40話『覚醒』
「さよなら、フュール」
ラエティティアはそう言ってかざした手から光線を放とうとした。
これでエーベルトの絶望した顔が見られる。そして鬼怒哀楽の計画の第一歩を歩める。そう思っていたラエティティアだったが、しかし、途中でその手を止める。まるで蛇に睨まれたカエルのように身体をビクッとさせ。
「⋯⋯なんだい、この異様な気配は」
そう。ラエティティアは尋常ならざる気配を感じ取り、手を止めたのだ。それもいきなり現れた気配。ただ事ではない。この場にそれほどの気配や魔力を感じさせるといったらライムントくらいしかいない。そう思ってラエティティアがライムントの方へと視線を向けた。
そこでラエティティアは驚きに目を見開いた。
つい先程まで遠くにいたはずのエーベルトがラエティティアの目の前まで来ていたのだ。
目の色は赤く染まり、額には黒の紋様が浮かび上がっていた。そしてラエティティアは気づいた。この気配がエーベルトのものだということを。
「――フュールから、離れろ」
「――!!」
次の瞬間、ラエティティアはエーベルトに凄まじい力で殴り飛ばされた。全身に強烈な力が加わり、もはや痛みどころではない。
ラエティティアはそのまま転がっていき、しばらくして止まる。
「⋯⋯い、一体どういうこと、だ」
掠れる声でそう呟く。一体この数秒のうちにエーベルトに何があったというのか。あのエーベルトは明らかに先程とはわけが違った。人間とは思えないほどの力。あれは魔法など使っていない。単なる腕力のみでの力だった。
エーベルトがラエティティアの方へと近づいていく。
「テ、テメェ! いつの間にそっちに行きやがったんだ!」
それを止めまいと、エルガーが一瞬で肉薄し、蹴りを入れる。しかし。
「なっ⋯⋯! どういうことだ⋯⋯! こいつ、ビクともしねェ!」
そう。エルガーに蹴りを入れられたエーベルトは吹っ飛んでいくどころかビクともせずその場に立ち尽くしていた。
「お前に用はない。消え去れ」
エーベルトがそう言って右手を振り上げる。すると、闇の魔力が右手を覆った。そしてその手をエルガーに振り下ろす。
「ぐあっ――!!」
エーベルトの右手はエーベルトの脇腹にヒットし、血を吐きながらエルガーは転がっていき、そのまま動かなくなってしまった。
「ねぇ⋯⋯。これちょっとやばいんじゃないの⋯⋯? エーベルトは一体どうしちゃったの⋯⋯?」
ラスティマスが真剣な顔つきでそう口にする。周りにいたディスフォード、ヴィーヴェルもいきなりのエーベルトの変貌に、驚きを隠せない様子だった。
そんなことを言っている間にもエーベルトはラエティティアの方へと近づいていく。
「⋯⋯仕方ない。だるいが、止めなければならない、行くよ」
そうディスフォードが指示し、ラスティマスとヴィーヴェルが頷き、エーベルトの方へと走っていく。
それに気づいたエーベルトは、ニヤリと笑った。
「邪魔だ。お前たちも消えろ」
そう言うと、胸元に手をかざした。すると、胸元から短剣が出てくる。そしてエーベルトも走っていく。
距離がだんだんと狭まり、激突した。しかし、エーベルトは間を通り抜けるようにして攻撃を避けた。数秒の沈黙が訪れる。すると、ディスフォードと、ラスティマスが同時に倒れてしまった。ディスフォードは胸元を深く切られていて、血が噴き出ている。
しかし、1人だけそのエーベルトの攻撃を避けて通った者がいる。
「ほう、今の攻撃を避けるか。なかなかやるな、お前」
「⋯⋯大したことではない」
そう。攻撃を避けて通ったのは、ヴィーヴェルだった。エーベルトは一瞬驚いたような顔を見せ、次に口の端を歪めた。
「お前、名はなんと言ったか」
「⋯⋯ヴィーヴェル・シュツルム」
「ヴィーヴェル。お前とはいい勝負ができそうだ。だが――」
そう言ってエーベルトはヴィーヴェルに肉薄し――短剣を胸元に突き刺した。刺されたヴィーヴェルは血を吐いてその場に倒れてしまった。
「――今はそのときではない」
これで鬼怒哀楽は全員エーベルトの手によってやられてしまった。ものの数分の出来事である。
「さて、ラエティティア。お前の仲間は全員俺が倒した。――フュールを返せ」
ラエティティアの胸ぐらを掴み、持ち上げる。ラエティティアは苦渋の表情を見せ、諦めたように口を開いた。
「⋯⋯わかった。降参するよ。フュールは返す」
それを聞いたエーベルトはラエティティアを雑に放った。これでフュールは解放される。
エーベルトはフュールの元へと歩いていく。
「エーベルト⋯⋯」
フュールは涙をこぼしながらエーベルトを見つめている。
これでやっと解放される。そう思ったとき、エーベルトの背後から何かが迫っているのが見えた。
「エーベルト! 後ろ!」
フュールがそう叫ぶと、エーベルトは気づいたように後ろを振り返る。
