今は食事は某屋敷で食べることが多いので、食費もわずかしか掛かっていない。
ほとんど帰っていないアパートだが家賃は会社持ちだ。帰省するにしても交通費も宇宙経由で破格の安さで帰れているのだ。正直貯金は貯まる一方である。
今後どう話してどちらに住むか、など考えることは盛りだくさんだが、金銭的な事は何とかなる…気がしてきた。
広間に戻ると縁側の向こう、庭で子供たちと遊ぶ竜馬と目が合った。
「あ…」
この後起こることを考えると、大牙の胸がちくりと痛んだ。
母の雪乃が大量のケーキを持って帰ってくると、それを食べ終えるのを合図にみのりを含む親子連れの参加者は帰って行った。
そこに入れ替わるように、仕事を終えた社会人たちがじわじわと会に合流してきた。
帰宅した長兄の雷牙もやってきた上、警察官である叔父がゴリさんを引き連れてきたので、一気に場は親父どもの飲み会と化した。
そして大きな紙袋を持って、仕事帰りの五月もやってきた。
「遅くなりましたー。食べ物残ってる?」
美雨と里菜子の間に座ろうとしたところ、里菜子が猫のように「シャー!」と威嚇したため、五月は諦めて反対側の里菜子の隣に座った。
「里菜子はいつでも会えるからいいんだよ、美雨と話したかったのに」
「譲ろうか?」
美雨の反対隣の大牙がそう言うと、「結構です」と食い気味に返されてしまった。
「航はまだ?」
五月のその声で、向かいに座る竜馬の眉がぴくりと動いたのを大牙は見逃さなかった。
そこから10分もしないうちに、スーツ姿のサラリーマン・大森航がやってきた。
「遅くなりました。うわ、みんなすっかり出来上がってる」
空いた席に笑顔で航が座ると、さっきまで忙しなく空いた皿を下げていた晴香がやってきて、新しい取り皿と箸を並べて彼の隣に座った。
「ハイ注目ー!」
父・武牙が、パンパンと手を鳴らして一同を鎮めた。
その瞬間、竜馬の顔にさっと影が差した。
「航からみんなに伝えて」
「はい…」
武牙に促されて航が立ち上がると、晴香も一緒に立ち上がった。
「えー、私大森航は、晴香さんと結婚することになりました」
わっという歓声の後、おめでとうと口々に叫ぶ声と共に拍手が沸き、ピーピーと派手な指笛を鳴らすものもいた。
この発表があることは共有済みだったらしく、五月が紙袋から大きな花束を出して二人に手渡した。
「おめでとう、晴香さん、航!」
酒のせいもあるのだろうが、現寮生、元寮生で泣いている男どももちらほらいた。
「うえーん、おめでとうございます。良かった、良かったねえ晴香さん、航くん」
涙もろい美雨は既にぼろ泣きだ。
「お二人の馴れ初めは~!?」
里菜子が叫ぶと、竜馬はとてもきれいな作り笑顔で彼女を睨みつけていた。
―――里菜子、頼むから煽るな!
心の奥で大牙は叫ぶが、当然里菜子に伝わるはずもない。
いや、彼女の場合は分かって煽っているフシもあるので、止めたところで逆効果だ。
もう、竜馬を投げるのはやめておこう。そう思いながら、大牙はこの会が早く終わる事をひたすら祈っていた。
9時をかなり回ったころ、ようやく会はお開きとなった。その場にいた全員でバタバタと片づけを手伝い始め、大牙たちもごみを仕分けたり洗い終わった皿を拭いたりと走り回っていた。
途中叔父に捕まり「大牙もそろそろか?」と言われたので、「そうなったら報告するよ」と笑顔で躱してその場から逃げた。
片付けの目途が立ったころ、大牙は何か言いたげな親にさらりと挨拶をして、余計な事を言われる前に逃げるように実家を出た。
外に出たところで、作り笑顔も消えてとても見ていられない表情の幼馴染が、塀にもたれ掛かって屍のようになっていた。
「竜馬、飲み直す?」
「うん」
完全に表情が抜けて、「無」と化していた竜馬は、無表情のまま静かに頷いた。
「美雨ちゃん、先に帰っといてくれる?ちょっとだけこいつと飲んでくる」
もちろん、美雨はマンションの入り口までは送るつもりだ。彼女を送り届けた後、そのまま駅前の居酒屋にでも突っ込もうと思っていた。
さすがに美雨でも竜馬の元気のなさに気付いていたようで、
「うん、行ってきなよ」
と笑顔で了承してくれた。
「おおっと、そういう事なら美雨は私が貰った!五月、こっちはこっちで女子会じゃあ!」
「…いーけど。どうせもうすぐあんたの家でお泊り会じゃん」
「チャンスは全て生かす、それが私、デス!」
「わかったよ。…じゃ大牙、美雨は私たちが責任もって預かるから」
