電車に揺られて
土曜の朝は、久しぶりにすっきりと晴れた青空が広がっていた。
飛び石ではなく、ちゃんと続く連休に入った初日は、本来ならばのんびり寝坊しても良い日のはずだった。
―――今日はまず涼さんとランチ、でバイト、夜は初めての家からの配信参加か…。
湊太は学校のある日と変わらない時間にベッドから抜け出し、小さな寝室から部屋に移動すると、ぐるりと周囲を見回した。いつもより片付いている自分の部屋は、写り込んで問題のあるものはなさそうだ。
そして、部屋が片付いているのはそもそも配信のためではない。
―――明日はシュートがうちへ引っ越してくる!
「んふふふふふ…」
遠出する予定はないが楽しいゴールデンウィークの始まりに、湊太は一人ゆるゆると緩む口元を両手で抑えた。
そしてスマホを手に取ると、夜中の間に届いていた通知の多さに眉をひそめた。
「何だ…?」
ほとんどが秀人からのメッセージで、イスイメッカのグループの方に送られているものだった。開いてみると、湊太達が推し変した神「イシュバランケー」についての情報リンクが色々と貼られた、細切れの補足のような短文が複数届いていた。
フレンドリストのステータス表示はオープンのままだったので、移った先の神が何かを秀人は確認していたらしい。
「シュートらしいな」
ゆっくりと電車の中で読もう、そう思い
「ありがと、道中読むわ」
と返信すると、湊太は部屋を出た。
リビングに降りると、一応起きてはいた、というポーズ程度のやる気のない母親がソファに転がっていた。少し小太りの猫「とらじろう」が、みっちりと添い寝している状態だ。
「朝ごはん…は作って…ないですよね?お母様」
「あははー。作ってるわけないじゃーん」
とらじろうに雪隠詰めされて動けなさそうな夕湖は、猫の頭を指先でぐりぐりと撫でてそう笑った。
秀人が来てもこのスタイルを崩さないつもりなのか、明日以降が見ものだ。今後休日の度に毎朝きっちりご飯が出てくるようになったりしたら、それこそ豪雨でもやってきそうで怖い。
「もー…」
諦めて、湊太は一人キッチンへ向かう。
湊太につられてソファからとらじろうが下りたため、ようやく解放されて夕湖もソファから起き上がった。
「母ちゃんも食べる?」
「ありがとー!食べる」
湊太は二人分の食パンにベーコンとチーズをのせてをトースターに放り込み、フライパンに卵を割り入れると少しの水を流し込んで蓋をした。
冷蔵庫から切れ端キュウリを出して薄く輪切りにし、レタスも洗って皿に盛り付ける。
「サラダだけ4人分作っとくねー」
「ありがと。あ、わーい、ラピュタのパンだ!…コーヒー飲む?」
「うん、もらう」
キッチンにやってきた夕湖は、マグカップを二つ出すとインスタントのコーヒーの蓋を開けた。
「今晩、イベントがあってうちからも配信すんだけどさ」
父親と妹分のサラダにラップをかけながら、湊太は親の顔を見ずに淡々と報告した。
「…え?マジで?」
夕湖がスプーンでコーヒーを掬ったまま、動きを止めた。
「っつっても、プレイ画面は涼さんか他の人の使うはずだから、俺とユリカはスマホで顔と声だけ送る感じだと思うけど」
「ありゃ、由梨香ちゃんのパソコンうちにあるけど大丈夫なの?」
「うーん…うー…日による…?昨日は普通にノーパソでいけてたし…」
「だったらいいけど。…何時から?」
「8時から」
「そっか。じゃあご飯7時くらいにするかぁ」
途端に面倒くさそうな顔になって、夕湖はため息をついた。
福利厚生で買ってもらった服を着て、身支度を整え、そろそろ家を出ようかというタイミングで由梨香からの電話が入った。
「もしもし。おはよ、どしたー?」
洗面所から出て、リビングを歩きながら湊太は電話に出た。
『うわーん、お母さんのバカー!!』
いきなりの叫び声で、湊太は思わずスマホを取り落としそうになった。
