表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒狼の航路(ブラックルート) ― 魔王戦記  作者: 一場れい
第二部 魔王戦争編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
89/100

27 紫の毒

  連合軍本陣、軍議の間。


 重い扉が閉じる。

 外では、敗残兵の足音と、担架の軋む音がまだ止んでいなかった。

 長卓を囲むのは、聖騎士団団長、聖騎士団幹部、各国の軍部、辺境伯、教会幹部、枢機卿、教皇。

 その端に、エルフ幹部も座している。

 誰も、すぐには口を開かなかった。


 最初に立ったのは、聖騎士団団長だった。

「報告する」


 低い声。

 それだけで、室内の空気がさらに張った。


「大砦戦、我が方は後退」

「勇者ジャスティスは、勇者セレンに敗北した」

「橋頭堡の破砕は失敗。黒軍はなお外縁を維持し、前進可能な形を保っている」


 沈黙。


 続いて、聖騎士団幹部が口を開く。

「損耗は軽くありません」

「騎兵、弓兵、前衛歩兵、いずれも損耗。士気の低下も確認されています」

「とくに、勇者が止められた、という一点が大きい」


 各国軍部の一人が顔をしかめた。


「橋頭堡など、ただの先遣拠点と見ていた。だが違う」


「工兵」

「補給」

「巫術」

「騎兵の巡回」


「どれも初動の規模ではない。あれは局地拠点ではない。前線国家の核だ」


 辺境伯が、机に片手を置いた。

「砦線だけでは止まらん」


 短く、断言した。


「壁は敵を遅らせる」

「だが、あれは壁の前で止まる軍ではない。壁の外に、先に根を張る軍だ」


 教皇が、ようやく顔を上げる。


「確認する」

「ジャスティスは、勇者セレンに敗れたのだな」


 聖騎士団団長が頷く。


「はい」

「勇者同士の戦闘となり、ジャスティスは退きました」


 聖騎士団幹部が報告板を開いた。


「こちらの損耗は想定以上です。橋頭堡へ圧をかけ続ければ、明日以降さらに兵が足りなくなります」


 各国軍部の一人が、すぐに噛みつく。

「足りないのは兵だけではない」

「補給だ。徴発路も細い。荷駄が追いついていない」

「このまま砦線へ兵を張り付け続ければ、先にこちらが詰む」


 教会幹部が、冷えた声で言う。

「だからといって、弱さを民に見せるわけにはいかぬ」

「聖戦は始まった。ここで退けば、西方の諸国は動揺する」


 辺境伯が、視線も向けずに返した。

「民はもう見ている」


 その一言で、場が止まった。


「空を裂いた黒門を、砦の外に広がる黒土を、敗残兵の顔をな」

「見せぬ、で済む段階は過ぎた」


 枢機卿が眉を吊り上げる。

「元はといえば、あの裏切り者だ」

「勇者セレン」

「魔族へ与した者の存在が、兵の心を乱している」


聖騎士団幹部が、少しだけ口を引き結んでから答えた。

「訂正します」

「勇者同士の交渉はありました。そのうえで決裂しました」


 枢機卿の目が細くなる。


「交渉?」


「はい」

「勇者セレンは、ジャスティスへ退くよう促しました」

「勇者を兵器のように扱うな、と。戦を止めたい、とも」


 場の空気がわずかに変わる。


 枢機卿が吐き捨てる。

「欺瞞だ」


 聖騎士団幹部の声も硬くなった。

「その後、戦闘に入り」

「ジャスティスは止められました」


 各国軍部の一人が低く言う。

「勇者の力を信用しすぎだ」


 別の軍部も続ける。

「最初から戦力想定が甘い」

「勇者一枚で橋頭堡を砕けると見た時点で、誤った」


 教会幹部が机を叩いた。

「聖戦の名の下に退けぬのだ!」


 辺境伯が即座に返す。

「名分では壁は守れない」


 沈黙。


 その時だった。


 扉の外で足音が止まる。


 次いで、伝令の声が響いた。

「急報! 紫の使者、再来!」


 室内の空気が、別の意味で止まった。


 辺境伯の一人が眉をひそめる。

「紫?」


 騎士団幹部が顔を向ける。

「紫とは何だ」


 答える者がいないうちに、扉が開いた。


 入ってきたのは、紫の角を持つ魔族だった。

 一瞬、椅子が軋む。

 誰かが立ちかける。


 聖騎士団の手が剣へ伸びる。

「魔族!」


 だが、紫の使者は気にした様子もない。


 むしろ、場違いなほど穏やかに微笑んだ。

「おやおや。皆様おそろいで」


 その傍らに、もう一人立っていた。


 勇者バニング。


 室内の誰もが目を見開く。


 顔色は悪くない。

 立っている。

 穏やかな顔で、静かに前を向いている。

 少なくとも、死にかけの捕虜には見えなかった。


 紫の使者が優雅に一礼する。

「地上の危機と伺い、勇者バニングを連れて馳せ参じました」


 場が、嫌な意味で静まり返る。


 枢機卿の喉が鳴る。


 辺境伯は露骨に目を細めた。


 聖騎士団長だけが、苛立ちを隠さず言う。

「何の真似だ」


 紫の使者は答える。

「単純な話です」


「条件次第で、勇者バニングを即時返還いたします」


 その一言で、議場が揺れた。


 ジャスティスは届かない。

 セレンは敵側。

 そこへ戻るバニングは、ただの戦力追加ではない。

