どうして始めたの?
約束の時間より少し早めに店に到着すると、湊太と由梨香は今回の待ち合わせ場所であるオーディオのフロアに向かった。
そこが指定されたのは、涼がスピーカーを見たいと言ったのがそもそもの理由らしい。
ぐるぐるとエスカレーターで昇っていき、その階に到着すると、きっと目立っているであろう涼の金髪を探した。
「あ、早苗さんだ」
スピーカーのブースに辿り着く前に、ヘッドフォンの試し聞きのコーナーで、由梨香が目敏く小柄な早苗を見つけた。
「あれ?一人…だな」
湊太はやや広めに周囲を見回したが、彼女の近くには涼もいなければアンジェロもいなかった。
早苗は二人に気付くと軽く手を挙げ、ヘッドフォンを外すと、繋いでいたらしい自分のスマホを取り外した。
「おはようございます」
湊太と由梨香の声が、綺麗にハモった。
「おはよ。ちょっと早いけど、ランチのお店に向かうね」
「え?涼さんは?」
スピーカーを見たがっていたはずの本人がいない。
「ああ…あれは…今日はダメかもしれない…」
湊太の問いに、早苗は苦虫を噛み潰したような顔で、ため息をつきつつそう返した。
早苗の後を追いつつ、湊太と由梨香は首を傾げつつ顔を見合わせた。
3人はレストランフロアに上がると、和食の店の個室に入った。そこには、先に来ていた涼とアンジェロ安永が座っていたが、涼の顔は肌つやが悪く、あきらかに生気がない。
「え…っ」
いつもとあまりにも違う雰囲気の推しを見て、由梨香は驚きすぎて声を失った。
「涼さん…どうしたんですか?」
アンジェロの隣に座りながら、湊太が秘書の二人に説明を求めた。
「えーっと…見た目こんななのは二日酔いのせい?心が死んでるのは、失恋のせい」
アンジェロは、それで言葉を選んだつもりなのだろうか。彼が口を開くと、涼の生気がますます抜けて行ったように見えた。
「こら!」
涼の隣に座った早苗は、明らかにポンコツなもう一人の秘書に対して短く注意した。
二日酔い。
「昨日、涼さん会食って言ってませんでしたっけ?」
会食という言葉に対する思い込みも消せないが、先程の説明だと、コイケが「女性と食事じゃないか」と予想していたのが正解のようだ。
「うん、ちょっと友達のお家でね。あ、そっか、二人には隠す意味もないけど、東雲さんのお家ね」
「…大牙さんの!?…じゃあ、お姉さんと何かあっ…」
湊太は脳内で繋がっていく情報を口にしかけたところで、途中で顔色を変えた早苗が慌てて口元に「しーっ」と指を立てて言葉を遮った。湊太も慌てて口を押えて黙る。
「なに?二人はどこまで知ってんの?大牙のヤツ、そんなに何でも話しちゃってんのかよ…」
ぱたりと机に突っ伏して、顔だけこちらに向けた涼が苦々しい表情で幼馴染を呪った。
湊太としては、お世話になっている大牙にあらぬ疑いがかけられるのは心外だ。
「いや、大牙さんは何も。どっちかというとその情報は里菜子さん…」
「あー…里菜子かぁ!」
涼は急にがばっと起き上がると、今度は椅子の背もたれに縋るようにのけぞった。
「うー…あいつめ…。あー…うん。みんな好きなもの頼んじゃって。俺はチキンカツ定食」
そう言うと、涼は再び机に突っ伏した。
「さて」
4人もメニューを決め、注文した後に早苗がぱんっと手を打った。
「りょー君、始めるよ?」
「うーん」
涼は全く動きそうにない。
「昨日はあんなにウキウキ出て行ったのに…」
アンジェロが残念なものを見るような目でうつぶせの上司を見下ろすと、涼は「うっせーよ」と言って、おしぼりをポンコツ男性秘書に投げつけた。
―――お姉さん、涼さんじゃない誰かと年内に結婚するって大牙さん言ってたよな。
涼は知らなかったのだろうか、それとも知っていて目を逸らしていたのだろうか。
これほど彼がダメージを受けているという事は、昨日の会食中にそれ関連の発表でもあったのかもしれない。
「今夜の配信の件だけど」
早苗が、湊太の思考を遮るように話を始めた。
「お互い自宅から配信すると思うんだけど、パソコンってデスクトップだよね?webカメラとヘッドセットって持ってる?」
「あー、あのヘッドフォンにマイクついてるやつですよね?…持ってないっす。カメラは…親が持ってたかも」
「私はどっちも持ってないです…それと、諸事情ありまして、私は今夜湊太の家から配信に参加します」
「え?なんで?」
ひょこっと涼が顔を上げた。
「えーっと、うち家にパソコンが2台しかなくて、親がその時間使うので」
「え?ユリカちゃん自分のパソコン持ってないんだっけ?」
「いえ…年末の大会の景品で頂いたので持ってるんですけど、置き場なくて湊太のうちに置かせてもらってて」
「ほーん…」
やる気のなさそうな相槌を打って涼は再び机に倒れ込んだが、先程までの死んだ魚のような目から少し生気が戻っているように見えた。
