31 勇者バニング投入
その少し後ろ。
本陣。
騎士団幹部の顔は渋い。
教皇が問う。
「ジャスティスは」
伝令が答える。
「押しておりますが」
「逆に、遠巻きに盾兵へ包囲されています」
聖騎士団幹部が顔を上げた。
「包囲?」
「はい」
伝令は続ける。
「正面からは当たらず、距離を取り、重盾と槍列で進路だけを絞っています」
聖騎士団幹部の眉が寄る。
「……封殺する気か」
エルフ幹部が静かに言った。
「砦で勇者同士がぶつかった時」
「勇者の力を兵器利用するなと」
「勇者セレンは言っていましたね」
枢機卿が顔をしかめる。
「つまり」
エルフは地図の中央へ視線を落とす。
「黒は、同じ結論に達しています」
「勇者を正面から潰すより、戦場で働けぬ形に閉じる方が安全だと」
聖騎士団幹部が低く吐き捨てる。
「忌々しい」
伝令がさらに声を上げる。
「中央、再び押されています!」
「黒狼、騎乗!」
「赤の戦象、再前進!」
「左翼では鎚部隊がなお圧迫!」
室内の空気が張る。
教皇が問う。
「ジャスティスだけで保つか」
誰も、すぐには答えなかった。
やがて聖騎士団幹部が歯を食いしばる。
「……保ちません」
枢機卿が目を閉じる。
短く、深く息を吐いた。
「ならば」
その言葉を、教皇が継いだ。
「勇者バニングを出す」
重い沈黙だった。
辺境伯の一人が低く言う。
「早すぎる」
別の将が答える。
「早くはない」
「中央が割れれば、それで終わる」
聖騎士団幹部がなお渋る。
「だが、あれは……」
教皇の声が落ちた。
「分かっている」
「だからこそ、今だ」
枢機卿が顔を上げる。
「勇者ジャスティスは線を立て直す。バニングは、黒の圧を砕く。役目を分けるのですね」
「そうだ」
教皇は地図の中央を見たまま告げる。
「黒狼と戦象で押し潰される前に」
「一度、盤そのものを返す」
エルフ幹部が静かに言う。
「返せても、安定はしないでしょう」
教皇は否定しなかった。
「承知の上だ」
「今は、まず折らせぬ」
聖騎士団幹部が拳を握る。
「……勇者バニングを前へ」
伝令が一礼する。
「はっ!」
その背を見送りながら、枢機卿が小さく呟いた。
「勝つためではない。今日を越えるための一手か……」
誰も答えなかった。
だが、その場にいる全員が同じことを思っていた。
これは切り札ではない。
延命だ。
教皇は最後に、静かに言った。
「出せ」
その一言で、本陣は次の段階へ入った。
誰も、勝ち札だとは思っていなかった。
だが、切らねばその場で潰れる。
それだけは全員に分かっていた。
「勇者バニングを右翼前へ」
教皇の一言で、天幕の空気が止まった。
誰もすぐには動かない。
動きたくない、と言った方が近かった。
聖騎士団幹部が歯を食いしばる。
「……承知」
声は重い。
それでも命令は命令だった。
伝令が飛び出す。
天幕の外、角笛が短く鳴る。
枢機卿は目を伏せた。
最初から分かっていた。
いずれ切る札だ。
だが、切りたくない札でもある。
教皇は地図から目を離さない。
「中央が割れる前に出せ」
「ジャスティスの線が生きているうちに」
「はっ」
伝令の声が遠ざかる。
勝ち筋ではない。
崩壊を一度、先送りするための力だ。
それでも今は、それが要る。
───
白布の天幕が、幾重にも張られていた。
その中央。
祈祷師。
医療兵。
司祭。
誰もが声を潜めている。
その中に、バニングはいた。
立っていた。
今はまっすぐ立てている。
穏やかな顔。
青白い顔色は、もうない。
血の気も戻っている。
だが、健常には見えなかった。
肩の下。
鎧の継ぎ目から、妙に硬い線が浮いている。
肉ではない。
骨でもない。
何か別のものが、内側から形を押していた。
それでも、表情だけは穏やかだった。
「勇者バニング」
聖騎士団幹部が呼ぶ。
「出撃だ」
バニングは、ゆっくりと顔を上げた。
「はい」
やわらかい声。
それが余計に気味が悪い。
司祭の一人が、ごくりと喉を鳴らした。
誰も「気をつけて」とは言わない。
言える空気ではなかった。
幹部が言う。
「中央戦線」
「黒狼と戦象が押している、まずあれを返せ」
「承知しました」
穏やかな返事。
だが、その目の奥は空だった。
怒りもない。
高揚もない。
