第四話
「工場って、どんな所だったんです?」
「……工場? なんで急にそんな話ってー…ごめんちょっと待って!?」
休日土曜、家に遊びにきた黒井さんに何気なく聞いてみた。
「別に、楽しくも何ともない話だから、聞いたって仕方ないと思うよー…っしゃあ! 私の前に立つのは百年早いんじゃあ!」
私の二つ年下の弟の部屋から借りてきたゲーム機で、格闘的な世界を楽しんでいた黒井さんは、オンラインで対戦していた相手に勝利し、私の質問に曖昧な返事をした後、拳を握って普段の彼女からは想像出来ないような雄叫びを上げた。
学校ではいつも静観してるような佇まいで、何事にも動じないような彼女だけれど、こと対戦ゲームをする時だけは人が変わったように荒々しくなる。
弟の部屋に行く時も常にノックをせずに扉を開けるものだから、二つ下の岳人はすっかり用心深くなってしまって、友達と遊びに行く時も何か用事があって買い物に出掛ける時も、何か仕舞い忘れた物はないかと隅々まで部屋をチェックしてから家を出るようになってしまった。
いつ、黒井さんが侵入してきても良いようにって、そんなに心配なら部屋に鍵を付ければ良いんじゃないかと思うのだけれど、何故かそれだけは絶対にしないから不思議だ。
「工場ってのはさ倉敷さん、勤める人間が大きく二極化されている不思議な場所なんだ」
「……二極化ですか?」
ようやくコントローラーを置いた黒井さんは、後ろに振り返って、ベッドの上で小説を読んでた私に、明確な返答をし始めた。
「そ、先ず1つ目に『人生どうなってもいいや』と思っている投げやりな人達がいて、次いで2つ目に『俺はこの会社で頑張るんだ』って強い意思を持って働くエネルギッシュで熱苦しい人達が存在する」
「……はあ?」
「前者は中途採用で仕方なく入社してきた者達が殆どで、後者は大概が新卒で入った者達だ。もちろん後者の彼等も直ぐに辞めてしまう者も多いけれど、最初の3年間を乗り切った者の中には、工場勤務なんていう3Kが蔓延る会社に生き甲斐を見付けて、骨を埋めようと必死に働いている人がいるのさ…本物の働きアリもびっくりするくらいにね」
「……黒井さんはどっちだったのですか?」
「残念ながら悪い方の後者だね。働きアリ達の中でも最底辺の仕事しか出来なかった私は、ただ長い年月を会社で過ごすだけの蟻地獄から抜け出せないクズでしかなかった。中途採用の者にも見下され、捨てた筈のプライドをズタズタに切り裂かれながら、ただ黙々と作業に集中するだけの機械になっていた」
『あの頃の私は本当に愚かだったと思うよ…』と、黒井さんは私の後ろにある窓から覗く蒸し暑い外の景色を見ながらボソッと呟いた。
右向きに振り返って話す黒井さんは珍しく黒側で、過去の話と重なって、遠くを眺める彼女がなんだかとても暗く沈んだ表情に見えた。
「〝なんで働いているんだろう?〟が常に頭の中にあってね、特にやりたい事がある訳でもないのに〝家に帰りたい〟と会社に到着した瞬間から思っていた。稼いだ金は殆ど家計に回されていて、自由に使えるお金なんてほんの僅かだったのに、何か違う事に向き合いたいと、常日頃スマホを眺めながら思っていたんだ…」
空いた時間に6.5インチの長方形の中に逃げ込むのは大人になっても変わらないようだ。
特に何か見たい物がある訳でもないのに、動画サイトを開いては今日あった嫌な出来事を洗い流すように、めくるめくショート動画を眺め続ける…
時折クスッと笑って、ほんの少しの高揚感に満たされるけど、広告が流れている間「私は何をやっているんだろう」って虚しさが溢れて止まらないのは、思春期だからとかそんな簡単な理由では済まされないようだった。
「今にして思うよ…ああ、私は暇だったんだなぁって、仕事は多忙を極めたけど悩むぐらい退屈で仕方なかったんだなぁって…」
「……そんな風に自分を責めるのは良くないと思います」
「責めてなんかいないさ、だってそれは真実なんだから。本来なら結婚して家庭を持ってなきゃいけない歳に、自分の事だけを考えていた私は本当に愚かだったと思うよ…」
「でも、出会いというものは望んだからって手に入る物ではないですから…」
「ははっ、その通りだね倉敷さん。でもね、これはまた哲学の話になるんだけど、18世紀のフランスを生きた啓蒙思想家であり、文学者、歴史家であるヴォルテールは、次のように説いてるのさ『仕事は我々に大きな三つの悪、すなわち退屈、悪徳、貧困を遠ざけてくれる』ってね」
「確かにその通りですけど…」
「まあ全てが正しいとは私も思わないし、身体を壊してまで働けとは今でも思わない…だけどあの時の私がもしこの言葉を知っていたならば、もう少し良い人生が送れたんじゃないかって思ってしまうんだよ…きっとさ、もう少しだけ前向きに生きれたんじゃないかなってね」
また難しい話を切り出した黒井さんはそう言った後、ようやく私を正面から見てくれた。
黒と白のアシンメトリーカラーは本人は目立つから嫌だと気にしているけど、私はそれが羨ましくなるぐらい大好きで、本心を打ち明けた彼女の表情には、先程の陰りがほんの少しだけ薄らいでいるように見えたのだ。
「学校もそうじゃないかな? 通えているからこそ余計な未来の不安を考えなくて済むし、友人がいればこうして、退屈な時間を大画面で潰せるようになるのだから」
「出来れば自分で買って欲しいって、岳人は言ってましたよ」
「……生意気なクソガキめ、今度会ったらとっちめてやる」
───等と、黒井さんは少し乱暴な言葉遣いで私の弟を非難したが、実際に会えば頭をグリグリと必要以上に撫でるぐらいで、それ以上の蛮行はしようとしない。
そんな時、心なしか岳人は喜んでいるように見えるのだが、まあ黒井さんクラスの美人に触れられれば嬉しくなってしまうのも分からなくはないのだ。
コン、コンコンコン……
「ねえー…白帆さん、そろそろゲーム機返してくれないかなぁ」
「お、噂をすれば…」
「どうやら時間切れみたいですね」
ちょうど良いタイミングで痺れを切らした弟が部屋のドアをノックしてきて、先程の会話の流れからきっと今日の夕飯時、弟は何かを思い出しながらまた黙りになる未来が想像出来てしまったのだけれど、だけどそれはそれで、余計な不安を考えなくて済むのだから良いのかもなぁって、思ったのだった。




