11 勇者、補佐官になる
黒耀城・作戦室。
勇者補佐官
レイゼン、リュミエラ、ヴァイレン、セレン。
四人を前に、卓上の地図が淡く浮かんでいた。
レイゼンが地図を見たまま言う。
「晩夏に戦だ」
静かな声だった。
「勇者を遊兵にはせぬ」
「前線補給、伝令、負傷兵後送、局地護衛」
「すべてヴァイレンの指揮下に置く」
セレンが顔を上げる。
「……私がですか」
「そうだ」
レイゼンは短く答えた。
「勇者は戦場に立つ」
「だが主力ではない」
「まずは前線で生き残る役目を覚えろ」
ヴァイレンが眉をひそめる。
「なんで俺んとこだ」
「最前線だぞ」
リュミエラが即答した。
「現時点で最も生存率が高い配置だからです」
「魔力循環も安定します」
ヴァイレンが顔をしかめる。
「それ絶対後付けだろ」
レイゼンがそこで言葉を切った。
「却下は認めん」
一拍。
「勇者セレンは、本日よりヴァイレン隊付き補佐官見習いとする」
作戦室が静まり返る。
セレンは小さく背筋を伸ばした。
「……はい」
ヴァイレンは舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。
───
前線混戦
数週間後、春の終わり。
魔界の熱光は強さを増していた。
合同訓練は、黒の実効支配地であり、赤と黒の中間でもある旧金領で行われていた。
旧都アウレス。金城。
かつてこの地は、玉璽によって金鉱脈を生み出し、城ごと金で覆われていた。
金とは名ばかりの石の城。
黒に奪われ、剥がされ、残ったのは構造だけだった。
いまは赤と黒の中間拠点として使われている。
前線。
赤と黒の混成部隊が並ぶ。
前列に盾槍。
騎兵。
後列に弓。
一瞬の静寂。
張りつめた緊張。
そのとき──
「前進!」
赤の将が号令を飛ばす。
ほぼ同時に。
「停止!」
黒の号令が重なった。
空気が裂ける。
黒の歩兵は止まった。
盾を構え、足を止める。
赤の歩兵は進んだ。
勢いのまま槍を前へ出す。
距離が一気に詰まる。
「止まれ!」
「進め!」
命令が交錯する。
赤兵が黒兵の盾にぶつかった。
衝撃。
槍が弾かれ、押し合いになる。
「どけ!」
「命令は停止だ!」
声が荒れる。
騎兵も動いた。
赤騎兵が前へ出る。
黒騎兵が制止に入る。
馬がぶつかりかける。
混線。
その瞬間。
前線中央に、影が割り込んだ。
ヴァイレン。
一歩。
踏み込む。
蛇矛が振り下ろされる。
轟。
地面が沈んだ。
衝撃が走る。
赤も黒も、一瞬で止まった。
静寂。
ヴァイレンが前に立つ。
視線が両軍を貫いた。
「……てめぇら」
低い声。
一歩進む。
「命令が二つある時点で終わってんだよ」
誰も動かない。
「戦場でこれやったらどうなる」
一拍。
「味方同士で殺し合いだ」
沈黙。
ヴァイレンは赤の将を見た。
次に黒の将を見る。
「どっちが正しいかじゃねぇ」
短く吐く。
「命令は一つだ」
地面を軽く蹴る。
「合わせろ」
それだけだった。
前線に重い静けさが残る。
誰も反論しない。
その日の訓練は、そこで打ち切られた。
──
日が傾く頃、将たちは金城の作戦室に集められた。
長卓。
西方大陸の地図が広げられている。
黒と赤。両軍の将が並ぶ。
沈黙。
最初に口を開いたのは、赤の将だった。
「号令が通らん」
低い声。
「前進の合図が違う」
黒の将が即座に返す。
「統一しろ」
「統一している」
赤の将の眉が動く。
「黒のやり方でな」
空気が張る。
別の赤の将が口を挟む。
「戦象が止まらん」
「合図が遅い」
「歩兵と噛み合っていない」
黒側、バルクスが腕を組んだ。
「歩兵は合図で動く」
「象は勝手に突っ込む」
赤の将が睨む。
「突っ込ませる兵科だ」
一拍。
ハルドが地図を指した。
「ここだ」
前線中央。
「重装歩兵は黒が指揮する」
指が横へ動く。
「弓兵は赤黒混成」
さらに。
「騎兵は黒主導」
ルイが頷く。
「機動は一系統にまとめる」
赤の騎兵将が不満を漏らす。
「我らの機動を制限するのか」
ルイは視線だけで返した。
「勝手に動けば戦列が崩れる」
沈黙。
そのとき、エルンが口を開いた。
「戦象は」
全員の視線が集まる。
「赤が指揮する」
静かな声。
「だが」
一拍。
「前進の合図は黒に合わせる」
ざわりと空気が揺れた。
赤の将が言う。
「象は止まらん」
エルンが返す。
「なら止める術を作れ」
短い言葉。
「それが再編だ」
沈黙。
レイゼンが初めて口を開いた。
「命令系統を一本化する」
全員が静まる。
「前進、停止、転進」
「すべて黒の号令で統一」
一拍。
「例外は戦象のみ」
エルンがわずかに頷く。
レイゼンは続けた。
「ただし」
指が地図を叩く。
「戦象は中央投入のみ」
「独断突撃は禁止」
赤の将が反発しかける。
だがエルンが制した。
「従え」