決意すら薄い。
ただ、動けるから動く。
そういう静けさだった。
祈祷師たちが、周囲へ下がる。
バニングの足元に、淡い光が広がった。
彼は一歩、前へ出る。
そこで、不意に立ち止まった。
聖騎士団幹部が眉をひそめる。
「どうした」
バニングは、少しだけ首を傾げた。
「……ジャスティス様の光が、向こうにありますね」
「眩しい」
幹部の顔が強張る。
「気にするな」
「お前は中央を返せ」
バニングは微笑んだ。
「はい」
次の瞬間。
消えた。
いや、消えたように見えただけだ。
白い残光を引いて、前線へ出た。
後陣の兵たちが息を呑む。
「速い……」
「重い」
誰かが呟く。
そうだった。
速さだけではない。
空気が、遅れて沈む。
何か質量のある異物が、戦場へ投げ込まれたような圧があった。
───
その瞬間だった。
補給天幕。
セレンの胸の奥が、熱を持つ。
「……っ!?」
思わず息を呑む。
光。
刻まれてはいない。
だが、胸の内側で勇者のしるしが確かに脈打った。
「わ……」
小さく声が漏れる。
熱い。
苦しい。
けれど、嫌な感じではない。
何かが呼び合っている。
別の場所。
中央前線。
ジャスティスもまた、剣を握ったまま顔を上げた。
「……なんだ!?」
胸の奥が灼ける。
白い光が脈打つ。
呼吸が乱れる。
視界の端で、世界がきらついた。
さらにその中央。
バニングだけが、静かに目を伏せた。
「……」
何も言わない。
だが、彼の胸元にもまた、白い光がじわりと滲んでいた。
三つ。
三人の勇者が、同じ戦場で同時に反応していた。
──???
白と金に灼けた空間。
輝く人型が、そこにいた。
彼は頬を膨らませる。
「……あーあ」
「また戦?」
呆れたような声。
「勇者を無駄遣いしすぎなんだよ」
「踏み荒らすんじゃなくてさ」
「物語を見せてよ、もう」
そして、地表へ視線を向ける。
「……は?」
次の瞬間。
「嘘でしょ!?」
白金の床を叩いて、笑い出した。
「三人も勇者揃えちゃったの!?」
「大陸ごと吹き飛ばす気!?」
笑いが止まらない。
肩を揺らし、声を弾ませる。
「あーあ」
「しーらない」
楽しげで。
無責任で。
どこまでも、他人事だった。
───
ジャスティスの胸が、強く脈打った。
白い光。
勇者のしるしが、胸の奥でゆっくりと、だが確かに脈を早めていく。
「痛い……!」
剣を支え、膝をつく。
呼吸が乱れる。
胸の内側を、熱い針で突かれているみたいだった。
「なんだ……これは……!」
光が強い。
だが、いつもの光ではない。
やさしく満ちる光ではない。
何かに呼ばれ、何かに引かれ、無理やり脈を合わせさせられている。
その反対側。
セレンもまた、足を止めていた。
「……っ」
胸騒ぎ。
胸の奥で、白いものが灯る。
小さく。
だが無視できないほど、はっきりと。
鼓動に重なる。
熱とも違う。
痛みとも違う。
けれど、確かに危うい。
「一体、なにが……」
───
前線を見やる。
白と金の光。
その中心に、バニングがいる。
バニングは止まらない。
振るうたび、半月状の衝撃波が広がっていく。
最初は一筋。
次は二つ。
そして今は、戦場を横に薙ぐほどの幅を持ち始めていた。
しかも、色が変わる。
白だったはずの光に、黒が滲む。
金だったはずの輝きに、紫が混ざる。
白から黒へ。
金から紫へ。
半月はもはや神聖でも清浄でもない。
何か別のものへ変質しながら、なお勢いだけを増していく。
連合軍前列から悲鳴が上がった。
「止まれ!」
「それ以上前へ出るな!」
「勇者バニング! 止まれ!」
だが届かない。
バニングは穏やかな顔のまま、もう一度腕を上げる。
光が集まる。
集まりすぎる。
その足元の土が、白く灼け、次には黒ずみ、最後には紫の燐光を帯びた。
周囲の兵が後ずさる。
味方であるはずなのに、近づけない。
ジャスティスは胸を押さえたまま、息を詰める。
「まさか……」
分かってしまった。
これは共鳴だ。
勇者のしるしが、互いを呼んでいる。
同じ戦場。
三人。
三つの力。
そして、その中心にいるバニングだけが、止まり方を失い始めている。
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