30 聖別武器、全開放
──平原。
連合軍前線。
角笛が鳴る。
最初に動いたのは地上ではなかった。
上空。
竜騎士が散開する。
朝霧の上を滑るように飛び、黒軍の布陣を舐める。
竜の目。
騎手の目。
その両方で戦場を刻んでいく。
「中央、黒旗密集!」
「右翼、戦象確認!」
「黒鹿毛の騎兵、左へ寄る!」
「黒狼、中央前進!」
声が風に乗る。
旗が振られる。
地上の伝令が走る。
人族は、地上で勝てる軍ではない。
だからこそ、まず上から盤面を握る。
丘の上。
連合軍の指揮所では、竜騎士からの報が次々と読み上げられていた。
「戦象、赤軍右翼寄り!」
「ヴァイレン・ヴァーレス、中央!」
「黒騎兵、両翼へ展開中!」
聖騎士団幹部が歯を食いしばる。
「上から見続けろ」
「黒騎兵の回り込みを見逃すな」
「はっ!」
号令が飛ぶ。
「弓兵、前!」
「弩兵、装填!」
「魔法兵、火列用意!」
連合軍前列のさらに後ろ。
弓兵が一斉に弦を引く。
弩兵が足を踏ん張る。
魔法兵たちの掌に赤い光が集まる。
黒軍はまだ走ってくる。
槍を揃え。
黒鹿毛の騎兵を前へ押し。
黒土の上から、そのまま平野へ流れ込んでくる。
「撃て!」
最初の矢が空を埋めた。
火矢。
赤い尾を引いて落ちる。
続けて弩。
さらに光熱の矢。
熱が走る。
炎が裂ける。
黒軍前列へ、火の帯が叩きつけられた。
黒鹿毛の騎兵が身を沈める。
数騎が転ぶ。
盾に火が散る。
槍列がわずかに揺れる。
「もう一射!」
「戦象の目を狙え!」
「脚だ! 脚を焼け!」
人族側の攻撃は、勝つための打撃ではなかった。
削るため。
厚みを落とすため。
押しの勢いを一枚でも薄くするため。
火矢が、赤軍の戦象の顔前へ落ちる。
鼻先が揺れる。
巨体が一瞬だけ足を止める。
魔法兵が叫ぶ。
「工兵列を見ろ!」
「旗持ちを落とせ!」
「黒狼の周辺を削れ!」
ヴァイレン本人は止まらない。
止めきれない。
だが、その周りを削れば、押しの厚みは落ちる。
それが連合軍の最初の考えだった。
空では竜騎士が旋回している。
「中央、まだ厚い!」
「戦象再前進!」
「黒騎兵、右翼へ流れた!」
報が降る。
地上が応じる。
「右翼へ伝令!」
「槍列詰めろ!」
「弩兵、三列目まで前へ!」
火矢がまた降る。
今度は、黒軍中央の重兵へ。
盾が焦げる。
黒鎧が熱を弾く。
何人かは倒れる。
だが、それでも黒軍は止まらない。
火の雨が、また黒軍へ落ちた。
連合軍は、空から戦場を読み、
火で削り、
防御で耐え、
その間に、地上の壁を整えていく。
まだ押し返せてはいない。
だが、ただ踏み潰されるだけでもなかった。
魔王軍本陣、軍議の天幕。
──数刻前。
広い幕内に、青白い立体図が浮かんでいた。
龍脈を通じて得られた戦域情報である。
砦。
橋頭堡。
街道。
川筋。
乾燥地帯。
その上を、小さな光の駒が移動していた。
魔将たちが並ぶ。
レイゼンは椅子に座ったまま、それを眺めている。
参謀が一歩進み出た。
眼鏡の奥の視線は、図から外れない。
「連合軍、推定二十万」
「昨日の被害は七千程と予想されます」
杖の先が、正面の広い戦列をなぞる。
「中央に聖王国本軍」
「左翼に諸侯軍」
「右翼に騎士団」
「後方に補給線」
「上空には竜騎士」
バルクスが鼻を鳴らした。
「まだまだ多いな」
参謀は頷きもしない。
「ですが密度にばらつきがあります」
「中央は厚い」
「左右は広く、伸ばしている」