「なになに?何だよ、何があった!?」
『8時からのイベント、お母さんもやるからパソコン無理って言われたぁ!』
「はぁ!?」
一瞬何を言われているのか理解できずに、湊太は天井を仰ぎ思考を巡らせた。
「えーっと…ひょっとして、俺らより前からやってらっしゃった…?」
娘のバイト案件と知っていて、それを跳ねのけるということは、よっぽど嵌っているのではないか、と思ったのだ。
『うん。今…レベル28だって』
「うわ…」
以前から、由梨香の話から彼女の母がゲーム好きなことは知っていたが、詳細はあまり聞いていなかった。話の端々からライト層ではなく、ガチゲーマーな気配が滲み出てはいたのだが、確信は持てない状態だったのだ。
ガチ疑いが、リアルガチに変わっただけなのだが、あのアイドル顔の母親がそうなのか、と知ってしまうと、正直面白いと思ってしまった。
ふっとソファの方を見ると、何とも言えない笑みで夕湖がこちらを見ていた。
「呼んであげたら?」
TVもつけていなければ音楽も流れていない静かなリビングだったせいで、スピーカーでもないのに、由梨香の叫び声が夕湖の耳にも届いていたようだ。部屋で二人きりになるのは禁止と言われていたので、あっさりOKと言われてしまうと、かえって面食らう。
「…よろしいのでしょうか?」
「配信しながらでしょ?何かあるとは思わないよ。いいよ。なんだったら朝海を送り込むから」
「それはまじでやめて」
イヤそうな顔で軽く母親を睨むと、湊太はスマホの音声出力をスピーカーに切り替えた。
「聞こえてた?うち来る?うちの親はOKだってさ」
『うわああん、夕湖さんありがとうございますー!!』
「じゃ、こっちそろそろ出るから」
『うん、バス停で!ありがとー!!』
最初と打って変わって、由梨香の声は明るかった。
電話を切ると、湊太は夕湖の方を見た。
「はあ~!由梨香ちゃんのお母さんってそっちだったんだー!!人ってホント見かけによらないね~!!」
「うん。まあプロレス好きとか、推しのためにCSから何から録画フル稼働だったりとか、ちょいちょいマニアな気配は出てたんだけどね…」
湊太としては正直、やっぱり親子だな、くらいの感想しか出てこない。
ガチゲーマーの親がガチゲーマーだった、ただそれだけの事だ。
「じゃあ、夜は色々とよろしく」
そう言って、湊太は家を出た。
家からすぐ近くのバス停から、バスに乗って坂を下っていく。久々のさわやかな青空だったので、湊太としては自転車でも良かったところだ。
坂を下りきったところの最初のバス停で、由梨香が乗ってきた。湊太を見つけると笑顔になり、まっすぐに移動してきて隣に座る。
「おはよ。さっきはごめん、助かったわ。どうなる事かと思ったよ」
「おはよ。こっちこそ何事かと思ったわ。え、由梨香のかーちゃんいつからよ?」
「リリースすぐ後からだよ。キャラデザが推しの絵師さんなんだって」
「…面白すぎる」
自分たちと同年代であれば、どんな人がゲーマーでもオタでもあまり不思議ではないのだが、親世代となると全く印象が変わってくる。
第一印象とのギャップがある人を挙げろと言われたら、由梨香の母親を間違いなくトップに挙げてしまうだろう。
「最初私が家のパソでやろうとした時も、嫌がられたんだよね。一度自分のログアウトしなきゃいけないから、めんどいって」
「マジか」
そしてふと考える。
「ユリカの父ちゃんもパソ持ってなかった?一瞬貸してもらうとかは」
「無理」
「あー、仕事とかでも使うからか」
「…それもなくはないけどさ。そっちよりも、ツキガミのイベントはソロ参加が不可だからさ。…うちの父親は、お母さんが見知らぬ人と組んだり共闘するのがイヤなのよ」
「え?あ?うん」
何となく返事をしたものの、その「イヤ」がパソコンを貸すことが無理な事とどう繋がるのか分からない。
「共闘が必要なゲームって判断したら、即座にお父さんも始めてパーティ組めるようにするわけ」
