14 覚悟を問う
選択を迫られる日は、いつも静かにやってくる。
火事の翌日。
淡く浮かぶ惑星投影──地上の地図が、空中に静かに広がっている。
セレンは、その前に立っていた。
レイゼンは机の向こうで、書板から目を上げる。
「勇者」
低い声。
「貴様に聞く」
セレンの背筋が伸びた。
「我らは地上と戦う」
短く。
断定だった。
「この戦は避けられん」
「魔界の天蓋が崩れれば、ここにいる者は滅ぶ」
「魔界が崩れれば地上も巻き込まれる」
一拍。
「ゆえに、私は地上へ出る」
作戦室の空気が張る。
セレンは唇を結んだまま、黙って聞いていた。
レイゼンは続ける。
「だが」
「貴様を、そのまま戦場に立たせる気はない」
セレンの瞳がわずかに揺れる。
「覚悟のない者は、敵より危険だ」
「迷えば綻ぶ」
「綻べば、味方が死ぬ」
「勇者の力だけが暴れれば、敵味方まとめて殺す」
静かな声だった。
怒気はない。
だからこそ重い。
「中途半端が、最も危うい」
セレンの喉がかすかに鳴った。
レイゼンは手をかざす。
空中の地図が動く。
西方大陸。
そして、さらに遠くの東方大陸。
「選べ」
その一言が落ちる。
「黒につき、戦うか」
「地上へ戻るか」
沈黙。
セレンはすぐに答えられなかった。
指先が、わずかに震える。
戦う。
それは人族に剣を向けることだ。
戻る。
それは黒を捨てることだ。
どちらを選んでも、どちらかを切る。
その重さが、胸に沈む。
「……私は」
言葉が続かない。
レイゼンは待たない。
だが、急かしもしない。
「優しさの問題ではない」
「どちらに立つかの問題だ」
淡々と告げる。
「人族を傷つけたくない」
「黒にも恩があります」
「どちらも捨てたくない」
一拍。
「その答えでは、戦場に立てぬ」
セレンの顔が強張る。
レイゼンの視線はまっすぐだった。
「黒につくなら、黒の勇者として立て」
「出来ぬなら、東方大陸へ送る」
その言葉で、空気がさらに冷える。
「名を変え、過去を捨てれば生きられる」
「人族に剣を向けずに済む」
「貴様はよくやった、我らに絆の力をもたらした」
「私は約束を守る、地上に返してやろう」
セレンの瞳が揺れた。
地上に戻る。
だが教会ではない。
戦わずに生きる道。
それは救いのようで、同時に逃げ道でもあった。
レイゼンは最後に言う。
「戦うか」
「去るか」
短く、切り捨てる。
「選べ」
沈黙。
セレンは地図を見た。
西方大陸。
東方大陸。
黒耀城。
そのどれにも、自分の居場所があるようで、ないように思えた。
「……少しだけ」
「考える時間を、ください」
やっと絞り出した声だった。
レイゼンはわずかに頷く。
「よかろう」
それだけ言って、視線を地図へ戻す。
面談は終わった。
だが、セレンの中では何も終わっていなかった。
作戦室を出るとき、胸の奥に残っていたのは恐怖ではない。
選べないままでは、誰かを守ることすら出来ないという、冷たい現実だった。
セレンは、自分が前より役に立てていると分かっていた。
伝令役として褒められた。
訓練では、戦場さながらの距離を走り切れるようになってきた。
魔力を通せば、多少ぶつかっても倒れにくい。
着実に成長している。
それは、もう自分でも実感していた。
黒のみなには恩がある。
ヴァイレン。
レイゼン。
リュミエラ。
女兵たち。工兵たち。兵士の皆。
皆、よくしてくれた。
居場所をくれた。
役目をくれた。
育ててもくれた。
なのに。
人族を傷つけたくない。
その思いだけは、消えなかった。
いま自分が受けている訓練は、地上と戦うためのものだ。
人族と戦うためのものだ。
天蓋には罅が入った。
落石被害も出た。
死者も少なくない。
あと何度か同じ規模の被害が出れば、魔界は滅ぶという。
レイゼンは怒っていなかった。
感情で地上へ向かおうとしているのではない。
報復でもない。
天蓋被害を止めるため。
魔界に平和をもたらすため。
種族の未来を守るため。
そのために、地上へ侵攻するのだと語った。
勇者を止める。
平和のために戦う。
未来のために戦う。
理屈は分かる。
分かってしまう。
けれど、セレンは人族だった。
人族を傷つけたくない。
もともと自分は、人族を脅かす魔王を討てと送り込まれた。
単身で。
敗北し、命だけは残された。
役に立てば返してやる。
そう言われて、黒に留まった。
皆優しくしてくれた。
気づけば馴染んでいた。
あの頃、魔王は魔族同士の戦と、
何度も送り込まれる勇者たちとの戦いで地上には目もくれていなかった。
だが今は違う。
まさに地上を脅かそうとしている。
それでも。
先に魔界を脅かしたのは教会だった。
何が正しいのか、もう分からなかった。
───
レイゼンは、閉じた扉をしばらく見ていた。
絆は結ばれた。
一度結ばれたものは、そう簡単には断てない。
離れても、いずれ引き寄せられる。
だからこそ。
覚悟のないまま戦場に立たせれば、いずれ限界が来る。
勇者の力の暴走。
それが最も避けるべき事態だった。
レイゼンは目を伏せる。
ならば、今、選ばせるしかない。
戦うか。
去るか。
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