間話 そろそろフラれるぞ
魔王軍本陣天幕
ほとんど二人きりだった。
隅に参謀が一人いる。
だが、気配を消している。
いないも同然だ。
レイゼンが書板から目を上げた。
「ヴァイレン」
ヴァイレンが顔をしかめる。
「なんだよ」
レイゼンが静かに言った。
「まだ謝ってないのか」
ヴァイレンの眉が跳ねる。
「……うっせぇ」
レイゼンは淡々と続ける。
「そろそろ」
「いい加減」
ヴァイレンが睨む。
「あ?」
レイゼンはため息をついた。
「振られるぞ」
沈黙。
ヴァイレンの顔が固まる。
「は?」
レイゼンは答えない。
もう一度、浅く息を吐く。
参謀は隅で、なるべく空気になっていた。
これは関わってはいけない案件だ。
ヴァイレンが怒鳴る。
「ため息やめろ!」
レイゼンは静かなままだ。
「せっかく」
「弟の嫁になってくれそうな逸材だったのに」
「やめろ!!」
ヴァイレンが机を叩きそうな勢いで身を乗り出す。
「ぐっ……クソ……」
喉の奥で詰まる。
顔は怖い。
だが、言っていることは完全に追い詰められた男だった。
「わ、わかってるよ」
「謝ればいいんだろ!」
言い捨てるように叫ぶ。
踵を返す。
大股で天幕を出ていく。
布が乱暴に揺れた。
あとに残ったのは静けさだけだった。
参謀はまだ空気のふりをしている。
レイゼンはそれを見もしない。
⸻
ヴァイレンは早足で歩く。
(わかってんだよ)
顔は不機嫌なまま。
胸の内だけがうるさい。
(言いすぎたことくらい……)
夜気が冷たい。
それでも頭は冷えない。
(仲直り……)
足が少しだけ鈍る。
(このままずっと、よそよそしいまま……)
想像しただけで胃が痛い。
戦場より嫌だった。
(キツイ……)
ヴァイレンは顔をしかめたまま、さらに歩を速めた。
──試練だ。
ヴァイレンは歩きながら、ひたすら考えていた
(謝る)
(振られる)
足が止まりかける。
(いや待て)
眉間に皺が寄る。
(そもそも付き合ってなくねぇ?)
(振られるもクソもねぇ)
そうだ。
まだ付き合っていない。
なら振られるも何もない。
ないはずだ。
(じゃあ謝らなくて……)
そこで、脳裏に浮かぶ。
セレンの、あの気まずそうな顔。
先日の朝、見かけた笑顔。
まっすぐで、柔らかくて、何も知らないみたいな顔。
ヴァイレンの足が鈍る。
さらに、兄の声が蘇った。
──寝所を共にしてるなら求婚しろ。
「マジでうぜぇ……」
低く吐き捨てる。
(しかも正論しか言わねぇ)
そこが一番腹立たしい。
腹立たしいが、否定できない
ヴァイレンは顔をしかめたまま考える。
(俺が言い過ぎた)
(悪かった)
(これだ!)
ようやく、そこへ辿り着く。
遠回りにもほどがあった。
だが、本人にとっては大進歩だった。
ヴァイレンは一つ、大きく息を吐く。
「……よし」
全然よくない顔で、前へ進んだ。
──補給天幕の前。
ヴァイレンは、天幕の布を前にして立ち止まっていた。
(謝る)
(一言だ)
(俺が悪かった、で終わりだ)
そこまで決めていた。
決めていたのに、いざ顔を思い浮かべると腹の奥が妙に重い。
中から、女兵たちの声が聞こえる。
誰かが笑い、誰かが水差しを置く音がする。
ヴァイレンは舌打ちした。
「……クソ」
勢いのまま布をめくる。
天幕の中で、セレンが振り向いた。
「……あ」
一瞬、空気が止まる。
周りの女兵たちが、何事かと二人を見る。
ヴァイレンはその視線ごと鬱陶しそうに睨み返した。
「出てけ」
女兵たちが顔を見合わせる。
にやりと笑う者。
口元を押さえる者。
「はーい」
「お邪魔しましたー」
わざとらしく言いながら、ぞろぞろと外へ出ていく。
最後の一人が布を閉じた。
静かになる。
セレンは寝台の脇に立ったまま、少し困った顔をしていた。
ヴァイレンはその顔を見て、用意していた言葉を全部忘れた。
沈黙。
そして口をついて出たのは、謝罪ではなかった。
「お前、最近避けてんだろ」
セレンが目を見開く。
「……はい?」
「だから」
ヴァイレンは眉をひそめる。
「避けてんだろ」
セレンの頬が赤くなる。
「避けてません!」
「気まずいだけです!」
ヴァイレンが即座に言い返す。
「同じだろ!」
「ち、違います!」
「何が違うんだよ!」
「ぜんぜん違います!」
セレンがむっとする。
「避けてるんじゃなくて」
「どう接していいか分からなかっただけです!」
「だからそれを避けてるって言うんだろ!」
「言いません!」
「言うだろ!」
「言いません!」
完全に謝罪の流れではなくなっていた。
ヴァイレンは内心で頭を抱える。
(何やってんだ俺)
だが口は止まらない。
「朝も」
「なんか、こう」
「変に固ぇし」
「ヴァイレン様が変なこと言うからです!」
「変なことってなんだよ!」
「……いろいろです!」
「雑すぎんだろ!」
セレンは言い返そうとして、でも言葉に詰まる。
気まずそうに視線を逸らす。
その顔を見た瞬間、ヴァイレンの勢いが少しだけ止まった。
ああ、と思う。
本当に困らせたのだ。
怒らせたのでもなく、怖がらせたのでもなく。
ただ、困らせて、傷つけた。
ヴァイレンは顔をしかめた。
沈黙。
さっきまでの言い合いが、急に全部ばかみたいに思えてくる。
セレンが小さく言う。
「……もう、いいです」
その言い方が、思ったよりきつかった。
ヴァイレンは息を呑む。
そして、視線を逸らしたまま、ぼそりと落とす。
「……俺が悪かった」
セレンが顔を上げる。
ヴァイレンはなお視線を合わせない。
「言いすぎた」
「その……」
「マジで悪かった」
それだけ言うのが、やたら難しい。
セレンはしばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……はい」
ヴァイレンの眉がぴくりと動く。
「はい、ってなんだよ」
「謝ってくれたからです」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくてって何ですか」
「いや……」
また言葉が詰まる。
セレンは少しだけ口元を緩めた。
ほんの少し。
でも、前よりずっと柔らかい顔だった。
「……気まずかったのは、本当です」
「でも」
「ちゃんと言ってくれて、よかったです」
ヴァイレンは、露骨に顔をしかめた。
照れ隠しなのが丸分かりだった。
「……あっそ」
「はい」
また少しだけ沈黙。
さっきまでの険悪さは薄れた。
だが、綺麗に元通りでもない。
ちょうどその間だった。
ヴァイレンは耐えきれなくなったみたいに踵を返す。
「じゃあ、もういいだろ」
「えっ、あ、はい」
そそくさと天幕を出る。
布をめくった瞬間。
外にいた女兵達と目が合った。
にやにやしている。
「……見た?」
「見た」
「謝るんだぁ」
「にやにやするな!!」
ヴァイレンが怒鳴る。
女兵たちがけらけら笑う。
天幕の中で、セレンが思わず吹き出した。
久しぶりに聞いたその笑い声に、ヴァイレンの足が一瞬だけ止まる。
だが振り返らない。
耳だけ少し赤くして、そのまま大股で去っていった。
(全然うまくいってねぇ)
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