「ん?それって湊太くんの部屋?」
「です」
そこで、「んっ?」と早苗が顔を上げた。
「同じ部屋にあるのか…声が二重になるかな」
「かもしれない」
起き上がった涼が考え込むように頷いた。目に光が戻ったように見える。
「その時間、親御さんに何とかパソコン貸してもらえるよう頼めないかなぁ?」
言わずに済ませたかったらしい由梨香は、早苗のその提案で諦めたように肩を落とした。
「…その時間、親も同じイベント参加するので…」
「はっ…」
早苗は息をのんで一瞬固まると、「はいぃ~!?」と小さな声で叫んだ。
「え?あの美人のお母さん?ゲームとか、ガチでイベントやっちゃう人なんだ」
涼が目を輝かせて、わくわくと由梨香の顔を覗き込んだ。
「はい…」
「うわー…じゃあ、絶対無理じゃん。音対策しないと。久保田先生に相談した方がいいか。…え?二人の席近い?レイアウトどんな感じ?」
早苗がタブレットを出して、テーブルに置いた。
「1m以上は離れてる…と思います。90度、あっちとこっちの壁に向いてます」
タッチペンを受け取り、湊太がタブレットに自分の部屋の間取りを書き込んだ。その手元を覗き込んで、早苗が目を剥いた。
「え、広っ!机3つ?どうなってんのこの部屋?あー、まあ家もデカかったもんねー。これだったら大丈夫かな。ヘッドセットさえ用意すれば多分余裕だね」
「えっと、同じ部屋だと何か問題あるんですか?」
由梨香が不安そうに早苗の方に顔を向けた。
「んっとね、お互いのマイクがお互いの声拾っちゃったら、遅れた音が入って2重に聞こえちゃうんだよ」
「あー!なるほど」
「今回みたいにそれぞれの自宅から5人が同時に喋るってなると、出来るだけノイズは排除したいんだよね」
「…確かに」
早苗はタブレットを片付けて、スマホを出して電話をかけ始めた。
「あー、もしもし、志帆ちゃん?ごめんね、昼休憩中に」
電話で話し始めてすぐくらいに、店員が「失礼します」とやってきて、食事を運び始めた。
「ヘッドセット、新品の予備ってあったっけ?…そう、じゃあ買って戻るわ。ええ?あー、ありがと。じゃあごめん、webカメラも一緒にお願い。…そうそう、だから絶対要るのは2個。…そだね、少し多めに。じゃあ適当によろしく」
電話を切る頃には、全員の食事がテーブルに並んでいた。
「いただきまーす」
全員で手を合わせて、少し早めのランチタイムが始まった。
皆が普通の定食を頼んでいる中で、アンジェロだけが飛びぬけて値段の高い豪華すき焼き定食だ。
「お前そーゆートコな?まじでふざけんなよ」
普段のにこやかな彼からは想像がつかないくらい、涼は苦々しく顔を歪めている。
―――ああ、これって涼さんじゃなくて竜馬さんなんだな。
普段周りにいるクラスメイトのような雰囲気の涼を見て、きっと今はオフなのだろう、と湊太は悟った。
「だって今日俺出番ないですから。のんびり裏で見ときます。タダ飯ウマー」
へらへらとした笑みを浮かべながら、アンジェロはわざと上司を怒らせるような言葉を並べる。
「ふぅん…。ボーナス査定どうしよっかな」
「すみませんごめんなさい、りょーさん尊敬してます感謝してますマジで!!」
アンジェロも完全に「素」だった。ステージ上での美声も、こうやってふざけていると普通の青年の声にしか聞こえない。
そうやって二人がじゃれていると、涼の顔色が少しずつだが良くなってきているようにも見えた。
「アンジェロさんって涼さんの後輩なんですよね?」
二人のやり取りを興味深そうに見ていた由梨香が、茶碗をそっと下ろして涼を見た。
「あー。安永天志って顔の濃い後輩いたけど、どこ行ったんだろーね。どこかで元気にしてるんじゃないの?」
漬物をばりぼりと齧りながら、涼は目の前のアンジェロと目を合わさずそう嘯いた。
「やだな先輩、目の前にいるじゃないっすか、可愛い後輩が」
「可愛くねーよ!」
へらへらと笑うアンジェロ安永こと本名「安永天志」は、舞台を降りるとただのお調子者の青年だった。
調子の戻ってきた涼を見て、早苗がほっとした顔で目を細めると、涼から死角になる位置で由梨香に向けてそっとサムズアップを送った。
「ユリカちゃんはステータス下がったんじゃない?湊太くんは上がったでしょ」
食後、すっかり「桐島涼」の顔に戻った男が、穏やかに微笑みながら二人に声を掛けた。
「かしこさが下がっちゃいましたけどね」
「ああ、元がソーマかぁ。それは…うん、仕方ないね」
呑気に笑う湊太に、涼は苦笑しつつそう返した。
「戦闘モードをオートにしない限り、かしこさはあんまり関係ないから。それにイシュバランケーは頭のいい方の神だから、そこまで影響は出ないと思うよ」
