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黒狼の航路(ブラックルート) ― 魔王戦記  作者: 一場れい
第二部 魔王戦争編

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83/100

21 前哨戦1

前哨戦1回目です

 橋頭堡の一角。


 補給天幕の裏で、女兵たちがごそごそと荷箱を漁っていた。

「お、あったあった」


 黒い兜が持ち上がる。

 額から二本、短い角が突き出した兜だった。

 魔族兵用。


 本来は角を避けるため、深く割られた独特の形をしている。


 セレンは、それを見て目を瞬いた。

「……それ、私にですか?」


「そうだよ」

 女兵が当然のように頷く。


「前線近くうろつくなら、少しでも紛れた方がいいだろ」


「人族の斥候に一目で勇者ですってバレたら困るしな」


 別の女兵が兜を受け取り、セレンの頭に軽く載せた。

 まだ少し大きい。

 額の位置を押し込み、顎紐を引く。


「んー……」


 横から別の女兵が覗き込む。

「まぁ、これならバレないだろ」


「どうかなぁ」

 即座に別の声が飛ぶ。


「髪でバレんじゃね?」


「遠目じゃわかんねーよ」


「近くで見たらそりゃ無理だけど」


 くつくつと笑いが漏れる。


 セレンはそっと兜の角に触れた。

 硬い。

 冷たい。

 自分の頭から角が生えているみたいで、なんとも落ち着かない。


「……変じゃないですか」


「変ではある」


「あるんかい」


 女兵たちが笑う。


「でも今のあんた、補給板持ってなきゃ普通に黒の若い兵に見えるぞ」

「口開くとちょっと怪しいけどな」

「あと顔が優しすぎる」

「それはもうどうしようもない」


 セレンは少しだけ頬を膨らませた。

「努力でなんとかなりませんか」


「その方向の努力はいらねぇよ」

 角付き兜の位置を最後に直して、女兵が満足げに腕を組む。


「よし」


「死角から見りゃ、まず勇者には見えん」


「正面から見ても、黒の兵には見える」


「可愛いけどな」


「だから余計なこと言うなって」


 また笑いが起きる。


 その時、少し離れた場所を通りかかったヴァイレンが、ちらりとこちらを見た。


 視線が止まる。


 一拍。


 それから低く言う。


「……何やってんだ」


 女兵の一人が胸を張る。

「偽装です」

「セレン様、前線近くで目立ちすぎるんで」


 ヴァイレンは無言でセレンを見る。


 黒い角付き兜。


 補給板。


 不慣れそうな顔。


「……」


 少しだけ、眉が動いた。


「どうでしょう」


 セレンがおそるおそる聞く。


 ヴァイレンは鼻を鳴らした。

「遠目なら誤魔化せる」


「ほら見ろ!」

「でも近くで見たら無理だな」

「そこまで求めてねーよ!」


 女兵たちが一斉に突っ込む。


 セレンは小さく息を吐いた。


 少しだけ、肩の力が抜ける。


 女兵が背中を軽く叩いた。


「ま、完璧じゃなくていいんだよ」


「一目で勇者って分からなきゃ、それで十分だ」


 セレンは頷く。


「……はい」


 黒い兜の角が、晩夏の光を鈍く返した。


 ────


 黒土外縁 


 橋頭堡の周囲は乾いていた。

 だが死地ではない。

 川筋と井戸帯に沿って草は残り、獣人の小集落が飛び石のように点在している。

 人族の耕村より、放牧地と獣道の方が多い土地だった。

 ゆえに黒軍が最初に押さえたのは村ではない。

 水場、街道、龍脈、そして野営に足る平地である。


 そして、動いたのは冒険者だけではなかった。

 晩夏の朝。


 黒土の外縁では、朝から杭を打つ音が響いていた。


「補給車どけろ!」