「あー!そっか。一緒にやるって言ってたよな?…え?今もなの!?」
「今もでーす。むしろお母さんがやってるゲームしかお父さんはやりませーん」
「…大好きだな!?…じゃあ、今日のイベント、ユリカのかーちゃんは、父ちゃんと共闘か」
「そゆこと」
少し不満そうに、由梨香は口を尖らせた。
バスを降り、駅へ向かって歩きながら湊太は質問を続けた。
「ちなみに、ご両親の推し神をお聞きしても?」
「イシュ・チェル。マヤの女神様だって」
また、聞いてもピンとこない名前の神様が来た。
「それって、イベント合わせで狙ってそれ?それとも職業の相性でもともと?」
「イベント合わせ。ここ最近、時間があればずっとネットで月の神様調べてたから。今回は狩猟合戦でしょ?そこで運営がやりそうなことをずっと考えてて、それで選んだみたい」
「うん。想像のはるか上を行くガチだった」
電車に乗り、二人並んで座ると、湊太はすぐにツキガミ公式サイトに飛んでイシュ・チェルの詳細を開いてみた。
「狩猟要素ないけど…あれ?ウサギ持ってる」
公式のイラストを見ると、頭のてっぺんあたりで髪をポニーテールにしていたその女神は、片手にウサギを抱えていた。
「そ。うちの母親的には、そのウサギが絡むんじゃないかって山張ったんだよ」
「なるほどねぇ…。あ!シュートからの資料集見た?」
「まだ。長そうだったから、電車で読もうと思って」
「同じく。…あ、イシュバランケーもマヤなんだ」
最初に、ツキガミの公式からイシュバランケーのページを開いてみた。
ヒョウ柄の服、というよりヒョウの剥製を頭からかぶったようないでたちで、片手でボールをくるくると回している。浅黒い顔は精悍で、少し悪っぽい雰囲気もある。他の神様と違って随分とストリート系の現代風キャラクターだ。
解説を読んでみたが、短すぎてどんな神なのかいまいちわからない。
『双子の兄・フンアフプーと共に父の仇である冥界を崩壊させた』、とだけ書いてある。
「父の仇って…何があったんだ、こいつらの父親!」
「公式のじゃ、省略しすぎてて意味わかんないよね。でもまあ、神話ってよくよく読んでも前後の繋がりが謎だったり、なんでそうなった?ってなる意味不明なの多いからなぁ…」
そう言いつつ、由梨香は画像から検索を始めた。
「なんか他見ると、ジャガー系のケモキャラにされてることが多い神様みたい。名前が『小さなジャガー』って意味なんだってさ」
「ふーん。…あー、そっか。昨日いきなりレベリングに入ったから、ギルドで詳細見れてなかったわ」
昨夜は元々、コイケたちとレベリングする予定ではなかったので、見ようと思っていた情報を見れないまま実戦に入ってしまったのだ。
「恩寵を受ける職業は、弓使いと魔物使いが効果大、魔法使いと神官が効果中、薬師と料理人が効果小。
恩寵を受ける装備、効果大 弓…あれ、一応賢さも上がるみたいだけど。なんで下がったんだ」
「確かソーマが、かしこさの補正値が異常に大きかった気がする」
首をかしげる湊太の手元を覗き込みながら、由梨香が少し自信なさげに教えてくれた。
「あー、なる」
ならば、ソーマの眷属でなくなったら、どこに行ってもかしこさは下がるという事なのだろう。
やはり公式では、どんな神様なのか全く分からなかった。
二人顔を見合わせると、由梨香がスマホを持ちあげて反対の手でつんつんと画面を指さした。
「シュートの読んでみる?やっぱどんな神様なのか気になるよね」
「…だな」
湊太は頷くと、秀人から送られてきたサイトと、それに付随する彼の一言考察を読み始めた。
イシュバランケーたちの生まれがもういきなり意味不明だった。
殺されて首だけになって木に吊るされていた父親が、とある女の子の手に唾を吐きかけて妊娠させたという、謎かつ「ないわー!」と言いたくなるところから始まるのだ。
