外伝 白角の女2 世界崩壊地獄
まだレイゼンが「魔王」ではなく、ただの有力豪族の当主だった頃。
レイゼンは、執務室を兼ねた書斎で額を押さえていた。
目の前には、白角の女──預言者エリーシャ。
穏やかな声音で、淡々と未来を語る。
「──あなたの弟、ヴァイレン様は」
「いずれ、世界を破壊します」
沈黙。
レイゼンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……理由は?」
嫌な予感しかしない。
エリーシャは、一切の悪意なく答えた。
「最初の可能性です」
「失恋によって」
「…………は?」
レイゼンの思考が一瞬、停止する。
「待て」
「失恋で?」
「はい」
「世界を?」
「破壊します」
正気か、という言葉をどうにか飲み込んだ。
「……次は」
「大切な人を亡くした場合です」
「深い悲しみにより、世界を破壊します」
「……なぜ、世界を?」
エリーシャは少し首を傾げた。
「力が、余るからです」
「向け先がなくなります」
(その力を敵に向けろ)
心の中で叫ぶ。
だが、まだ終わらない。
「次に」
「求婚を断られた場合」
「は?」
「衝動的に」
「世界を破壊します」
「……待て」
レイゼンは机に手をついた。
「それは本人の問題だろう」
「教育でどうにかならんのか?」
エリーシャは、困ったように微笑む。
「感情が、とても真っ直ぐな方なので」
(それは美点だが今は欠点だ)
「さらに」
「魔界ごと、家族を殺された場合」
レイゼンは、ここだけは理解した。
「……それは、まぁ……」
「はい」
「世界を破壊します」
「だが、その力を敵に向ける選択肢は?」
「あります」
「ですが」
エリーシャは静かに言った。
「敵が“世界”そのものだった場合、区別がつきません」
胃が痛い。
まだ続く気配がする。
「最後に」
「妻に捨てられた場合です」
「…………どうして?」
思わず、声が漏れた。
エリーシャは、申し訳なさそうに告げる。
「愛が、世界そのものになる方なので」
「それを失うと」
「世界に、意味がなくなります」
沈黙。
長い沈黙。
やがて、レイゼンは天井を仰いだ。
「……要するに」
「弟は」
「情緒が折れたら、世界が終わると?」
「はい」
即答だった。
レイゼンは、ついに頭を抱えた。
世界を滅ぼす魔王。
その正体が、
失恋。
失別。
失敗。
家族愛。
夫婦喧嘩。
そんなもので発動するとは。
「……守るしかないな」
低く、覚悟の声。
「世界ごと」
「弟を」
エリーシャは静かに頷いた。
「だから、私はここにいます」
「預言を“当てる”ためではなく」
「外すために」
この日、レイゼンは悟った。
剣でも、法でも、軍でもない。
弟の世界を壊さないために必要なのは──
愛を壊させないことだと。
そして同時に思った。
(……あいつを野放しにしたら、本当に世界が終わる)
──地獄は、もう始まっていた。
───
レイゼンは、嫌な予感を抱えたまま聞き返す。
「……ちなみに、だ」
「出会わないという選択肢は?」
間。
ほんの一呼吸。
エリーシャは淡々と告げた。
「その場合」
「あなた様を、殺しにやってきます」
「──────────!?」
レイゼンの声が裏返った。
「待て待て待て待て!」
「なんでそうなる!!」
エリーシャは困ったように、しかし事実を述べる調子で続ける。
「出会えない理由を、世界に探します」
「世界に理由がなければ、因果を作ります」
「因果が作れなければ──」
一拍。
「妨げた者を排除します」
「それが、私か!?」
「兄だぞ!?」
「はい」
「最も近く、最も大きな“原因”ですので」
レイゼンは、完全に頭を抱えた。
「……私が何をした?」
「まだ何もしてないだろうが……」
エリーシャは、優しく補足する。
「ご安心ください」
「その未来では」
「ヴァイレン様は、涙を流しながら」
「『兄貴は悪くない』と、仰います」
「余計につらいわ!!」
レイゼンは深く、深くため息をついた。
「……つまり」
指で整理する。
「出会わせても地獄」
「出会わせなくても地獄」
「失恋しても地獄」
「失っても地獄」
「振られても地獄」
「はい」
エリーシャは即答した。
「最適解は一つです」
レイゼンは、嫌な予感しかしない顔で見る。
「……聞きたくないが、言え」
「弟君が一生、幸せであること」
「その方が、一生、弟君を愛し続けること」
「そして──」
一瞬、間を置いて。
「あなた様が、二人の後始末を一生すること」
沈黙。
レイゼンは天を仰いだ。
「……世界を救う条件が」
「弟の恋愛成就なのか……」
エリーシャは、深く頷いた。
「はい」
レイゼンは、ゆっくりと拳を握る。
そして、静かに決意した。
「……わかった」
「もういい」
「私がやる」
顔を上げ、預言者を見る。
「弟の恋路」
「全力で介護する」
エリーシャは頷いた。
「英断です」
───
レイゼンは、まだ何か言われる予感を察していた。
だからこそ、聞き返した声は低く、慎重だった。
「……待て」
「今までのそれは」
「別々の可能性の話、だな?」
エリーシャは、ほんの一瞬だけ目を伏せ──
そして、静かに告げた。
「いいえ」
「すべて──」
一拍。
