これが若さか
二日目スタートです。
翌日、湊太は朝から大忙しだった。
朝食を食べ終えると、リビング内の観葉植物に水をあげていく。
旅行中で不在の祖母・月湖に頼まれている作業だが、なぜか昔から夕湖が面倒を見ると植物が枯れてしまうのだ。だから水遣りなどの世話は湊太が担当になっている。
水を鉢植えに注ぎながら、はたと、昨日聞いた「木と水」というのはこういう事なのかもしれないな、などと考えてみた。
しかし観葉植物は、普通の人が普通に世話できるはずのものなのだ。どちらかと言うと、夕湖の方に強力な腐食属性のやばい何かがついている可能性の方が高い。口に出したら怒られそうなので、とりあえず黙って水遣りを終えた。
観葉植物の世話が終わると、今度はダッシュで自分の部屋に戻り、呼吸を整えつつ鍵を掛けた。
まだゲートを使うのには、何とも言い難い緊張感がある。一つ深呼吸すると、昨夜同様下敷きで静電気を起こし、ゲートに飛び込んだ。
窓から柔らかい光が差し込んでいた。トランポリンで軽くひと跳ねして、湊太はアステリアの自室に着地した。
そういえば、明るい時間に窓の外を見るのは初めてだ。外の様子が気になってしまい、窓に近づいてみた。
建物のそばから何百メートルか先まで、刈り込まれていない芝生のような草原が続き、広葉樹のような丸い感じのシルエットの木がまばらに生えていた。そしてその木々を避けるように、ところどころに小さめの畑が不規則に点在していた。
「なんか…土地の使い方が贅沢だよな」
建物が坂の斜面を埋め尽くしている自分の住む町を思うと、贅沢としか言いようがない。
そのさらに奥は森だ。全体的に大きな起伏はない、なだらかな丘の上だった。左側はゆるやかな下り坂で、下った先にレンガ色の屋根の町と、その先に海が見えた。
―――あの世界樹は見えない、か。
建物に沿って、ソフィアの一家が使っているという箱状の「別棟」がかなり近くまで伸びていて、左側の視界がそこで終わっていた。あのシンプルな建物、思った以上に長い。恐らく回廊の端くらいまであるのではないだろうか。これが邪魔して見えないのか、もしくは角度的にどうやっても見えないのか。
―――見たかったな。
少し残念な気分になったが、まずは由梨香が来るための準備が最優先だ。
気を取り直してグノメに昨日の『宇宙時計』を出してもらい、時間と時差をを確認すると、レビに連絡した。
『2時過ぎ、了解した。管理官を家に入れるのは面倒だから、また外にアンバーゲートを持って行っておくように。それと、新しいラムダはタイガに預けてあるので、タイガにも言っておけ』
淡々と、まるでカンペを読んでいるかのようにつらつらと言われ、そのまま切られてしまった。
嫌われてるのかな、と思えるほど素っ気ない通信だったが、ちょっと気付いた事もある。
レビとの短い会話で、ゲートをわざわざ外に運び出すのは、縦横の設置角度の不一致の問題だけではなかったのだ。
確かに、建物の入り口から居住区のこの部屋まで、管理官を連れてくる距離を考えると、まあまあ面倒だ。
なるほどね、と状況に一人納得すると、次に大牙に連絡した。
「おはようございます、昨日は遅くまですみませんでした。あれから…大丈夫でした?」
『おはよう。湊太が帰った後、クレアはすぐに起きて酔いも完全に醒めてて、自分の足でしっかり歩いて帰ってったよ。先生はあのまま朝までぐっすり』
―――そういや、あの「先生」の名前も知らないよな。
今更気付いてしまったが、今わざわざ聞くことでもないなと思い、由梨香用のラムダの用意をお願いした。
『こっちの2時だね、了解。…そっか、レビは管理官家に入れたくないんだな。ならゲートも昨日みたいに誰かメイドさんに頼んで外してもらって、俺が直前に移動させとくよ。この家の庭先とはいえ、無人の外に今から放置は危険だ』
「危険…ですか?」
『地球に不法に移動したい奴らがいないとは限らないだろ?盗まれても困る』
「確かに。俺の部屋に知らない人飛び込んで来られても困ります」