「巫術線、切らすな!」


 工兵が怒鳴る。

 黒土の縁は、まだ固まりきっていない。

 橋頭堡はできた。

 だが、出来たばかりだ。

 壊すなら今。

 人族がそう考えるのは当然だった。


 本陣天幕。


 参謀が地図を見たまま言う。

「部隊が接近中です」


「急拵えです」

「近場の守備隊、傭兵団、教会兵の混成」

「数だけはいます」


 レイゼンは頷く。

「まずは前哨戦だ」


「数を測る」

「質も測る」

「こちらも見せる」


 視線が動く。


「ハルド。右翼」

「寄せるな。追うな」


「はっ」


「ルイ。左翼」

「弓を一段上げろ」

「工兵を守れ」


「承知」



「バルクス」


 巨躯の魔将が顔を上げる。


 レイゼンの指が、小砦を叩く。


「お前は別働だ」

「龍脈上の砦だ」

「そこを抑える」


 バルクスが笑う。

「壊していいか」


「残せるなら残せ」

「無理なら砕け」

「巫術部隊を一つ連れていけ」


「はっ」


 ヴァイレンへ視線が向く。


「中央はお前に預ける、橋頭堡を割らせるな」

「工兵線は守れ」

「抜けたものだけを潰せ」

「だが、追うな」


 ヴァイレンが露骨に嫌そうな顔をした。

「は?」


「敵は橋頭堡を崩しに来る」

「なら、お前はその牙を折れ」

「深追いは不要だ」


 ヴァイレンは鼻を鳴らす。


「……了解」

 セレンへ向く。


「補佐官見習いのまま」

「後送、補給、伝令」

「前に出るな」


「はい」


「ただし、詰まらせるな」

「導線を空けろ」


「はい!」


 レイゼンは最後に全員を見渡す。


「始めるぞ」


 ⸻


 最初の火矢は、外縁の杭に刺さった。


 黒布が燃える。

 工兵が怒鳴る。


「敵襲!」


 続けて矢。

 今度は荷車の側板に刺さる。

 工兵の一人が肩を抜かれて倒れた。


 黒軍の空気が一気に締まる。


「盾上げろ!」

「弓、前!」

「補給を下げろ!」


 左でルイが弓兵を動かす。

 右でハルドが騎兵の鼻先を揃える。


「出すな!」

「まだ出すな!」

「寄せてから食え!」


 黒土の外。

 朝靄の向こうから、人族の混成部隊が出る。


 旗が揃っていない。

 装備も揃っていない。

 守備隊。

 教会兵。

 傭兵。

 寄せ集めだ。


 だが狙いははっきりしていた。


 工兵。

 補給車。


 橋頭堡を削りに来ている。


 ⸻


 少し後ろ。

 セレンは補給板を抱えて走っていた。


「後送路あけて!」

「水は西!」

「薬草箱はまだ開けないで!」


 女兵が応じる。

 補給兵が荷をずらす。

 負傷した工兵が担ぎ込まれる。

 肩から血が流れていた。


「包帯!」

「止血先!」


 伝令が飛び込んでくる。


「西の補給車が危ない!」

「敵小隊が回り込んでる!」


 セレンが顔を上げる。


 西。

 そこが抜かれたら、後送が詰まる。


 前からヴァイレンの声が飛ぶ。


「ルイ! 左閉じろ!」

「ハルド! 右翼は出しすぎるな!」

「中央、まだ動くな!」


 そして。


「セレン!」


 反射で振り向く。


「東の荷を下げろ!」

「後送路、空けとけ!」


「はい!」


 走る。

 考えるより先に足が出る。

 訓練場。

 魔力を流したまま何度も走らされた。

 あれが、ここで繋がる。


 荷車の隙間へ滑り込む。

 補給兵に怒鳴る。


「こっち下げて!」

「道を空けて!」

「そこ塞がない!」


 兵が動く。

 箱がずれる。

 導線が開く。


 その瞬間、敵が来た。


 盾兵二人。

 傭兵三人。

 火壺持ち。


 補給車に火を入れるつもりだ。


 女兵が槍を構える。

 だが一歩遅い。


 セレンが剣を抜く。


