32 暴走
半月の光が、さらに膨らむ。
白と金だったものに、黒が混じる。
紫が滲む。
空気が焼ける。
地面がきしむ。
連合軍前列から悲鳴が上がった。
「止まれ!」
だが、バニングは応えない。
穏やかな顔のまま。静かなまま。
心臓が痛い。熱い。
どくん。どくん。
ジャスティスが胸を押さえる。
───
同じ頃。
西小砦では、別働の連合軍が攻勢を強めていた。
提案したのは、エルフ幹部だった。
黒土の広がりと地脈の流れを見比べ、この砦が他より浅いと読んだのである。
「ここを落とせば、黒の展開を一段崩せます」
エルフ弓兵が砦上の弓兵、旗持ち、伝令を射抜く。
続いてトレントが前へ出た。
巨体が柵を薙ぎ、土塁を踏み荒らす。
外縁が崩れ、砦前に裂け目が生まれた。
「歩兵、前へ!」
連合軍が盾を重ね、槍を立て、その裂け目へ押し込む。
黒兵は多くない。
それでも崩れなかった。
槍は揃い、盾は並び、号令も途切れない。
さらに一人の魔将が前へ出る。
黒の鎧。黒い角。長剣。
「止めろ」
巫術師が黒土へ杖を突き立てた。
地が鳴り、裂け目の下で龍脈の流れが組み直される。
前へ出ていたトレントが止まる。
いや、止められた。
根のような脚が沈み、踏み出せない。
「今だ、焼け!」
砦上から魔力矢が落ちる。
その間に裂け目へ黒の重歩兵が詰まり、魔将の剣が前へ出ようとする連合軍の勢いを折った。
地脈は読んだ。
流れの浅い節も突いた。
だが、それだけでは足りない。
龍脈の場では、黒は巫術で守りを強める。
砦そのものが壁以上の意味を持つ。
「……地脈だけでは、説明が足りない」
エルフ幹部が呟いた時、砦上から投槍が飛んだ。
連合軍の流れが切れる。
西小砦は、結局落ちなかった。
───
ジャスティスは、もうまともに立っていられなかった。
「ぐっ……!」
胸の奥で、光が脈打つ。
白い。だが、白いままではない。
明滅が強すぎる。呼吸に合わない。
鼓動に合わせているのに、どこか別の何かにも引かれている。
膝が揺れる。
剣を地に突いても、体重を支えきれない。
視界の端がちらつき、世界が白く、次に紫に染まる。
「……なんだ……」
「これは……!」
脳裏に、セレンの言葉がよみがえる。
──勇者の力は危険なんです。
──これ以上、戦に使わせたくない。
ジャスティスは歯を食いしばった。
「まさか……」
盾兵たちの輪の中で、聖騎士団の兵たちまで顔色を変える。
囲っている。押さえている。
だが、目の前の勇者が崩れ落ちそうなのは、さすがに想定外だった。
黒い盾の列の向こうで、ハルドが眉をひそめる。
「おいおい……」
呆れとも警戒ともつかぬ声。
右翼。
バニングの体が、さらにおかしくなる。
紫の魔力が、あたりを染める。
土。
砕けた盾。
兵の影。
空気そのものが、じわじわと紫に侵食されていく。
バニングの肩が震える。
なくなっていた左肩の突起が、再び盛り上がった。
皮膚を押し上げる。
骨とも、角ともつかぬ異物が、内側から生えてくる。
連合軍の兵が息を呑む。
「……なんだ、あれ」
「肩が……!」
バニングは何も答えない。
目は前を向いたまま。
穏やかな顔のまま。
だが、その顔の下で、人ではない何かが育ち始めていた。
次の瞬間。
衝撃波の形が変わる。
半月ではない。
円。
白と金と紫を孕んだ円環が、バニングを中心に一気に膨らんだ。
「下がれ!」
叫びは遅い。
円が広がる。
味方も敵も区別しない。
前列の連合軍の歩兵がまとめて弾き飛ばされる。
盾が舞う。
槍が折れる。
馬がいななき、暴れ、騎兵が鞍から投げ出された。
土が巻き上がり、血が散る。
「うわあああっ!」
「離れろ!」
「巻き込まれる!」
連合軍前線が崩れる。
黒軍もまた足を止め、後ろへ飛ぶ。
聖騎士団の幹部が叫んだ。
「バニングを下げろ!」
紫の幹部が舌打ちする。
「ちっ……制御しろ!」
紫の巫術師が青ざめた顔で応じる。
「先ほどから制御を受け付けてません!」
「不甲斐ない」
紫の幹部はそれだけ言うと、自ら前へ出た。
指が上がる。杖が地を打つ。
紫の術式が一瞬で幾重にも重なり、バニングの四肢と胸へ食い込んだ。
拘束。
抑制。
封鎖。
さっきまで巫術師たちが総掛かりで押さえきれなかったものを、その幹部はあっさりと縛り上げた。
バニングの体がびくりと跳ねる。次の瞬間、足元に転移陣が開く。
光。
バニングの姿が、そのまま檻へ転送される。
前線に残ったのは、紫に染んだ焼け跡だけだった。
騎士団幹部が怒鳴る。
「押し込め!」
連合軍が前へ出る。
混乱のまま。だが、押せるなら押すしかない。
枢機卿が顔を真っ赤にした。
「貴様ら!」
「なぜ勝手なことを!」
騎士団幹部が振り向きもしない。
「あれはこちらにも被害を出していた!」
戦場の誰もが、息をするのを忘れていた。
風が吹く。
いつの間にか、日が落ちかけていた。
西の空が赤い。
長い影が、平野を埋める。
黒軍も。連合軍も。
これ以上は進めない。
ヴァイレンが蛇矛を肩に担ぎ直す。
ジャスティスは胸を押さえたまま立ち尽くしている。
セレンは遠く、まだ白煙の残る中央を見る。
角笛が鳴った。
片方だけではない。両軍だった。
引くしかない。もう今日は、どちらも踏み込めない。
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