 今の連合軍にとっては、喉から手が出るほど欲しい札だった。


 教皇が低く問う。


「申せ」


 紫の使者は薄く笑った。


「紫イシリスと西方教会の直接交易を認めよ」

「討伐対象から紫を外せ」

「我ら紫の移住を認めよ」


 沈黙。


 各国軍部が顔をしかめる。

 辺境伯は無言。

 教会幹部は、露骨に不快を浮かべた。


「ふざけるな」

「この局面で利を貪るか」


 紫の使者は肩をすくめる。


「局面だからだ」


 その間、エルフ幹部だけが、卓上の地図を見ていた。

 黒土の広がり。

 砦線。

 川筋。

 静かに読み取る。


 辺境伯が低く言う。

「だが、勇者が一人戻るなら戦力は違う」


 軍事貴族も苦い顔で頷く。

「現に、我らは勇者二人を欠いている」


 聖騎士団長が苛立ちを隠さず机を叩いた。

「砦戦の最中に政治を挟むな」


「今は戦線を立て直す時だ」


 その言葉に、誰も反論しない。


 紫の使者は、その沈黙を楽しむように目を細めた。

「ついでに、魔王軍の情報をやろう」


「これは何の価値もない」

「ゆえに、ただで教えてやる」


 枢機卿の眉がひそむ。

 使者は気にした様子もなく続けた。


「魔王軍は、たった六万ではない」

「あれは遠征軍だ」


 その一言が、重く落ちた。


「戯言だ!」

「攪乱か!」

「証拠はあるのか!」

「ではあれで前哨にすぎぬというのか!」

 教会幹部も、各国軍部も、聖騎士団幹部も一斉に声を上げる。


 紫の使者は動じない。


「信じぬなら、それでもよい」

「だが、ジャスティスが止められたこと」

「橋頭堡が崩れなかったこと。その整合は取れるはずだ」


 誰かが息を呑む。

 辺境伯の顔から血の気が引く。

 教皇だけが、微動だにしない。


 紫の使者はさらに言った。


「そして」


「秋の収穫を終えれば。農民の徴兵が始まる」


 その場にいた全員が、その意味を理解した。


 六万ではない。

 あれは前触れに過ぎない。

 本軍が本格的に動けば、防衛線など一枚ずつ剥がされる。


 紫の使者は、穏やかに、だが冷たく笑う。


「さて」

「この話を聞いてなお、我らを敵に回すか?」


 辺境伯たちが沈黙する。


 枢機卿は顔を強張らせる。


 聖騎士団長は奥歯を噛みしめたままだ。


 勇者バニングは、ただ静かに立っていた。

 その穏やかさが、かえって不気味だった。


 教皇はしばらく黙っていた。


 やがて、低い声が落ちる。


「勇者バニングは、本当に戻るのだな」


 紫の使者は笑みを深くした。

「ええ。我らは約束を違えません」


「移住先はどこだ」


「小さな土地で結構」

「黒と競合しない乾燥地帯でもよい。こちらも、住めればよいので」


 その言い方が、余計に厄介だった。


 略奪ではない。

 征服ですらない。

 生きるための要求。


 それを真正面から拒絶すると、自分たちの理屈まで傷つく。


 枢機卿が呻くように言う。

「魔族の移住だと」


 辺境伯の一人が言う。

「だが、勇者が戻るなら」


 軍事貴族も続ける。

「今この局面で、それを切る余裕があるか?

 聖騎士団長は険しい顔のままだった。

「魔族を通せば、後で必ず禍根になる」


 エルフ幹部が静かに言う。

「通さずに黒へ呑まれるよりは、まだ選択肢になります」


 また沈黙。

 選べる状況ではない。


 だが、選ばねばならない。


 教皇は最後に、勇者バニングを見た。

「お前は、人族の側に立つのだな」


 バニングは穏やかに答えた。

「はい」


 それだけだった。

 その声音には迷いがない。

 それが、かえってこの取引を現実のものにした。


 教皇はゆっくりと目を閉じる。

 短く、そして深く息を吐く。

 それから目を開けた。


「条件を詰める」


 枢機卿が顔を上げる。

 辺境伯たちも動く。

 聖騎士団長は露骨に不満を残したままだ。


 だが、切れない。


 今の連合軍にとって、勇者バニングは大きすぎた。


 紫の使者は、満足したように目を細めた。

「賢明です」


 その笑みは穏やかだった。

 だが、その穏やかさの奥にある冷たさを、誰も見誤らなかった。


 教皇は続けた。

「ジャスティスが止められた」

「セレンは敵にある」

「黒が遠征軍にすぎぬ可能性も高い」

「ならば、次の勇者を戦場へ戻すしかない」


「同時に、諸国へ追加動員を命じる」

「一週間から十日で兵を集めよ」

「砦線戦ではない」

「総力戦へ移る」


 辺境伯が、ゆっくりと頷く。


 各国軍部も、苦い顔のまま黙った。


 聖騎士団団長は、ただ目を伏せる。


 枢機卿は不満を呑み込んだ。


 紫の使者だけが、静かに一礼した。


 会議は終わった。


 だが、誰も勝ち筋を見た顔はしていなかった。



最後まで読んでくださりありがとうございます。

面白い、続きが気になると思われた方は、ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで応援をしていただけると嬉しいです。


感想もお待ちしております!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