そうは言っても、結局どちらも向かう方向は一緒だ。5人で歩きながら、駅方面を目指す。
「カナも呼ぶ?」
「ダメだあいつ、さっき連絡したけど徹夜続きで死んでる」
美雨の提案を、手際よく先回りしていた五月が却下した。
「それは…ほんとごめん」
それに関して何の説明もなく、静かに竜馬が謝った。
跳ねるように一歩前に出た里菜子は、振り返りつつ全員を見渡した。
「竜馬の敗因は何だと思う?」
彼女は本気で抉りに来ている。人の心を救う仕事のヤツが、ガチ目に竜馬を潰しに来た。
「うう…里菜子がヒドイ…」
半泣きで、竜馬は大牙のジャケットの袖の真ん中あたりをぎゅっと握りながら歩いている。
「やめて、皺になる」
半笑いで拒絶してみたが、竜馬はべそをかいた子供のように大牙の服から手を離さなかった。
「まあ、戦いのステージに最初から上がらなかった。それだけでしょ」
冷たくばっさりと、五月が切り捨てた。
私みたいにね、と小さい声で付け足したのが聞こえた気がした。
美雨のマンションの前を通り過ぎようとした時、後ろからタッタッタッタとリズミカルな駆け足の音が聞こえてきた。反射的に身構えたのは里菜子と竜馬だ。
「この足音は敵じゃねーよ」
大牙が笑うと、竜馬は
「いーや、敵だ。かなりの悪だ!」
と振り返った。
「…追いついた」
そこには、本日の主役の航が立っていた。
「ほら、敵だった」
「誰がだよ」
「来るなお前は!晴香さんのところへ帰れよ!いや、ダメ、帰るな。二度と帰るな!」
「どっちだよ」
「うわあん、大牙ぁ!航がいじめるー」
「情緒不安定か」
五月が呆れたように笑った。
心底竜馬が面倒臭いと思っていたら、ふっと美雨と目が合った。
「大牙くんが誘ったんでしょ?ちゃんと慰めてあげて?」
「無理かもって思ってる。助けてー、里菜子先生」
「おっと、私に依頼なら金を払え?…あそーだ、大牙アレよこせよ!」
「うわ…余計な事思い出させた…」
でも、成功報酬のリオのカーニバル衣装の美雨の写真は欲しい。
「すみません、俺は数万円のため、あと写真欲しさに彼女を売りました」
何か分からないものに懺悔しつつ、大牙はその場で写真を里菜子に送信した。
「よし!Yes!Yes!やるじゃないか、想像以上の出来だ!!フゥーッ!ミッション達成だ、報酬をやろう」
里菜子は大喜びでリオのカーニバル衣装の美雨の写真を送り返してくれた。
「あざます、隊長!」
数人が一緒に写っている写真だが、海外勢に囲まれていても見劣りしない美雨のスタイルが素晴らしい。
「ちょっとー!!二人ともその写真何!?なんでそんなの持ってるの?里菜子ー!!大牙くんもヒドイ!!」
里菜子の手元で届いた写真と送った写真を見た美雨が、半泣きの顔で大牙を見上げた。
「ごめん、でも俺はこの写真が欲しかった」
「そうじゃなくてこのパジャマの!どうなってるの!?透けて…ないよね?何で?裸に見える…」
「うわ、えっちぃ」
里菜子のスマホを覗き込み、竜馬が嬉しそうにニヤニヤと笑った。
「ぴったりではないのに体のラインを拾うてろんてろんのやや光沢のある素材、そして美雨の肌色に近づけた色を選びました!朝日を浴びて、陰影がまた素晴らしい。これは君にしかできない仕事だったよ」
「見るなー!!」
美雨は自慢げに語る里菜子の手からスマホを奪い取り、写真を速攻削除した。
「はあああー!!!!私の最高傑作が!」
嘆きまくった後、里菜子はがばっと顔を上げて大牙を見上げた。
「俺はミッションを完遂した。2度は送らない」
「なんでー!?それじゃ私大損じゃん、何の儲けもなかったんですけど!?」
「まてまて、そもそもうちの子二人の件だろ?今後なんかあったらあの二人の相談に関しては俺が払うから」
一瞬生気を取り戻した竜馬は、ビジネスマンの顔で里菜子に取引を持ち掛けた。
「金かぁ…ちっ。まあいい」
「正当な取引なのに、金で文句言われるって何なん?」
竜馬は口をへの字にして、大牙の方を振り返った。
「うちの子二人?」
美雨が不思議そうに首をかしげていたので、帰ってから説明しようと思いながら大牙はその横顔を見つめていた。
そこからすぐに6人は駅前の明るいエリアに差し掛かった。
「大牙くん、帰ったらお説教な?」
「…ハイ」
捨て台詞を残してカフェに入って行った美雨たち女子3人を見送り、男たち3人はその先の赤ちょうちんが並ぶ通りへと歩いて行った。
ダソヌ☆マソ(伝われ)




