配信の準備
「ただいまー!」
家に戻った湊太は玄関先でそう叫ぶとそのまま階段を上り、真っ先に自分の部屋に戻ってPCを起動した。
やることはシンプルだ。外付けのスピーカーを外し、Webカメラとヘッドセットを接続するだけだ。
思ったよりあっさりと設定が終わり、渡されていた指定のアドレスからチャットアプリをいてみた。表示名を聞かれたので、「ぽるぽる」と入れて参加ボタンをクリックした。
『おーぽるぽるさん。映ってる映ってる』
開いた画面に映ったのは、丸メガネが特徴的なチェック大坪だった。複数窓がぱぱっと開き、大坪の後ろに明後日の方向を向いている涼も映っている。
「設定ってこれだけでいいんですか?」
『音声もOK。んー、設定はね。そっちの負荷が分からん。ツキガミ起動して、ゲームしながら会話してみて』
夕湖からお下がりで貰ったPCは2年落ちだが高スペックで、この程度でラグが発生するとは思えない。回線も問題ないはずだ。
「ログインしました!」
『涼がどこの街かって聞いてるけど』
「テオフィルスです」
『あー、海のそばの岬みたいな街ね。了解、行くよ』
別の小窓の前の席に涼が座りヘッドセットを装着したが、少し離れた場所から聞こえるような遠さで彼の声が聞こえた。
『涼、マイク!』
呆れたような声は、久保田のものだ。
『ああ、ごめん』
下ろしていたマイクを口元に引き上げ、涼がさわやかな笑顔を見せた。
画面には「りょー」、「てんし」、「神」、「ゆっきぃ」と書かれた4つの窓が起動しているが、神の窓はカメラがないのか映像がなく真っ黒で、ゆっきぃの窓には代理と言わんばかりに美少女フィギュアが映っている。
そしてチェック大坪は、「てんし」の窓に映っていた。
ツキガミの画面上では、街の中心にある魔法陣のすぐ東の端でパーティ申請済みメンバーのビーコンが見えたのでそちらへ走ると、涼らしき文字と数字の適当羅列の名前のプレイヤーと遭遇した。
頭巾のような布を頭に巻いていて、そのアバターの顔は見えない。
『ほい、パーティ結成ね。…操作性とかどう?重くない?』
今度は涼がカメラ目線でしゃべっていた。
「今のところ問題は特に。ただ画面の切り替えがちょっと面倒ですね」
『画面の切り替え?』
大坪が不思議そうに眉を寄せた。
「このチャット画面とゲーム画面を…」
『何言ってんの、全画面ゲームでいいよ。こっちのチャット画面は後ろに隠しといていいって。見る必要ないよ』
チェック氏は呆れたように叫んだ。
「えー?じゃあ、みんなの顔は見えないんですか?」
『見るな。見たけりゃスマホで音消して配信の方でも見ろ』
姿の見えない久保田の声が、笑いながらそう言った。
「あー…じゃあ」
湊太は今は秀人用となっている初号機を起動した。
「隣のパソコンで配信の方流します」
『あー?部屋に何台あるんだよ。それが可能ならそれでもいいと思うけど…ただ、どっちのパソコンも絶対に外部音声は流すなよ?』
チェック大坪が色々と考えこんでいるような顔で、メガネの中央のブリッジ部分を軽く押し上げた。
『ディスプレイだけ追加で接続できるなら、ここみたいに複数画面にすればいいんだけどなぁ…』
大坪はカメラを掴んで涼の後姿を映してくれたが、彼の目の前には画面が3つ並んでいた。
『今は真ん中がツキガミ、左がチャットを映してる』
「あーなるほど!2画面にすればいいんだ」
起動したばかりの初号機の電源を落とし、湊太はディスプレイの線を引っこ抜いた。
『出来るか?端子はどうなってる?』
「HDMIとRGBだから同時接続行けます」
『グッドだ』
湊太の回答を聞いて、大坪は満足そうに頷いた。
『お、コイケが入った』
久保田の声がした。
窓が一つ増え、「コイケ246」と表示されてコイケの顔が映った。
『ちわす。…ツキガミも入った方がいい?』
コイケはがさがさとカメラの角度を調整しながら話しているようで、画面が揺れる。
『うん。こんなやり方初めてだから、直前だけど色々負荷かけてみて』
『テオフィルス集合ねー』
大坪の指示をぶった切って、涼は呑気にゲームの方の指示を出す。
適当文字羅列の頭巾アバターは、ぽるぽるとを引き連れて、コイケのアバターと合流した。
「え?初めて…なんですか?」
『うん、初めて。スタジオあるんだから、普段はリモートの人間束ねてこんな面倒なことする必要ないじゃん。それぞれが勝手に配信してるし。顔出しなしのただのプレイ動画なら簡単だったんだけどねー…くそ、何でこんな面倒な事になったんだよ』
話しながら、大坪はだんだんと機嫌が悪くなっていく。
言われてみれば確かに、複数人のリモートでのチームプレイのうち誰か一人が配信、というのは見たことがあるが、離れた場所にいる全員の顔まで同時生配信というものを見た記憶はない。
