第237話 だからお前は死ぬな
「なんと……」
天を紅蓮に染める炎の背後に揺らぐ人影。
その赤の中にあって際立つ蒼い瞳。
絵画を見るような光景に圧倒され、王はその場に立ち尽くした。
「お前たちはここで何をしている?」
十字に交差した剣閃が走り、キマイラを焼き尽くした炎は天に昇るように消えていった。
「キンッ!」と音を立てて剣を鞘に納めると、女は凛とした視線を王に送った。
「美しい……」
「はぁ? 頭でも打ったのか」
噛み合わない会話に露骨に眉根をよせるも、王は呆けたままだ。
「おい、コイツは大丈夫なのか?」
女は、たまらず幼子を守っていたシグルドに声を掛けた。
「危ないところを助けていただき感謝を。その方は……その、少し動転されているのかと」
「そうか。まぁ、無理も無いか。こんな化け物をみれば」
「こいつは一体?」
「……」
シグルドの言葉に眉根を寄せ沈黙する女。
「キッ」と結ばれた口元は開くことがない。
「名を! 名を教えてはくれまいか?」
二人の間に横たわる緊張を破ったのは他ならぬ王だった。
女は結んでいた口をほどき、「ふー」と息を吐くと少しだけ口角を上げ答える。
「お前は人に名を聞くのに、自ら名乗らないのか?」
「フェルドだ!」
質問に食い気味に答える王。そのあまりの早さに女はのけ反るも、
「シエロ。シエロ・ヘンドリクスだ」
「シエロ……。良い名だ」
口をもごもごと動かし、教えてもらった名を反芻するフェルド。
「ぜひお礼をさせてくれ! そうだ酒、いや茶でもいい――」
「早く帰れ」
瞳を輝かせお礼を申し出るフェルド。
しかし、願い空しくシエロの切れ味鋭い刃に一刀両断された。
「いや、しかしそれでは……」
それでもなお食い下がるフェルドを見ることなく、シエロは踵を返し去って行った。
足跡を残し、巻き起こった砂煙がフェルドの足を掠めていく。
「シエロ……。どうして、瞳は空のように美しいのに、そんなにも悲しそうなんだ」
どこかに消えていった砂煙と同じように、フェルドの声もまた闇に消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――翌朝。
夜闇に消えていったシエロを知っている者がいないか集落に聞き込みを行う王の姿があった。
「本当になにも知らないのか?」
「申し訳ありませんが……」
「何でもいいんだ。知っていることを話せ!」
「ひぃ!!」
「王よ!そこまでに」
住民がキマイラに破壊された集落の片付けに追われる中、王は道行くものを捕まえてはシエロについて尋ねて回った。
その名を口にするたび、胸の奥が焼けるように熱を帯びていく。
「王よ。女々しいことはやめなさい。今、あなたが向かい合うべきは職責だ」
シグルドの鋭くも熱のこもった瞳がフェルドに突き刺さる。
その瞳に我を取り戻したフェルド。自らの手が住民の襟元を掴んでいることにやっと気づいた。
「……教えてくれないか? 昨夜、襲来した化け物について」
フェルドは手を離すとバツが悪そうに話題を変えた。
「あいつらは地獄の釜から這い上がって来る悪魔だ……」
「……」
住民は視線を合わすことなく、震える声音を絞り出した。
離れていく丸まった背中を見送りながら、王の目は確かな輝きを放っていた。
その異変にシグルドは即座に気づき、
「……王よ。よもや良からぬことを考えてはいまいか?」
「なあにシグルドよ。仮にあの化け物が魔族の兵器だった場合……由々しき事態だろ? これは調査せねばな! 」
「――はぁ。御意」
(昨晩の女に会いたいだけでしょうに)
と思いの籠ったため息を吐き、シグルドは首肯した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「これは……」
「今すぐ引きますぞ」
広大な砂漠の真ん中に突如として現れた黒い染み。
遠目から見れば汚泥が湧きだしているようにしか見えない。
しかし、近づき覗き見ればそれは、世界を穿つ黒い裂け目だった。
この底が見通せないほどの黒闇から、世界の終焉を確信させる殺気が放たれていた。
――近づけば死ぬ。
本能がそう感じていた。
息を飲みこみ、心音すら止めるため胸元を握りしめた。
不可能を悟り、その場を去ろうとするフェルド。
シグルドは静かに頷き、王を背にした。
世界最高の剣士と謳われる彼ですら、撤退の判断は揺るぎなかった。
心をへし折られ、一歩下がったその時だった。
――抜けるような青空に昇る太陽から一つの影が舞い落ちてくる。
「はああぁ! 神羅万象、解放!! 【闘神】×【神鳥!!】」
気高い声が響き渡った直後、まるで太陽そのものが落下したかのような眩い閃光が辺りを包み込んだ。
真昼だというのに周囲はさらなる白に上書きされる。
やがて輝きは集約していき、一つの形を成していく。
「あれは……矛」
王の呟きが光に溶けていく。
彼の網膜に焼き付くように飛び込んで来たのは、眩いばかりの輝きに包まれる巨大な矛。同時に、
「復活などさせん!!この私がいる限り!! 永久の闇へ帰るがいい!!」
勇ましくも可憐な声が響き、聖なる矛が突き立てられ黒き闇の底が割れていく。
「この声は!!シエロか! 君なのか!」
聞こえた声、求めていた瞬間、想い焦がれたその時が、王の恐れを叩き壊した。
気づけば王、いやフェルドは思いのまま、駆けだしていた。
「いけません王! 下がって下さい」
シグルドの声が聞こえようとも、その足が止まることはない。
それは、シエロにもう一度会いたいという思いだけではなく――
真白に染まる光の中、フェルドには確かに見えていた。
舞い降りたシエロの背後、岩から這い出、蠢く黒い影が。
それは鉱物と共に生きてきたドワーフの王だからこそ気づけた異変。
「――がふッ!!」
ようやくたどり着いた彼女の隣。
その瞬間、黒い影から伸びた触手がフェルドの下腹を突き破っていた。
赤き血が吹き出すも、なおもシエロ目掛け伸びる触手。
「させん!!」
血を吐き叫ぶフェルド。
灼熱を纏った焼きごてを突き立てられたような痛みに顔が歪む。
それでも、彼の腕は触手をがっちりと掴み、シエロに向かう動きを止めていた。
「お前は昨日の!! 馬鹿なことを!――はああァッ!!」
全身全霊を込めた一撃。
直撃を受けた触手は、蒼き炎に包まれ焼け落ちていく。
シエロが残身を解き、振り返る。
「やはり、其方は美しい」
口から大量に血を吐きつつも、穏やかな笑みを浮かべたフェルドがいた。
「なにを訳の分からぬことを! ここは弱い者が足を踏み入れて良い場所ではない!」
「……愛する者を守れるなら」
「――――ッ!」
噛み合わない会話。
シエロは唇を噛み、言葉を飲みこんだ。
蒼き瞳を見開き、フェルドに向き合うと、
「私は弱い者は嫌いだ。すぐに死ぬからな。
……だからお前は死ぬな【医神】」
視界が白に溶けていく。
それでも、彼の瞳は最後まで――彼女だけを見ていた。




