間話 湯たんぽ包囲網・最終夜
夜。
ヴァイレンの私室。
もはや魔力切れを起こさなくても、セレンは当たり前のように寝室へ来ていた。
布団を整え、ぽふ、と座る。
完全に馴染んでいる。
ヴァイレンは眉をひそめた。
「……なんだよ」
セレンは布団の上で小さく息を吐く。
それから、少し身を寄せた。
「……ヴァイレン様」
「なんだ」
不機嫌な声。
だが、離れない。
セレンはまっすぐ言った。
「ヴァイレン様って、すごく安心するんです」
「……は?」
「逞しいし、あったかいし」
素直。
悪気ゼロ。
「……あぁ、私」
一瞬、間が空く。
「家族、いなかったから」
「きっと……人の温もりが、欲しかったんだと思います」
沈黙。
ヴァイレンの眉がぴくりと動く。
「……俺は父親扱いか」
低い声。
どこか警戒気味。
セレンは即答した。
「いえ、湯たんぽです」
「…………」
言葉が消えた。
セレンは満足そうに頷く。
「理想的な湯たんぽです」
そして──
ぽん、ぽん。
自分の枕を叩く。
「さあ、寝ましょう」
悪意ゼロ。
天然一〇〇%。
ヴァイレンは天井を睨んだ。
(湯たんぽ……)
黒の最強魔将。
一騎当千。
炎の原を割る男。
現在の役職──魔族型高性能恒温体。
「……勝手にしろ」
投げやりに言う。
セレンは素直に頷いた。
「はい」
だが、その直後。
寝る前の支度でもするような顔で、すっと両腕を広げる。
「ハグしましょう」
「司書様もすすめてました」
「やめろ俺が死ぬ」
拒否は遅かった。
むぎゅ。
「ぐぇ」
柔らかい感触。
体温。
甘い香り。
ヴァイレンの思考が止まる。
というか半分飛ぶ。
セレンはそのまま、ぎゅっと抱きついた。
悪意も計算もない。
ただ、そうするのが自然だと言わんばかりの力加減だった。
「……ヴァイレン様に出会えて、よかったです」
その言葉が、まともに胸へ入った。
母を殺して生まれたと言われた日。
父の「二人もいらなかった」を聞いてしまった日。
胸の底に沈んだまま動かなかったものが、わずかに揺れる。
「……」
喉が詰まる。
何も返せない。
言えるはずがなかった。
「……さっさと寝ろ」
ようやく出たのは、それだけだった。
「はい」
セレンはするりと離れ、何事もなかったように布団へ入る。
そして、すぐ眠る。
すや。
規則正しい寝息。
穏やかな顔。
ヴァイレンは立ったまま、しばらく動けなかった。
やがて乱暴にベッドへ腰を下ろし、天井を睨む。
(……地獄だ)
低く、心の中で吐き捨てる。
だが。
胸の奥に残った熱は、まだ消えない。
(……クソ)
目を閉じる。
ほんの少しだけ。
悪くなかった。
───
翌夜。
ヴァイレンは、もはや幽鬼だった。
目の下に濃い影。
黒の最強魔将が、寝不足でふらついている。
「……魔素があれば死なねぇけどよ」
低い声。
「睡眠は無理だ……俺はどうすればいい」
本気で言っている。
セレンが心配そうに覗き込んだ。
「ヴァイレン様……やはり無理をさせてしまってますか?」
「……」
返事がない。
限界である。
セレンは少し考えて──
ぎゅ。
「今夜は私があたためます!」
善意一〇〇%。
悪意ゼロ。
ヴァイレンの脳が、処理を放棄する。
(柔らかい)
(近い)
(温かい)
(いい匂い)
思考が渋滞したまま──
ぱたり。
気を失った。
「……あ」
セレンが慌てる。
「ヴァイレン様!?」
完全に意識を飛ばしている。
そこへ様子を見に来たリュミエラが、腕を組んでため息をついた。
「あれで進展しないなんて……」
少し本気で感心している。
「もはや奇跡の域ですね」
セレンは真剣に頷いた。
「やはり魔力供給が足りませんか?」
リュミエラは遠い目をした。
「問題はそこではありません」
(魔王級のヘタレですね)
黒の最強魔将。
現在──湯たんぽ兼・過労患者。
進展は、まだない。
どうして進展しないのか私にもわからない。
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