『あーそうだ!ぽるぽる&黒百合がツキガミ始めたって言ったから、急に涼がやる気出しちゃって複数場所からの全員参加で生配信できないかって言い始めたんだよ』
「う…なんかすみません」
『お前らじゃない、思い付きで動く涼が悪い。全員入った時点でラグかったら、もう涼とゆっきぃだけの通常配信に切り替えるからな?その場合その他はサウンドオンリーだ』
涼だけならわかるが、なぜゆっきぃもなのだろう。疑問に思った途端、大坪のカメラの後ろをコンビニコーヒーをストローで啜りながら歩くゆっきぃが映った。
「あれ?ゆっきぃさん?」
『あー、ゆっきぃは学生アパート住み?寮?とにかく夜はもう回線グッダグダだからここに来てるの』
大坪が彼女の方を振り返りながらそう言うと、「ゆっきぃ」の窓に映っていたフィギュアがすっと横に移動して、窓の中の景色が揺れたかと思うとゆっきぃ本人が映った。負けん気の強い女子大生はヘッドセットを装着すると、
『よー。お疲れぇ』
とカメラに向かってひょいっと手を挙げて見せた。
しかし、チェック大坪の言う「ここ」がそもそもドコなのかが湊太には分からない。
「ちなみに、皆さんは今どこから…?」
さっきから、ふしぎなおどりを踊っているアンジェロが映りこんだり、誰かの自宅規模とは思えないサイズ感のスペースで人がうろついているように見える。
『今年に入ってすぐ引っ越してきたばっかの、アンドラダイトの自社スタジオ…?本社?…兼、涼の寝床?』
チェック大坪が顎に手を当てながら、首をひねった。
『ん、まあそんなとこだよな』
久保田の声が聞こえた。
『ここが出来たから、今色々と実験中なんだよ。どこまで出来るか、あのスタジオ以外でもやっていけるかってね』
「本社!?どこにあるんですか?」
てっきりあのバトルスタジオが本社だと思い込んでいた。事務室などもあったので、普通にもうあそこが本拠地なのだと勝手に考えていた。
『あー、湊太くんは知ってるでしょ。里菜子の仕事部屋の真下』
涼がさらりと場所の説明をした。
「…へっ?え?ええ?」
『前々から狙ってたんだよ~。立地もいいし、広さもあるし。里菜子の大学時代のゼミの先生の持ち物だっていうから、紹介してもらって何とか交渉して。で、空きが出た時に優先的に抑えて貰えたってワケ』
土曜日の仕事前に、ふらりと気軽にコーヒーを飲みに立ち寄れる理由が分かった。
初めて会った時も車が近くにあったので、わざわざ駐車場に停めてまで来るのも不自然だと思ったが、住んでいるなら車があっても不思議ではなかった。
『夜間は上は無人になるから、収録してても変なノイズ入らないしいいんだよね』
「はぁ…そういう事だったんですか」
大坪のカメラの端に、早苗の姿がちらりと映った。涼はふっと一瞬後ろを振り返ると、画面に目線を戻した。
『ああ、届いた?じゃ交代で食べるか。湊太くんは夕飯済ませたの?』
「いえ、まだ」
『じゃ、済ませてきなよ。こっちも今からご飯でっす』
「そうします」
ヘッドセットを外して画面から消えた涼の場所にアンジェロが座って、なぜかカメラに向かって妙な顔芸を披露し始めた。
『アンジェロうぜー。あー、ぽるぽるさん、席離れるなら、問題なければそのまま切らずに放置して行って?』
大坪が横を向いて文句を言いつつ、そう指示してきたので
「了解です」
と返し、そのままにしてヘッドセットを外して立ち上がった。
「うーん」
何か愛想がない気がして、周囲を見回す。棚の上の方に置きっぱなしにしていた鹿のぬいぐるみと目が合ったのでそれを掴むと、ディスプレイの上に乗せていたWebカメラを卓上に置き、レンズの真正面にその鹿を置いた。
「よし」
由梨香から貰った修学旅行のお土産だ。秀人と共に同じものを、はいはいっと雑に渡されたことを覚えている。
画面の向こうの反応を一切確認することなく、湊太はそのまま夕食を済ませるべく部屋を後にした。
湊太が夕食を終えると同時ぐらいに由梨香がやってきた。
「こんばんは。夜分にすみません、お邪魔します」
「由梨香ちゃんいらっしゃーい。湊太ぁ?」
玄関へ出迎えに行った夕湖に呼ばれ、湊太は慌ててペットボトルの炭酸飲料を掴んでリビングを出た。
「あれ?送ってもらったの?」
「まさか!バスだよ」
そのまま急いで連れだって2階へ向かう。
「もー、うちの母親パソコン前で正座待機だよ。あそこまで楽しみにしてるのに、後から?たったこの2、3日で?しゃしゃってきた私が邪魔なんかできないって」
もう、聞けば聞くほど由梨香の母親が面白い。
「本当にあの見た目から想像つかな過ぎて…でもユリカの母親過ぎて感想が難しい」