 迷う。

 ほんの一瞬だけ。


 でも、止めるしかない。


 正面からは行かない。

 前で止める。

 火壺を落とさせる。


 剣を打つ。

 腕を払う。

 火壺が地面に落ちる。

 別の男の刃を受ける。

 重い。


 けど、足が残る。


 外周を走った。

 魔力を流した。

 倒れるまで回った。

 全部、無駄じゃなかった。


 受ける。

 流す。

 一歩ずらす。

 補給車の前へ入らせない。


「なんだこいつ!」


 傭兵が吐き捨てる。


 セレンは答えない。

 息が熱い。

 腕が痺れる。

 でも引かない。


 ⸻


 次の瞬間。


 轟。


 土が跳ねた。


 敵の隊列が、まとめて横へ吹き飛ぶ。


 ヴァイレンだった。


 丈八蛇矛が一閃する。

 盾ごと叩き飛ばす。

 後ろの一人が転がる。

 もう一人の喉元に穂先が止まる。


 ヴァイレンは敵を見たまま言う。


「下がれ」


 セレンへの声だった。


「……まだ」


「前出すぎだ」


 低い。


 叱る声だ。

 だが背中を押してくる声でもある。


 セレンは悔しそうに歯を食いしばる。

「……はい」


 ヴァイレンはもう次を見ている。


「中央、押すな!」

「散ったの拾え!」

「追うな! 返して終わりだ!」


 ハルドの騎兵が右翼で押し返す。

 ルイの弓兵が左で切る。

 黒軍は膨らまない。

 崩れない。

 押して、戻す。

 それだけで敵が削れる。


 西の方角で別の轟き。

 バルクスだ。

 巨槌が石を割る音がここまで響く。


「……取ったな」


 誰かが呟く。


 勝負はそこで決まった。


 急拵えの混成部隊は押し切れない。

 橋頭堡は崩れない。

 杭は残る。

 補給車も燃えない。


「引け!」

「撤退!」


 人族側が下がる。


 黒軍は追わない。

 必要なぶんだけ返す。

 それで終わる。


 短い戦だった。


 だが、血は出た。

 工兵は倒れた。

 補給兵も傷を負った。

 地上側も死体を置いていく。


 最初の血だった。


 ⸻


 昼前。

 後送天幕。


 セレンは手を洗っていた。

 指先を浅く切っている。

 女兵が布を押しつける。


「前出すぎ」


「……すみません」


「死ぬぞ」

「つーか気負いすぎ」


「はい」


 外で足音が止まる。


 ヴァイレンだった。

 汗と土と血がそのままついている。


 しばらく無言。


 セレンが目を伏せる。


「……すみません」


 またそれしか出ない。


 ヴァイレンが鼻を鳴らす。


「謝ってばっかだな」


「……はい」


 沈黙。


「今のは」


 一拍。


「遅くねぇ」


 セレンが顔を上げる。


 ヴァイレンはもう目を逸らしていた。

「前よりマシだ」

「ただ、次は半歩下がれ」


 セレンは小さく背筋を伸ばす。

「……はい!」


 ヴァイレンはそのまま出ていく。


 完全には戻っていない。

 喧嘩したままだ。


 それでも、戦場では通じる。


 そのことだけが、胸に残った。



 ⸻


 夕刻。

 本陣。


 報告が上がる。


「敵小隊では橋頭堡は崩せません」

「西の小砦はバルクス隊が制圧」

「次はもっと大きい面で来ます」

 参謀が立体図の砦線をなぞる。


「次は、小隊戦では済みません」


 レイゼンが頷く。


「砦で来るな」


 ヴァイレンが鼻を鳴らした。


「やっと本番かよ」


 晩夏の熱は、まだ黒土の外に残っていた。

 その向こうで、次の戦の形がすでに出来始めていた。



 聖王国。聖都。大聖堂、議事の間。



 高い天井。

 石の柱。

 祭壇の奥で、蝋燭の火が揺れている。


 その前に、長い机が置かれていた。


