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黒狼の航路(ブラックルート) ― 魔王戦記  作者: 一場れい
第二部 魔王戦争編

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15 すれ違い

 

 金城、回廊。


 石壁に背を預け、一人の男が立っていた。


 ヴァイレン。


 腕を組み、天井を睨んでいる。


 気配に気づくと、視線だけを動かした。


「……聞いた」


 低い声。


 セレンが足を止める。


 ヴァイレンは壁から離れないまま言った。


「逃げんのかよ」


 胸が詰まる。


「違います、私は……」


 だが言葉が続かない。


 ヴァイレンは吐き捨てるように言う。


「お前にとって魔界(ここ)は」

「都合のいい逃げ場だったのかよ」


 セレンの瞳が揺れる。


「私は……!」


 ヴァイレンは視線を外した。


 怒鳴るでもない。


 熱より冷たさの方が強い声だった。


「どこまでも逃げやがって」


 沈黙。


 セレンは拳を握る。


 言いたいことはある。


 だが、言葉にならない。


 ヴァイレンはようやく壁から背を離した。


 そして、セレンを見ないまま言う。


「……勝手にしろ」


 一拍。


「もう知らねぇ」


 顔を背けられた。


「──っ」


 セレンは早足に歩き去った。


 また逃げた。


 その自覚だけが、胸に刺さる。



 ───



 足音が遠ざかっていく。


 セレンの姿は、もう見えない。


 ヴァイレンはしばらくその場に立っていた。


 握った拳が、わずかに震えている。


 その背後から声が落ちた。


「女を泣かせるとは」


「やるようになったではないか」


 ヴァイレンが振り返る。


 そこに立っていたのはレイゼンだった。


 腕を組み、いつもの無表情。


「……っ」


 ヴァイレンは顔をしかめる。


「泣かせてねぇ」


 レイゼンは小さく息を吐いた。


「早めに済ませておけ」


 ヴァイレンのこめかみに血管が浮く。


「済ませるって何だよ!!」


「言い方ってもんがあるだろ!!」


 レイゼンは淡々と返した。


「感情の問題だ」

「長引かせると厄介になる」


 ヴァイレンは歯を食いしばる。


「……クソが」


 吐き捨てるように言い、そのまま踵を返した。


 回廊を荒々しく歩き去る。



 ⸻



 ヴァイレン私室。


 扉が乱暴に閉まる。


「チッ……」


 誰もいない部屋。


 静まり返っている。


 ヴァイレンは寝台にどさりと倒れ込んだ。


 天井を睨む。


「……いなくてせいせいする」


 吐き捨てる。


「やっとまともに眠れるぜ」


 目を閉じる。


 沈黙。


 ……眠れない。


 目を開ける。


 静かな天井。


 部屋が、妙に広い。


 ヴァイレンは片腕で顔を覆った。


「……クソ」


 低く呟く。


「あんなこと言いたかったんじゃねぇ」


 胸の奥が重い。


 頭に浮かぶのは、あのときの顔。


 セレンの、悲しそうな表情。


「……」


 しばらく黙る。


 そして、ぽつり。


「……行くなって」


 声は小さい。


「言えばよかった」


 沈黙。


 ヴァイレンは目を閉じた。


「……今さらかよ」



 ⸻



 宿舎


 静かな夜だった。


 部屋には、セレン一人しかいない。


 寝台に腰を下ろし、しばらく動かなかった。


 黒の人々は、皆よくしてくれる。


 兵も、文官も、司書も。


 誰も彼女を異端とは呼ばない。


 そして──ヴァイレン。


 危ないときは、いつも前に出た。


 何度も守ってくれた。


 弱い自分を強くしようと鍛えてくれた。


 自分よりもよっぽど熱心だった。


 セレンはゆっくりと横になる。


 広い寝台。


 いつもより、冷たい。


 胸の奥が、きゅっと痛む。


 ぽとりと涙が落ちた。


 止まらない。


「……私」


 声がかすれる。


「逃げてるのかな」


 自分に問いかける。


 人を傷つけたくない。


 人族も。


 魔族も。


 誰も。


 勇者に選ばれたとき、誰かを守れると思った。


 誰かを守りたかった。


 けれど現実は、戦いだ。


 孤児院の工場。

 朝から夜まで働いた日々。


 教会。

 青き血の流れない勇者は、必要とされなかった。


 居場所なんてなかった。


 片道で魔界に向かわされた。


 怖かった、でも運命だと諦め受け入れていた。


 でもここでは違った。


 魔界では、強くなくても、役に立たなくても、誰も追い出さなかった。


 受け入れてくれた。


「……それなのに」


 セレンは目を閉じる。


 涙が頬を伝う。


「私は……」


 小さく呟く。


「臆病で」

「都合のいい理想家」


 沈黙。


 暗い天井。


 胸の奥が、重い。


「……戦を止める方法は」


「ないのかな」


 ぽつり。


 地上と魔界。


 ぶつかる前に。


 止める方法。


 誰も傷つけない方法。


 考えても、答えは出ない。


 ただ、わからない。


 セレンは布団を少し引き寄せた。


 冷たい。


 いつもより、ずっと。


 小さく丸くなる。


「……つめたい」


 寝台は静かだった。




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