ふふっと、大牙が小さく笑った。
『昨日のソフィアみたいなのは、かなり困るだろ』
「いや、もうああいうのは勘弁してほしいです。…そういや昨日、なんで俺の部屋にソフィアが来ることになったんですか?」
『誰かこの家のエルフが行ってもファンタジー小説的で面白いと思ったけどね。ラムダみたいなガジェット類は地球へ持っていけないから、言葉が通じない。ま、単純にあの時間動ける地球人が俺とソフィアしかいなかったって事だ。でも、俺みたいな大男が入ってきたらビビるだろ?かなりやばい不審者じゃん。年の近い女の子の方が威圧感なく連れてこれるかなって事で、ソフィアに早起きして来てもらった』
威圧感で思い出した。あのスマホのメッセージだ。
「そういや俺、昨日ソフィアにスマホのメッセージで脅されたんですけど、あれ文章考えたのは大牙さんですか?」
電話の向こうならぬラムダの向こうで、大牙がふき出した。何だか大爆笑している。
『あれは、ソフィアが言った通り日本語で打てって言われたから俺のスマホで打って、スクショして送っただけだよ。…やっぱ使ったんだ、そっかあ。…あんな脅迫、俺が考えたと思われるのは心外です』
言葉と裏腹に、大牙はとても楽しそうに笑っていた。
地球の自分の部屋に戻ると、湊太は昨夜から引っかかっていた件を解決すべく、2号機の電源を入れた。
検索サイトで「エルフ」と投げてみる。昨夜大牙に言われた「面白い事」が何なのか、気にはなっていたが、夜は普通に眠れてしまった。
ネット上の辞書サイトに載っていた「エルフ」についての記述には、知らない単語が多すぎて一瞬眩暈がした。秀人だったらこの辺の事全部理解できるのかもな、と思うと少し悔しい。北欧神話に起因することは分かったが、その続きに書かれている詳細は謎単語ばかりだ。
「空には『アルフヘイム(エルフの故郷)』と呼ばれる土地がある…」
―――空が宇宙なら、アステリアの事?
アステリアは避難先だったはずだ。では、その戦争で失われた故郷の星がアルフヘイムになるのだろうか。何にしても、「空に故郷がある」というこの時点で、見方を変えるとエルフ=宇宙人が確定してしまっている。
気になる単語は調べ、一定量読み飛ばしながら読み進めると、スクロールする指がぴたっと止まった。何だか恐ろしい事が書いてある。
「病気の精霊…こわっ」
―――人を病気にさせたり、病死させたり…菌を操れるって言ってたから、そういう事も出来るって事?
ドイツのエルフにまつわる伝承を見ると、いたずら者、人や家畜を病気にさせる、悪夢を見せるなどと散々な書かれようだ。
ソフィアがエルフは悪者的なことを言っていたようだったが、この辺の事があるのか。
美しい見た目など大体知っているような内容もあるが、国によって伝承が違ったり、他の伝説上の生き物がエルフにまとめられたりしていてややこしい。エルフは必ずしも長い耳ではなさそうだったり、伝承と創作の線引きが分からなくなって手を止めた。
「肉、煮とくか」
PCの電源を切り、湊太は昼食の下準備のため席を立った。
13時ちょっと過ぎたころ、由梨香と秀人が一緒にやってきた。パートに行くついでに由梨香の母が二人を車で送ってきたので、母親同士の会話で玄関先がちょっとにぎやかだった。
由梨香の母は何というか綺麗な人で、きっと学生時代はクラスのマドンナ的存在だったのではないかと思えるアイドル顔だ。何というか、華がある、という感じの人だ。それなのに、なぜ娘の由梨香は…まあ、黙ってれば可愛いとは思うが、なんでこんな強めのオタになってしまったのか不思議である。
「いいからほっとこ!さっさとログインするぜー!」
由梨香にぐいぐいと背中を押されて、秀人と湊太は階段を上っていく。うきうきと嬉しそうな由梨香に、今日はゲームしないなんて言えない。ちらりと秀人の顔を見ると、初めてこの状況に気付いたようで、「ヤバいな、これ」と口パクで伝えてきた。
「あー!机がある、ありがとー!」