ツキガミの場合、敵も味方も待ってくれないリアルタイム制を採用している。ターン制の戦闘のようにコマンドを開いたまま長考すると、このゲームの場合、その間は敵の攻撃を食らい続けることになる。
操作の早い人間はコマンド操作で攻撃を入れ続ければいいが、苦手な人間はオートにしておけば適宜攻撃を入れ続けてくれるので煩わしさはない。
ただ、そのオートで「今のはその攻撃じゃなかった」「そこは回復するとこでしょ?」などといったプレイヤーの思惑とズレが出やすいのは「かしこさ」が低い場合だ。このミスマッチを埋めるためにはかしこさを上げるか、操作の素早さと判断力を磨いて手動で操作するしかない。
「…確かにそうですね」
手動で攻撃をしまくっている湊太には、確かに関係のないステータス項目だった。かしこさを上げたいのは、回復を任せているカーバンクルの方だ。
「そっか、大勢に影響はないんだ」
由梨香も目からウロコ、といった空気ではっと顔を上げた。
「そういや、湊太くんカーバンクル持ってるって?」
心を読まれたかのようなタイミングで、涼が嬉しそうな顔を湊太の方へ向けた。どうやらコイケかゆっきぃのどちらかが伝えたらしい。
「確率は50%なんだけど、もう運が良いとしか言えないよなぁ」
「え?何の確率ですか?」
その数値が何を表す数字なのか分らず、湊太は反射的に聞き返した。
「カーバンクルは最初の街とその南の2番目の街、あの間をソロで通った人間の半分が出会うって確率になってる。あ、レベル10までね。レベル10超えた人間の前には絶対に出ない」
「ええ!?じゃあ、もう私は絶対に会えない!?」
「…ごめん、そうなるね」
由梨香は密かにカーバンクルを狙っていたらしく、真横の湊太が見なくても分かるくらいにがっかりと項垂れた。
「卵からの確率もかなーり低くしてあるから、魔物屋さんで売りに出たら買うしかないかなぁ。まあ、滅多に出ないと思うけど」
湊太は腕を組み、頭の中で情報を整理しつつ椅子の背もたれに縋った。
「あー…なるほど。レベル10まででソロで第一の街と第二の街を移動して、それで出会えるのは二人に一人。で、出会ったとしても、その時に職業が魔物使いじゃないとゲットできない…って事ですか」
「その通り…」
涼がゆっくりと頷きつつ、そっと口元に人差し指を添えた。確かにそんな情報が漏れると、初期の職業が魔物使いに偏ってしまいそうだ。
「あー…それ、コイケさん知ってます?」
カーバンクルを見てキラキラと目を輝かせていた昨夜のコイケの姿を思い出し、湊太は頭を抱えた。
「…知らないと思う。たぶん言ってない」
「…折角出会ってたのに…」
由梨香が同情的な声で呟いた。
「まあ、他の職業にもそれなりにあるからね?レベル10までの間にランダム特典あるからね?」
「…ってか、涼さん、製作に関わってたんですか?」
あまりにもポンポンと出てくる情報を訝しんで、由梨香が疑問を口にした。
涼から出てくる情報は詳細で断定的だ。湊太もさすがにおかしいなと思っていたところだったが、先に由梨香に言われてしまった。
「あれ?言ってなかったっけ。ツキガミって企画はうちだよ」
「うえっ?」
きょとんとした顔で涼にそう言われ、湊太は変な声が出てしまった。由梨香に至ってはぽかんと固まってしまっている。
「製作は他社にお任せしてるけどね?」
「リスト渡したゲームは、半分以上うちが関わってるゲームね」
早苗が困ったような笑顔でそう付け足した。
「え?え?なんで?じゃあ、どうして最初にそう言ってくれなかったんですか?」
そうと分かっていれば、もっと早くからやっていた…かもしれない。少なくとも、どんなゲームか調べてみようと思っただろう。
「んー…仕事と思って、無理やり興味がないゲームやって欲しくなかったんだよ。そんなの楽しくないでしょ?」
「あ…」
湊太は思わず由梨香の方を見た。それは、最初に彼女がぽつんと漏らした言葉と同義だった。
「きみたちは、こちらから名前を出したゲームは、元々全然やっていなかった。リストを渡されてもやらなかった。でも、急にツキガミだけ始めた。…始めた理由を聞いてもいい?」
別に責めている口調ではない。口元は笑っている早苗が、二人の表情の動きをじっと見ながらそう質問を投げかけて来た。
「えっと…学校の先輩から誘われて…?」
まっすぐ見つめられ、しどろもどろになりつつ湊太が答えた。
「そう。そういうきっかけでいいの。案件で無理やり始めました、は、俺たちの望むところじゃない」
とてもきれいな笑顔で、涼が笑った。
さすがモデルだな、と思いつつも湊太は見惚れてしまっていた。
「まだ時間掛かります?ビール飲んでもいいですか?」
ずっと黙ってメニューを見ていたアンジェロが、急に口を開いた。
「いいわけあるか、馬鹿野郎!」
アンジェロの一言で、桐島涼は一瞬にして谷沢竜馬に戻っていた。




