間話 湯たんぽ包囲網
まだコメディ回です
三夜目。
ヴァイレンの目は、完全に据わっていた。
寝不足。限界。忍耐の限界。
「……もう限界だ」
低く、震えた声だった。
「一人で寝させてくれ」
向かいに立つ司書リュミエラは、一瞬だけ考え、あっさり頷いた。
「仕方ありませんね」
その一言で、ヴァイレンの肩がわずかに下がる。
(……あとで殺す)
脳内で静かに報復が決定された。
だが、その安堵は一瞬で終わる。
リュミエラはそのまま、寝台の端に座るセレンへ向き直った。
「では、今夜は私と一緒に寝ましょう」
「え?」
ヴァイレンが即座に振り向く。
「──!?」
セレンは素直に目を瞬かせた。
「司書様と、ですか?」
「はい。仕事で信頼関係もありますし」
淡々。
「肉体的には同性同士ですから、問題ありません」
その瞬間。
「だめだ!」
ヴァイレンが叫んだ。
空気が止まる。
セレンがきょとんとし、リュミエラが首を傾げる。
「……何がですか?」
「理由は?」
ヴァイレンは詰まった。
言えない。
何一つ、まともに言語化できない。
「……とにかく、だめだ!」
沈黙。
セレンは首をかしげる。
純度一〇〇%の無自覚だった。
リュミエラは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
一拍。
「では──今夜も“いつもの配置”で」
「それが一番、安定していますね」
「はぁ!?」
ヴァイレンの悲鳴が、回廊に響いた。
リュミエラは呆れ半分の顔で、心の中だけで呟く。
(この人……)
(セレン様に頼めば拘束を外せると、いつ気づくんでしょう……)
⸻
翌朝。
黒耀城・工兵詰所。
最近、このあたりは静かだった。
以前のように柱が砕ける音もしない。壁も割れない。天井も無事だ。
「……そういや」
工兵の一人が帳面をめくりながら言った。
「柱、割れなくなったな」
別の工兵が頷く。
「ああ。さすがに多重結界のおかげだな」
しばし沈黙。
そして、にやりと笑う。
「毎晩一緒に寝てるらしいぞ」
「ほぉ」
「式はいつなんだよ」
「早く責任取れって話だな」
くつくつと笑いが漏れる。
その背後。
ゴッ。
鈍い音がした。
振り返ると、ヴァイレンが立っていた。
「……聞こえてんぞ」
工兵たちは即座に直立した。
「申し訳ありません、ヴァイレン様!」
ヴァイレンは目を細める。
(手ェ出してねぇわ!)
だが、それは口に出せなかった。
(なんて……言えねぇ)
否定すると、
「え、出してないんですか?」
という空気になる。
それはそれで地獄だった。
「……クソ……」
吐き捨てて、そのまま踵を返す。
背中にひそひそ声が追ってくる。
「図星か」
「照れてるだけだろ」
ヴァイレンのこめかみに血管が浮いた。
最近、柔らかいものに囲まれすぎている。
そのせいで、兵どもまで調子に乗っていた。
「……クソが」
黒狼の将は、今日も静かに追い詰められていた。
⸻
その日の朝。
朝の報告が終わり、ヴァイレンが回廊を歩き出したところで──
「まだか?」
背後から、低い声が落ちた。
ヴァイレンが振り返る。
「……何がだ」
レイゼンが立っていた。
腕を組み、いつもの無表情。
「求婚だ」
一拍。
「はぁぁぁ!?」
城内に素っ頓狂な声が響く。
「ふざけんなクソ兄貴!!」
「誤解だ!」
「誰が何をどう見てそう思った!」
レイゼンは首をわずかに傾げる。
「だが」
静かに続ける。
「もう、お前の寝所で過ごしているのだろう?」
「誤解を招く発言をするな!!」
即座に噛みつく。
「それは治療で! 恒温体で! 湯たんぽで!」
「誰が好きでやってると思ってんだ!!」
レイゼンは黙った。
ただ、じっと見る。
無言。
視線だけで圧が強い。
ヴァイレンの言葉が詰まる。
「……な、なんだよ」
沈黙。
さらに一拍。
「……黒の兵は、もう知っている」
「司書も」
「治療士も」
「文官も」
淡々と並べる。
「わかってないのは、お前だけだ」
「最悪だろ!!」
ヴァイレンは頭を抱えた。
「俺は認めてねぇ!」
「何も始まってねぇ!」
レイゼンは平然としている。
「では、なぜ否定に必死なのだ」
「……っ」
詰んだ。
完全に詰んだ。
レイゼンは踵を返す。
「急がなくていい」
去り際に、ぽつりと落とす。
「だが」
一瞬だけ間を置いて、
「覚悟はしておけ」
「──黒は、話が早い」
そのまま歩き出す。
数歩進んで、また立ち止まった。
「安心しろ」
ヴァイレンが眉をひそめる。
「……何がだ」
レイゼンは振り向かないまま言う。
「お前が気付く頃には」
一拍。
「もう逃げ道は無い」
そのまま去っていく。
ヴァイレンはしばらく動けなかった。
(終わった)
心の底からそう思った、その時。
遠くから明るい声が飛んだ。
「ヴァイレン様、おはようございます!」
振り向く。
セレンが立っている。
にこりと笑っていた。
ヴァイレンは反射的に背筋を伸ばす。
「……お、おう」
返事をした瞬間、理解した。
地獄は、寝所から始まったのではない。
兵の噂からでもない。
兄から始まっていた。
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