年末の大会予選以来、受験生の二人に遠慮していたので、由梨香もここに来るのは久々だ。
そして、まだ一度も起動していないゲーミングPCに、見たこともないキラッキラの笑顔ではしゃいでいる。
「母ちゃんがどっかから持ってきた机だけど」
「ううん、ほんとにありがたや~!って、そっちの机も、PCなんか変わってない?」
目ざとく2号機に気付いた由梨香は、忙しく机の間をウロウロしはじめた。
「更に最強の布陣じゃん!あ、そだ。初期設定まだだよね、時間かかるよね。じゃあ、起動するね」
「落ち着けって。忙しいヤツだな」
そんなことを言いながら、秀人もずっとゲートのある「じいちゃんの机」をチラチラとみている。
由梨香は肩から掛けていた大きなカバンを足元に置くと、PCの電源を入れた。
「キーボード日本語っと…。ん-と、ん-と…PC名かー。何にしよ」
うきうきとPCの設定を始めた由梨香からそっと離れ、秀人が湊太の傍へ移動してきた。
「昨日の夜、また向こうって行った?」
「…行った」
「だよなー、行かないって選択肢がないわ。俺だったら絶対行くし」
秀人は羨ましそうに小声でつぶやいたあと、急に真顔になり
「で、ここからどうするよ」
と物凄く情けない顔で聞いてきた。
「俺も…困ってる」
「あー、アップデートだって。時間かかりそー。…そだ、そういや新刊出てたから買って来たんだ」
由梨香がごそごそとカバンの中を漁り、ゲーム雑誌を手に振り返った。
「アプデ情報出てるよ。あと、スキンのDLコードついてたのと、涼サマのインタビュー載ってたから。あ、そういや涼サマと言えば、昨日のきつね夫婦の配信見た?」
「涼サマ」…桐島涼は、最近由梨香が推しているプロゲーマーチーム『アンドラダイト』の代表だ。元雑誌の読者モデルで、ゲームも強いがカワイイ系の見た目で女性ファンも多い。先日の大会の時も解説席にいて、由梨香はそこからすっかり一推しらしい。2位の景品で貰ったこのゲーミングPCも、彼監修のデザインモデルだ。学生時代にレーサーだった時期もあるとかで、レース系のゲームも監修していたりと幅広くゲーム業界に関わっている、ある意味カリスマ的な存在だ。
「あー、えっと、時間があるならちょっと先に見せたいものがある」
涼サマの話が長くなる前に、由梨香の発言をぶった切ったのは秀人だ。目配せされて、湊太も机の引き出しを開け、ゲートを引き出した。
「ちょ、ちょっと待って」
いきなり下敷きで頭をこするとヤバい奴だろう、と思って湊太は今日は最初から薄手のニットを着ておいた。ニットと下敷きをこすって、静電気の気配を感じると、ゲートの縁を袖口で撫でた。予定通り、一気に引き出しの中身が緑の草原に代わった。最初は変なものを見る目で見ていた由梨香だったが、興味津々で引き出しに近づいてきた。
「ん?え?何すごっ。これ、引き出しの中ディスプレイ?」
「えーっと、ここ、入れます。…俺から行くわ」
秀人が部屋の隅のスツールを運んでくると、「後は任せた」と小声で言い、ひょいっと引き出しに飛び込んだ。
「え…」
さすがの由梨香もあっけに取られている。しかし、驚いているのは湊太も一緒だ。
―――説明、丸投げかよ!!
草原で、誰かの手が伸び秀人にラムダを手渡した。秀人がそれを受け取り、耳にかけると、こちらに向かって笑顔で手を振り、フレームアウトした。
「えーっと。説明がいる?いるよね…。ちょっとこの引き出し、別の空間につながってて。俺も今から行くんだけど…うーんと…由梨香にも来て欲しいんだけど」
「行く!」
「…はい?」
迷いなし、むしろ食い気味の由梨香の即答に、何と説明しようかと困っていたこちらが逆に思考停止してしまった。
「ユリカ、いきまーす」
「!???」
すごい笑顔で、スツールに片足を載せると、由梨香はそのままひょいっと飛び込んでしまった。
「え、なに怖い。何なのあいつ」
―――まあ、説明に時間かからなくてよかったか。
部屋の鍵を掛け、由梨香がフレームから消えたのを確認すると、湊太もゲートに飛び込んだ。