そしてこの双子は誰にも愛されずに野で育った、という話だ。
異母兄二人に虐められ、双子は吹き矢で狩った鳥さえも毎日奪われ、ろくに食事もとれない状態が続く。我慢の限界が来た双子は、異母兄を猿に変化させて追い払う。
その後、うぬぼれの強い「ヴクブ・カキシュ」という巨人を退治しに行くが、返り討ちにあい、兄フンアフプーは片腕を奪われる。その後知り合いの老夫婦に頼んで彼の家に同行してもらい、歯の治療と称して上がり込み、ヴクブ・カキシュを殺害、兄の腕を取り戻す。400人の若者を殺したというその息子たちも次々に殺害。
最後は色々な動物の力を借りながら、父を殺した王たちがいる冥界へ行き、一度兄の首が奪われるものの取返し、死んだ人を復活させるというユニークスキルを駆使して無事仇を打った。
そして兄は太陽の神、弟は月の神となった。
大体そんな感じの話だったが、何にしてもツッコミどころが多すぎる。
「腕取られて取り返して、首取られて取り返して…くっついたの?プラモなの?この兄」
頭が奪われている間、亀が兄の首にはまって頭の代わりをした、などの記述もあった。
ガンダムのボディにザクの頭が載っているのを何かで見たな、とおかしな方向に思考が飛んでしまった。
しかし秀人のひとこと解説を読むと、さらに話がややこしくなってしまった。
『そもそもイシュバランケーの父親が殺されたのは、ボール遊びにハマりすぎて、冥界からは足音がうるさかったから』
『最初の奥さんが死んだときにも、父親は息子たちと球技やってた』
『ヴクブ・カキシュは、傲慢ってだけで殺された』
『その息子も、400人殺した悪人ってなってるけど、向こうが先に殺そうとしたから返り討ちにしただけ』
「ええ?もう、色々意味不明!親も含めてちょっとどうなの?」
「まあ…だから言ったじゃん?神話ってのは今と常識が違いすぎるのかもしんないけど、意味不明なんだよ…」
頭を抱える湊太を見て、由梨香も困ったような顔で笑った。
「まあでも」
一つ小さく息を吐くと、湊太はスマホを持つ手を膝に下ろした。
「弓使いがバフかかるのは、吹き矢使ってたから。魔物使いもバフかかる理由は理解した」
日本だけでなく世界中に八百万の神がいることに少し驚く。
月が絡む神だけでも、大した濃いキャラクター達が揃っているらしい。
そこからはツキガミの話から離れて、雑談に移った。
明日から秀人が家に来る件など、話しているうちに武流の話になっていた。
「あいつ、野球やってたんだけどさ」
「あー、何か聞いたな。いつ聞いたんだっけ…」
本人から直接聞いたわけではなかったはずだ。
おぼろげな記憶を辿ると、ポンチョを手にしていた雨上がりの部室を思い出した。早紀と直接対決したあの日だ。
「もう野球やんねーの?」
部室の外で村木と武流がそんな話をしていたのがうっすら聞こえていた事を思い出した。
あの体格だ、何か運動をやっていたことは分かっていたし、時々右肘を庇うように押さえている姿も見ていたので、色々と察することは出来たのだ。
ああ、野球だったのか。
あの時早紀と対峙した状態だったにもかかわらず、由梨香と大岩も来てくれたこともあって、安心感からか妙な余裕が出て、外の会話を聞きながらぼんやりそんなことを考えていたのだ。
「自信満々で、横柄でヤな感じだったんだけど、あのケガの後からすっごく丸くなったんだよね」
「…逆に、俺には横柄な武流って想像つかないんだけど」
ケガの後、彼なりに色々と悩んだのだろう。湊太と出会った時の武流は、もう今の武流だったのだ。
「…進路どうすんだろ。今度あいつと話してみようかな」
「いいかもね。…私もまだ全然方向性決まんないわ」
あくびをしながら由梨香はそう言って、湊太にもたれ掛かってきた。
「もう着くって」
「分かってるけど…眠いぃ…」
まもなく、二人の乗る電車は目的の駅に辿り着いた。