「同じ女性です」
時が、止まった。
「…………」
レイゼンの口が、ゆっくりと開く。
「……失恋も」
「死別も」
「断られるのも」
「奪われるのも」
「捨てられるのも」
指折り数えて、最後に確認する。
「全部?」
「はい」
エリーシャは淡々と頷いた。
「最初から最後まで」
「その方、お一人です」
「………………」
レイゼンは、ついに椅子の背にもたれた。
そして──
両手で、完全に頭を抱えた。
「……たった一人の女のために」
「世界を壊すのか」
吐き捨てるような声。
怒りでも呆れでもなく、
理解してしまった者の絶望だった。
エリーシャは、迷いなく答える。
「そうです」
「その方が、ヴァイレン様にとっての“世界”ですから」
沈黙。
長い、長い沈黙。
レイゼンは天井を見上げ、低く呻いた。
「……正気じゃない」
「いや」
「正気だから、なお悪い」
拳を額に押し当てたまま、苦々しく呟く。
「国を滅ぼす理由が」
「覇権でも、信仰でも、復讐でもなく」
「失恋一つで成立する世界破壊など」
エリーシャは、静かに言った。
「だからこそ」
「その方を、失わせてはなりません」
レイゼンは、ゆっくりと息を吐いた。
覚悟が、決まった音だった。
「……弟の世界を守るために」
「その女を」
一瞬、言葉を選ぶ。
「守るしかないな」
顔を上げ、預言者を見る。
「見つけたら、逃がさない」
「殺させない」
「失わせない」
「泣かせない」
「捨てさせない」
そして、ぼそりと付け足す。
「……弟が振られそうになったら」
「私が代わりに土下座する」
エリーシャは、初めてほんのわずかに微笑んだ。
「それが、最善です」
その瞬間。
ヴァーレス家当主・レイゼンは悟った。
世界を救う王とは、最強の軍師でも魔王でもなく──
弟の恋愛担当官である、という現実を。
⸻
そして、運命はやって来た。
相手の女が誰なのか。
預言者エリーシャは、そこだけを語らなかった。
レイゼンは、てっきり強く美しい赤の姫あたりと、弟が刃を交え、やがて情を結ぶものだと思っていた。
だが、一文だけ。
その判断をわずかに傾ける情報があった。
絆を持たぬ勇者を魔界に引き込む。
絆の力は、勇者との“結び”によって最大化する。
姦計。
国家の存亡を賭けた、冷たい合理。
勇者を懐柔し。
力を引き出し。
管理下に置く。
王としては、正しい。
だが。
その勇者こそが、弟の運命だった。
弱く、脆い、短命種。
けれど、不思議と目を離せない存在。
レイゼンは知らなかった。
いや、知らされていなかった。
後にエリーシャは静かに言う。
「お伝えしませんでした」
「なぜなら、それを知った時点で──」
一拍。
「あなた様は、きっと彼女を排除する選択をなさるからです」
レイゼンは、言葉を失った。
策略は成功している。
勇者は城に迎えられ、弟に力は芽吹き、盤面は安定した。
──ただ一つ。
弟の運命だけが、予定通りに動き始めた。
数多ある世界破滅予言の中で、最も面倒なルートが、静かに起動した。
その夜、レイゼンは独り呟いた。
「……ああ」
「ついに来たか」
預言者は答えない。
もう、引き返す段階ではなかった。
───
予定通りだった。
あまりにも、予定通りすぎた。
ヴァイレンは──
わかりやすく恋煩いを始めた。
訓練場では上の空。
剣は雑。
報告書は三行。
柱は破壊。
そして何より、視線が勇者セレンを追っている。
(……頼むから)
(変な方向に暴走するな)
レイゼンは玉座で静かに頭痛を噛み殺す。
ヴァイレンは不器用だ。
自覚もなければ、駆け引きもできない。
できることといえば──
助ける。
訓練をつける。
語彙が無さすぎて、苛立ちしか伝えられない。
以上。
結果。
(空振り)
レイゼンは机に額を預けた。
(ああ、だめだ)
(天然だ)
(この勇者、天然すぎる)
(弟を恋愛対象として見ていない)
しかもセレンは優しい。
無自覚に距離が近い。
無自覚に笑う。
無自覚に信頼する。
それはもう、弟特効の劇薬だった。
ヴァイレンは日に日に消耗し、
日に日に一途になり、
日に日に魔力の制御が怪しくなっていく。
ある日、レイゼンは思った。
(……これ)
(世界を壊す前兆では?)
弟は不器用だ。
思考や感情の言語化は苦手。
誰がどう見ても恋煩いをしているのに、本人は認めない。
(状態異常か何かだと思っているな)
そして──
勇者セレンは、難攻不落の要塞であり、同時に最大の爆弾だった。
レイゼンは深く息を吐く。
「……手強いな」
誰にともなく呟きながら。
そして、心の底から祈る。
(頼むから)
(失恋で世界を壊すなよ、ヴァイレン)
「その未来も、まだ消えておりません」
エリーシャの声は、ひどく静かだった。
実はこの白角シリーズはコメディです。
レイゼンの人間性が出るパートでもあります。
この人ちゃんと感情あります。
赤の姫も設定したんですがとんでもないギャグ担当になり物語を食ってしまうので没になりました。
毎週断罪令嬢に出ます。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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