 集まっているのは軍だけではない。

 聖王国の中枢。


 教皇。

 枢機卿。

 司祭。

 聖騎士団長。

 そして、国境を守る辺境伯たち。


 机の中央には地図が広げられていた。

 西方大陸南部。

 その一点に、黒い印。


 魔王軍。


 沈黙のまま、報告が続く。


「斥候より報告」


 枢機卿が書板を読む。


「魔族軍、六万以上」

「野営を確認」

「黒い大地が拡張しています」


 部屋が静まり返った。


 辺境伯の一人が低く言う。

「侵攻ではないのか」


 聖騎士団長が答える。


「いいえ」

「駐屯です」


 一拍。


「魔王は、いるようです」


 その時、扉が開いた。

 伝令が駆け込んでくる。


「報告!」

「守備部隊が傭兵団をまとめ、魔族軍と衝突しました!」


「なんだと」

「誰が許可した」


「独断です」

「こちらが、彼らの調査報告書です」


 羊皮紙が机へ置かれる。

 泥。

 血。

 乱れた筆跡。


「犠牲は」

 教皇の声は低い。


「一割ほど」


 辺境伯たちの顔色が変わる。


「小競り合いでか?」

「黒土の外縁に触れただけではなかったのか」


 伝令は唇を引き結ぶ。


「黒土は、人族には重く」

「魔族は、そこで軽く動くと」

「さらに、投槍の間合いが異常に長いとのことです」


 聖騎士団長が紙を取る。


 目が細まる。


「……軍だな」


 誰に向けたでもない声だった。


「魔王軍は軍隊だ」


 辺境伯の一人が吐き捨てる。


「では、なぜ攻めてこない」

「六万もいるなら、もう砦を潰しに来ていていいはずだ」


 その問いに、すぐ答えた者はいなかった。


 やがて教皇が言う。

「待っているのだろう」


 蝋燭の火が揺れる。


「我らが兵を集めるのを」

「周辺国が軍を寄せるのを」

「聖騎士団が揃うのを」


 辺境伯が眉をひそめる。

「なぜ、そんなことをする」


 教皇は地図の黒い印を見たまま答えた。


「一度で潰すためだ」


 その言葉が、石の間に冷たく落ちた。


 誰も反論しない。


 辺境の兵。

 聖王国軍。

 聖騎士団。

 周辺諸国。


 こちらが集めれば集めるほど、相手にとっては都合がいい。

 その可能性を、全員が同時に理解してしまった。


 だが、集めぬわけにもいかない。


 辺境伯の一人が、拳を握る。


「……ならば、なおのこと急がねばならん」

「各国へ使者を出せ」

「砦線を固める」

「黒土の拡張を止める」


 聖騎士団長も頷く。


「聖王国騎士団を前へ」

「白騎士団にも動いてもらうべきです」

「橋頭堡の段階で叩かねば、面になる」


 面。


 その言葉に、何人かが目を上げた。


 黒土は、点では終わらない。

 橋頭堡で止まらない。

 街道。

 丘陵。

 乾燥地帯。

 要衝を押さえられれば、黒は面で広がる。


 そうなれば、もう辺境戦では済まない。


 教皇は静かに言った。


「集めよ」


「聖王国」

「周辺諸国」

「聖騎士団」

「白騎士団」


 視線が全員を射抜く。


「魔王が待つなら」

「こちらも揃えて迎え撃つ」


 だが、その声の底にあるのは決意だけではなかった。


 焦りだった。


 黒は余裕を持って座っている。

 こちらは集めながら息を切らしている。


 その差が、何より不快だった。


 教皇は最後に告げる。


「大型砦を中心に、防衛線を引く」

「勇者ジャスティスも前へ出す」


 部屋の空気がさらに張る。


 もう、小競り合いでは終わらない。


 本格戦が、始まろうとしていた。



最後まで読んでくださりありがとうございます。

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