短く。
重く。
空気が落ち着く。
レイゼンは淡々と言う。
「工兵は混成」
「弓も混成」
「規格を揃える」
参謀が書き留める。
「矢の長さ、弦の強度」
「すべて統一」
バルクスが小さく笑った。
「やっと軍になるな」
誰も否定しない。
レイゼンが最後に言う。
「命令は一つ」
「動きも一つ」
一拍。
「それが出来ぬなら」
視線が巡る。
「勝てぬ」
その先には、地上の詳細な地図がある。
沈黙。
やがて、エルンが口を開いた。
「赤は従う」
それだけだった。
軍議は終わる。
黒と赤。
別の軍だったものが、ようやく一つの形を取り始めていた。
───
数日後。
命令系統の統一が進み、混成部隊は再び訓練場に立っていた。
乾いた風が土を撫でる。
黒と赤の混成部隊が、長く横に広がっていた。
前列に盾槍。
その後ろに弓兵。
左右に騎兵。
さらに奥、戦象が低く鼻を鳴らしている。
号令が飛ぶ。
「前進!」
黒の歩兵が進む。
赤の歩兵も合わせる。
先日までのような衝突はない。
隊列はまだ硬い。
だが、崩れてはいなかった。
後方。
補給と伝令の位置に、セレンがいた。
帳面と伝令板を抱え、前線の動きを見ている。
ヴァイレンは中央やや後ろ。
全体を見ていた。
黒兵の進み。
赤兵の足並み。
右翼の騎兵。
左の弓列。
そして、戦象の鼻先の向き。
セレンも同じ方を見た。
その瞬間、右翼がわずかに膨らんだ。
赤の騎兵が出た。
半歩。
ほんの半歩だが、早い。
黒騎兵の列がまだ揃っていない。
このまま行けば、右翼だけ前に飛び出す。
ヴァイレンの視線がそちらへ動く。
セレンの足が先に動いた。
「右翼、待機! 半歩下がって列を合わせてください!」
声が飛ぶ。
近くの伝令兵がぎょっとして振り向く。
だが、セレンは止まらない。
「黒騎兵は前へ出ない! 赤騎兵に合わせず、間隔維持!」
右へ走る。
砂が跳ねる。
騎兵列の端にいた将が顔をしかめた。
「誰の指示だ!」
セレンは息を切らしながら答える。
「ヴァイレン様の意図です!」
将が一瞬迷う。
その間に、中央から低い声が響いた。
「そのまま合わせろ!」
ヴァイレンだった。
短い。
だが、それで十分だった。
右翼の騎兵が止まる。
赤の列が半歩下がる。
黒の列が横に揃う。
次の瞬間。
「前進!」
今度は、きれいに噛み合った。
騎兵列が同時に動く。
歩兵の間を乱さない。
右翼の膨らみは消えた。
後方で見ていたルイが、わずかに目を細める。
ハルドが口笛を吹いた。
訓練終了の角笛が鳴るまで、もう大きな乱れは起きなかった。
⸻
訓練後。
兵が水を飲み、馬を引いて下がっていく。
戦象も落ち着きを取り戻していた。
セレンは伝令板を抱えたまま、まだ少し肩で息をしていた。
走った距離のぶん、脚が重い。
そこへ、ヴァイレンが来る。
「……おい」
セレンが顔を上げる。
「はい」
ヴァイレンは少し黙った。
金の目が、セレンをじっと見る。
「さっきの」
短く言う。
「なんで分かった」
セレンは一瞬だけきょとんとした。
それから、少しだけ視線を泳がせる。
「右翼が早かったので」
「ヴァイレン様、あっちを見ましたから」
「止めるんだと思って……」
最後は少し自信なさげだった。
ヴァイレンは鼻を鳴らす。
「勝手に走るな」
セレンの肩がぴくっと揺れる。
「……すみません」
一拍。
「だが」
セレンが顔を上げる。
ヴァイレンは腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言った。
「今のは悪くねぇ」
沈黙。
セレンの目が少しだけ見開かれる。
「……はい!」
声が明るくなる。
思わず背筋まで伸びた。
ヴァイレンはそれを見て、わずかに顔をしかめる。
「調子に乗るな」
「次は先走る前に、もう少し全体を見ろ」
「はい!」
「返事だけはいいな」
「はい!」
「うるせぇ」
だが、その声は前より少しだけ柔らかかった。
少し離れた場所で見ていたハルドが、にやりと笑う。
ルイは何も言わない。
ただ、帳面に短く何かを書きつけた。
セレンは伝令板を抱え直す。
まだ手は汗で湿っている。
けれど胸の奥には、今までとは違う熱が残っていた。
守られただけではなかった。
初めて、前線の動きに自分の手が届いた気がした。
その横で、ヴァイレンは短く言った。
「次も来い」
セレンはすぐに頷く。
「はい」
その返事は、さっきよりも迷いがなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
面白い、続きが気になると思われた方は、ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで応援をしていただけると嬉しいです。
感想もお待ちしております!