「ある意味そんなのが通常運転の人だよ。…愚痴言いまくってたから、学校ではもううちの母親もうゲームガチ勢で変わり者ってかなりの人間に知られちゃってるけどね?」
身近な友人で、何も知らずに「綺麗なお母さんだねー」と言ってもらえる最後の砦が湊太と秀人だったらしい。
「もう、完全に変な母親で周知が完了したわ、これで」
湊太が部屋の鍵を開けると、嬉しいのか悲しいのか分からない笑顔で由梨香は先に部屋に入った。
由梨香はパソコンの電源を入れ、起動するとすぐにヘッドセットとWebカメラを接続した。
この程度の設定は由梨香は一人でさくっと出来るので、湊太が手を出す必要はまずない。しかし湊太のパソコンのディスプレイに映るメンバーが気になるらしく、由梨香はちらちらと首を右に動かしている。
「気になる?」
鹿のぬいぐるみを棚に戻しながら、湊太は振り返った。
「そりゃあもう…一人真っ黒な枠の人いるけど、誰?」
「神」
「久保田さんかぁ…うあ、しまった。この子でツキガミやるの初めてだ!」
プラグインのダウンロードをが始まり、思ったよりも時間がないことに気付いた由梨香が落ち着かない。
「くっそー!しかも初号機使ってチャットとかズルくない?」
湊太のパソコンが2画面状態になっているのに気づき、由梨香が不満をぶちまけた。
「…だからって、こっち見るなよ?見たければ、音消して配信の方スマホで見ろってさ」
「ぐわー!そうする!」
ダウンロード待ちで何もできず、由梨香はスマホのアプリを開いて机に置いた。
「涼さんたち、里菜子さんのサロンの真下の部屋借りてて、今そこにいるらしいよ」
「まじか」
先程聞いた情報をさらりと共有している間に、由梨香のパソコンのツキガミが無事起動した。
それを確認すると、湊太はヘッドセットを被り、カメラの位置を元に戻して微調整した。
由梨香以外、すでに全員スタンバイ状態だ。
「戻りました。今黒百合さんID入力中です。…あ、はい。チェックさんが、チャットに入ってくれって」
「うわあ、焦るー!」
スマホに送られていたURLを手打ちしながら、由梨香が嘆いた。
「8時すぐにはタイムアタックには入らないから、焦んなくても大丈夫だってさ」
「り。…聞こえますか?」
ようやくチャットアプリに入った由梨香が、ヘッドセットを装着した姿で画面に映った。
『おー、黒百合ちゃんOK、映ってる聞こえてる。お互いのマイクとも干渉はないみたいだな。問題なし!』
大坪が安心したような声で笑顔を見せた。
直接後ろから聞こえる由梨香の声と、ヘッドフォンを通して少し遅れて聞こえる声とどちらも耳に入るが、ヘッドフォンの遮音性も高いので、そこまで気にもならない。
ゲーム上では由梨香も同じ街でログアウトしていたので、全員との合流はすぐに出来た。ここで初めて5人揃ってのパーティ結成となった。
そしてイベントの開始待ちのせいか魔法陣の周辺にはプレイヤーが溢れ、妙にそわそわとした空気と熱気で溢れ返っていた。
『二人ともツキガミの方ギフトボックス届いてると思うから、開封しといて』
そのお祭りのような空気に乗せられたように、涼が楽しそうな声で指示を出す。
「…例の『装備』って奴ですか」
帰りの道中、なのはが「ウサギの着ぐるみとかじゃね?ワンチャンバニーガールとか?」などと笑いながら予想を口にしていたのだが…。
『そ。装着はこっちが言うまで待っててねー』
色々な想像を巡らせながらギフトボックスを開いてみると、予想外にその中身の装備はパーツが多かった。
「着ぐるみじゃないのかー!」
着ぐるみ、というたった一行を予想していたので、リストの長さを見ながら湊太は叫んでしまった。
『あはは、着ぐるみも実は今回の景品にあるんだけどね。俺たちが着るのは、ちょっとカッコいい方。みんなが欲しいって思えるやつじゃないとね』
『オレは着ぐるみの方がよかった…』
意外に可愛いもの好きなコイケが、画面の向こうでしょんぼりと肩を落としていた。
『よーし、じゃあ配信しながら細かい指示は出していくから。準備整ったらぬるっと始めるよー』
なんとも緩い掛け声で、涼が開始の確認をする。
『あーい』
『じゃあ、俺は交代だな。アンジェロ』
そう言いながら大坪がヘッドセットを外して席を立ち、代わりにその席にアンジェロ安永がのんびりと入れ替わって座った。
『準備まだの人ー?…いないね?じゃあ、始めちゃおっか。チェックさん、久保田ちゃんよろしく』
そう言うと、涼はさらりと前髪を直してカメラに向きなおった。
『理想的なタイミングだな。イベント開始5分前、始めるよー』
久保田の声がそのまま5からのカウントダウンを始め、アンドラダイト初の多拠点ライブが始まった。