「一点を抜くより、面で押し潰す布陣です」
立体図の上で、黒い駒が光る。
「対して我が方は六万四千」
「橋頭堡と大型砦を軸に迎撃」
「中央前面に重歩兵」
「砦上に魔力弓兵」
「中央右寄りに赤軍戦象」
「右翼をルイ隊」
「左翼をバルクス隊」
「中央後方指揮をヴァイレン様」
ルイが目を細める。
「補給は」
参謀が即答する。
「現時点で安定」
「水場、黒土外縁、荷駄路とも維持」
「魔界との接続も安定」
エルンが腕を組む。
「砦上の火力は」
「維持可能です」
「ただし連合側は聖別武器を出してきます」
幕内の空気が少し変わった。
参謀は、別の光を立体図に重ねる。
「確認された聖別武器は三種」
「聖別槍」
「聖別矢」
「聖別剣」
杖先が光点を叩く。
「聖別槍は重装歩兵と聖騎士団前列に配備」
「対魔族戦での貫通補助が目的」
「聖別矢は砦上、長弓兵、弩兵へ分配」
「魔力矢ほどの面制圧はありませんが、対個体への通りが良い」
バルクスが顔をしかめた。
「面倒だな」
「ええ」
参謀は淡々と続けた。
「聖別武器そのものが盤面を返すわけではありません」
「ですが、我々の優位である貫通と押し込みを一段鈍らせます」
ヴァイレンが、後方の駒を見ながら言う。
「で、どこが折れる」
参謀が杖先で右翼を示した。
「連合右翼です」
「諸侯軍・辺境伯軍は実務に優れる反面、勇者を持たない」
「中央が勇者戦へ寄れば、ここが最も薄くなる」
「ルイ隊が押すべきはここです」
続けて左翼を示す。
「左翼は兵数は多い」
「ただし諸侯軍混成で連動が鈍い」
「バルクス隊が圧をかけ続ければ、戦列は乱れます」
中央へ戻る。
「中央は正面から砕かない」
「勇者が出た場合、封じます」
「削り、止め、盤面から隔離する」
「それで十分です」
ヴァイレンが口の端を吊り上げる。
「要するに、勇者を殴りに行くなってことか」
「はい」
参謀は即答した。
「勇者は強い」
「ですが、一枚です」
「中央に縛れば、他面を取れます」
沈黙。
レイゼンはなお立体図を見ていた。
黒土の縁。
砦。
街道。
乾燥地帯。
移住圏。
どれも、戦場である前に盤面だった。
参謀が、そこでわずかに声を低くした。
「それと──」
天幕の空気が変わる。
「紫の兵を確認しました」
バルクスが顔を上げる。
「……なんだと」
参謀は答える。
「紫の有角の人型です」
沈黙。
エルンの目が細くなる。
「魔界の者か?」
ヴァイレンが舌打ちした。
「チッ」
そして、横を見る。
「……兄貴」
目配せ。
レイゼンは小さく頷いた。
ヴァイレンが言う。
「ちげぇ」
「勇者だ」
バルクスが眉をひそめる。
「なんだと?」
「だが教会の勇者は──」
ヴァイレンが遮る。
「前の戦いで仕留め損なった」
低い声だった。
「紫に横から掻っ攫われたやつがいる」
天幕が静まり返る。
レイゼンが口元に手を当てる。
「……紫の勇者」
───
枢機卿が声を張った。
「勇者ジャスティスを前へ!」
「中央を押し返せ!」
金髪の勇者が、中央前線へ進み出る。
紫の目が、黒の陣を睨む。
剣を抜き、聖光を纏う。
その動きを、ヴァイレンは後方から見ていた。
丈八蛇矛を掲げる。
合図だった。
ハルド隊が動く。
黒の盾兵が何列も前へ出る。
半円を描くように広がり、ジャスティスの正面を厚く囲った。
「来るぞ!」
「受けろ!」
「前列、下がるな!」
ジャスティスが踏み込む。
聖光が剣へ走る。
