第三話
───7月某日、クラス内で紛失騒動があったその日、盗まれたと騒ぐ被害者はとてもとても目立つ男子だった。
確かに格好いいとは思うけど、私はそこまで興味がなくて、皆みたいに挨拶してキャーキャー騒ぐほどの魅力も気力も彼を見る限り湧いてこなかった。
盗まれたのはスマホらしくて、本来なら持ち込み禁止な筈のそれを、1限目の授業終わりにトイレから戻ってきたら無くなっていたと騒ぐのだ。
何事かと思って、椅子を横向きにして話していた黒井さんと目を合わせれば、ただ呆れたように首を振るだけだった。
『……私が前に話した言葉通りだろう? 人はなんて醜く愚かな生き物なんだって』ただ一言、黒井さんはそう言って、事件の全容を覗こうとする私の顔の前に教科書を差し出して、これ以上首を突っ込むなと、実力行使で興味を遮ってきた。
余計な詮索はかえって身を滅ぼす災いの種となるらしい。
何事も無かったように日常を過ごすのが、火の粉が降りかからない最善の策であるらしいのだ。
帰りのHRで、まだスマホが見つからないと騒ぐ男子の鞄から鳴らない筈の通知音が音を立てずに振動で響き渡った。
『おそらくトイレか何処かでコッソリ弄っている時に、誤った操作をしてしまったのだろう』と黒井さんは言った。
騒然とする教室内で、顔を真っ青にさせて中央の席に座る彼を見ながら、窓際にある私の席の後ろから『被害者ぶるなよ…』と、最後にポツリと自作自演だった犯人に向けて放った一言が、私にはとても寂しく悲痛な叫び声に聞こえて仕方なかった…
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「…気付いていたんですか?」
「なんとなくね、私は倉敷さんと違って常に周囲に気を配って生きているから」
学校から離れて数メートルの所にある歩道橋の上で、相変わらず右側を歩く黒井さんに尋ねてみた。
一望する眺望も変わらず素晴らしい夕焼けで、橋の下には帰宅ラッシュ前の車が細々と走っており、ここを降りてまた数メートル歩いた先に私達が住む住宅街がある。
クラスでも何人かは同じ住宅街に住んでいる人がいるけれど、人見知りな私達はそれが誰だかよく分からなくて、通りすがりに挨拶をされても名前までは思い出せず顔を見合わせるだけだった。
「私と違って…ですか」
「おっと失礼、言い間違いの類だと思ってくれ。倉敷さんと違って周囲を気にしすぎているから、彼が席を立ってトイレへ行っていた間、そんな怪しい素振りをする人は誰もいなかったなと、思ったんだ」
「はあ…なるほど…」
「まあこれも一種の前世の記憶に囚われた呪いみたいなもんだけどね。いつどこで誰が噂話をしているか気になって仕方なかった私は、今でこそ落ち着いたけど回避性パーソナリティ障害ではないかと診断された事もあったよ。もちろん前世でだけどね?」
回避性パーソナリティ障害とは否定や批判を強く恐れるあまり、人との関わり自体を避けてしまう状態を表す病名だ。
私はそこまで精神疾患に詳しくないけれど、いつだったか読んだ本にその事が書かれてあった。
「……えっとそれで、どうして彼は今日あんな行動を起こしたんです? 盗まれただなんて嘘を付いて彼は何をしたかったのか、私にはいまいち分からないのですが?」
「19世紀のドイツの哲学者にショーペンハウアーという人がいてね。悲観主義や、人間の根底には満たされない盲目的な意志があるとする思想で知られる彼が言うには『私達人間は、自分の不運や無能さを隠すために、運命や他人の邪悪さを過大に評価する傾向がある』…らしいのさ」
「……どういう意味です?」
「つまり、運や悪意を大きく見積もることで自分の無能さから目を背けるという意味で、自分の実力不足を認める痛みに比べれば、理不尽な環境の被害者になる方がプライドを保ちやすいという人間の弱さの本質を突いた言葉だよ」
「はあ…?」
「今日事件を起こした彼は、もしかしたら苦しんでいたのかも知れない。本当は私達と同じちっぽけで弱い心の持ち主なのに、恵まれた容姿と頭脳と運動神経が邪魔をして、強くあらねばならない選択肢しか目の前に用意されていなかったのかも知れない」
「そんな風には見えなかったですけど…」
「人はいつだって自分の本心を隠して生きてるものさ」
───と、前世オジサンの記憶があるとても美人な友人は言う。
私から見れば彼女もまたそちら側の人間と同様に思えるのだが、容姿も頭脳も運動神経も、そして強い心も全てが備わっているように見えるのだが、どこか遠くを見て悲しそうな瞳をする黒井さんには、それを伝える事が出来なかった。
「……あくまで主観だけどね、私は今日事件を起こした加害者であり被害者であり首謀者は、もしかしたらそんな現状に苦しめられて、もっともっと周りの注目を集めねばならないという固定観念に縛られて、弱者が振るうべきである最大の武器の『被害者』という剣を抜いたように思えて仕方ないのさ」
「……だからあの時、辛そうな顔を?」
「おや、そんな顔をしていたかい? おかしいな、私はただ哀れみの目で彼を見ていたと思ったのに…」
肩をすくめて笑った黒井さんは、再びいつものような太々しい表情に戻っていた。
「……いえ、ごめんなさい。やっぱり気のせいです」
「ははっ、なら良かった」
だけれど白側の向こうにあった黒い髪の下の表情は心なしか曇っているように見えて、それはきっと苦い前世の記憶を深掘りしてしまう事になるかも知れないから、空気を読んだ私は黙っている事にした。
「……気持ちは分かるけど被害者ぶるのは、私はやっぱり許せないや…」
だって、私に聞こえぬようポツリと呟いたその言葉の中に、真の被害者であった過去の黒井さんの姿が見えた気がして、彼女もきっと本音を隠して生きてるんだろうなぁって、思ったから…