「⋯⋯あ――」
エーベルトが腹部を押さえる。そして押さえた手のひらを眺める。
「なぜだ⋯⋯?」
そこには、血がベッタリとついていた。
「ふ――。はははははははっ! 最高だ! その表情には最高に興奮するよ! まさか本気で返してもらえると思っていたのかい!?」
そう。背後に迫っていた正体はラエティティアだった。エーベルトの腹部に拳を貫通させ、頬を赤らめながらそう叫ぶ。エーベルトは腹部を見ながら何かを呟いた。
「⋯⋯俺に⋯⋯ついたのか」
「なんだって!? 弱り切った声じゃ聞こえにくいなぁ!」
ラエティティアが興奮した様子で笑う。エーベルトは下を向いてなにやらぶつぶつと言っている。
そして次の瞬間、ラエティティアの腕を凄まじい力で掴み、顔を至近距離まで詰めてこう言った。
「俺に、嘘をついたのかぁぁぁぁ!!」
そして、腹部から手を勢いよく引き抜き、ラエティティアを投げ飛ばした。
投げ飛ばされたラエティティアは驚きに目を向く。それも無理からぬことである。生身の人間の腹部を貫通させてもなお、倒れることなく生きているのだから。
「⋯⋯な、何を、そんなに怒っているんだい?」
ラエティティアが青ざめた顔をしながら問うと、エーベルトはニヤリと笑ってからこたえた。
「あいにく俺は嘘が嫌いでな。今まで嘘をつくやつは殺してきた」
ラエティティアは先程にもまして殺気と気配が増したエーベルトを見て、トラウマ級の恐怖を覚えた。
殺される。その事で頭がいっぱいになり、反抗ができない。
「さて、お前はどう殺してやるか。生きたまま内臓を抉り出してやるか。それとも生きたまま炙って食うか。まあ後者はまずそうだからやめておくとして――」
そしてエーベルトは笑みを完全に消し、殺意を剥き出しにした表情でこう言い放った。
「――痛覚を持って生まれてきたことを後悔させてやる。覚悟しろよ」
そう言うと、エーベルトは宙に浮いた。そして叫びを上げる。すると、エーベルトの身体から黒いオーラが溢れ出し、天空城を包み込んでしまった。
「⋯⋯一体、何をする気だい?」
ラエティティアが問う。すると、エーベルトは口の橋を歪めてから、こう言った。
「――ここにいる全員を殺す」
『なっ⋯⋯!』
その場にいた全員の口から狼狽が漏れる。――一体エーベルトはどうしてしまったのだろうか――。
それは天空城にいる全員が思ったことだった。
「エーベルト! 何を考えているんだお前は! ここに来た目的を忘れたのか!」
ヴェローザがたまらず叫ぶ。
ヴェローザの言う通り、天空城に来たのはフュールを助け出すためで、そんなことをしに来たわけじゃない。しかし、エーベルトは首を横に振った。
「貴様には関係ないことだ。じきに貴様も死ぬんだからな」
「くっ⋯⋯」
「エーベルト⋯⋯一体どうしちゃったの⋯⋯?」
フュールが不気味な笑みを浮かべ浮遊するエーベルトを見つめながらそう呟く。
明らかにあれはエーベルトではない。そうフュールは確信していた。しかし、そうなればエーベルトを操っているのは誰かということになる。赤い目、額の黒い謎の紋様。これは。
「⋯⋯人間じゃない?」
「フュール、大丈夫か」
と、そんなことを考えていると、突然声をかけられた。その方向を向く。
「ライムントさん⋯⋯!」
そう。そこにいたのは、ラエティティアに魔力を逆流させられ倒れていたはずのライムントだった。フュールがエーベルトに気を取られているときに近くに来たのだろうう。
ライムントがフュールに繋がっている鎖をほどく。長い間腕を上げている状態だったため痺れていた。
「ライムントさん、さっきやられてしまったはずじゃ⋯⋯」
「ああ。厄介な魔法を使われてやられていたが、どうやら俺の弟が弱らせたようで魔法の持続効果が切れたようだ。おかげで今はもう元通りさ」
「よかった⋯⋯」
ライムントの無事に安堵の息を吐くフュール。それも束の間、フュールは気になっていたことを聞いた。
「エーベルトはどうしちゃったの⋯⋯? なんであんなことをいったりやったり…それにあの紋様…どうなってるのか教えてほしい」
一気に聞きたいことを問うフュール。ライムントは頷き、言った。
「フュールの言いたいことは分かる。だがその説明をしている時間は残されていない。フュールもエーベルトの言ったことを聞いていただろう?」
「ここにいる全員を殺す⋯⋯」
先程聞いた言葉を口にする。
そう。エーベルトはここにいる全員を殺すと言っていた。エーベルトの今の様子からすると本当に実行しかねない。
「そうだ。説明は後でする。フュール、お前にしかできないことをしてほしいいんだ」
「私にしか、できないこと⋯⋯?」
怪訝そうな顔をして問うフュール。そんなフュールに対してライムントはその「フュールにしかできないこと」を教えた。