次の瞬間、十字の光が前方を薙いだ。
「聖光十字斬──!」
光が黒の前面を裂く。
盾が弾ける。
兵が吹き飛ぶ。
一面が押し返される。
だが、割れない。
倒れた前列の隙間へ、次の盾兵がすぐに入る。
半円の厚みが崩れない。
押されても押されても、外縁だけを削らせて中へ通さない。
前列が受け、
後列が詰め、
横列が閉じる。
黒は、勇者を正面から討ちに行っていなかった。
中央に縛る。
それだけで十分だった。
ジャスティスが歯を食いしばる。
「……私を封じるつもりか……!」
答えはなかった。
中央後ろ。
ヴァイレンは動かない。
ただ、盤面を見ている。
ヴァイレンが砦上の弓兵へ短く指を飛ばす。
凄まじい速度で魔力矢が走る。
中央右寄りでは、赤の戦象が鼻を鳴らしながら圧をかける。
進ませすぎず、崩れすぎず、ただ中央の密度を保つ。
その間に、右翼ではルイが声を飛ばしていた。
「今です!」
「右翼を押し込め!」
「勇者は中央で止まっている!」
左翼では、バルクスが前へ出る。
「押せ!」
「今なら抜ける!」
中央に勇者を縛る。
その隙に、他面で盤を取る。
それが黒の答えだった。
───
ジャスティスの聖光十字斬は強い。
確かに面を押す。
だが、押し切れない。
光で削っても、黒の半円陣はなお残る。
その間に、右翼が崩れ、左翼が押される。
勇者は前へ出ている。
なのに、戦場全体は返らない。
伝令が駆け込んだ。
「報告! 勇者ジャスティス、中央で封じられております!」
「押し返してはいますが、抜けません!」
「ええい!」
枢機卿が怒鳴り返した。
その声には、もはや判断より苛立ちが濃かった。
「聖別武器、全開放!」
一瞬、場が止まる。
次の瞬間、教会側の兵たちが封印箱を開いた。
白布に包まれていた武具が露わになる。
聖別槍。
聖別剣。
聖別弓。
聖別錫杖。
それらが兵の手へ渡ると同時に、神聖術が解放された。
白の前線が押す。
槍が熱を帯び、
剣が光を引き、
矢が尾を曳いて黒軍へ突き刺さる。
黒盾が焼ける。
土が灼ける。
黒軍前列が、半歩、また半歩と下がった。
「押せ!」
「今だ!」
「黒土まで返せ!」
連合軍の兵が叫ぶ。
確かに効いていた。
昨日より明確に、黒は押し返されている。
押している。
だが、押し潰しているわけではない。
白の前線は前へ出るたび、同じだけ熱と消耗も抱え込んでいた。
聖騎士団の隊長が歯を食いしばる。
「前へ出ろ!」
「止まるな!」
枢機卿が叫ぶ。
「これぞ神兵の姿だ!」
歓声が上がる。
司祭たちが祈りを重ねる。
兵たちの顔が、ようやく少しだけ上を向く。
だが。
熱光は自分達をもジリジリと焼く。
───
白の前線が、押していた。
槍が光を噴き、
剣が熱を引き、
弓矢は眩い尾を曳いて黒軍へ突き刺さる。
連合軍の兵が叫ぶ。
確かに押している。
昨日とは違う。
黒軍は初めて、明確に下がっている。
だが。
勝っている顔ではなかった。
前線を包む白い光は濃い。
濃すぎる。
熱がこもる。
魔力の消費が激しい。
眩しさのわりに、誰の胸にも晴れやかなものがない。
聖騎士団の隊長が、歯を食いしばったまま叫ぶ。
「前へ出ろ!」
「止まるな!」
言いながら、自分でも分かっている。
押してはいる。
だが、綺麗に押せていない。
白の列が前へ出るたび、
焼けた地面が靴裏に嫌な熱を返す。
聖別武具の光が強いほど、
兵たちの顔から余裕が消える。




