9 赤の臣従
黒都アトラエ、黒耀城。
赤の当主エルン・カルザンが立っている。
怒りは消えていない。
「貴様が南の龍脈を縛っただと」
レイゼンは机越しに視線を上げる。
「そうだ」
即答。
エルンの拳が軋む。
「どれだけの民が苦しむと思っている」
レイゼンは動じない。
「多くは死なせてはいない」
「干上がらせてもいない」
「流れを細めただけだ」
沈黙。
レイゼンは続ける。
「赤が動けば黒は疲弊する」
「黒が消耗すれば蒼が動く」
「蒼が動けば教会が踏み込む」
一拍。
「それを防いだ」
エルンの視線が揺れる。
「力でなく、兵站で止めた」
「それが最も血を流さぬ方法だ」
エルンが低く言う。
「民を道具にした」
レイゼンは否定しない。
「戦はすでに始まっている」
静かな声。
「だが交渉次第で流れは戻す」
視線がまっすぐ向く。
「赤は黒の一部となれ」
「法の下でな」
室内が静まる。
レイゼンは言う。
「我らが消えたあとも続く仕組みを作る」
「感情ではなく、制度で守る」
エルンは長く黙る。
怒り。
理解。
屈辱。
すべて混じる。
やがて剣を抜く。
一瞬、空気が張る。
だが。
剣はレイゼンに向かわない。
床に突き立てられる。
「……義は」
エルンが言う。
「魔界にある」
深く息を吐く。
「赤は魔界を守るために戦ってきた」
エルンは長く目を閉じた。
「黒がそれを成すなら」
「赤は従う」
沈黙。
レイゼンが言う。
「義は消えやすい」
「だが」
「法に刻めば残る」
一歩近づく。
「赤の義を」
「魔界の法に組み込む」
短く告げる。
「エルン・カルザン」
「魔界の将として迎える」
───
赤軍と黒軍。
同じ卓。
最初はぎこちない。
杯だけが空になる。
沈黙。
やがて誰かが言う。
「お前らの将軍」
赤兵が顔を上げる。
「あの黒狼のか」
黒兵が笑う。
「投げ槍で戦象ひっくり返した奴だ」
別の兵が口を挟む。
「蛇矛が飛ぶの見たか」
「音が後から来たぞ」
赤兵が酒をあおる。
「……勇者ともやったんだろ」
黒兵が答える。
「三回退けた」
一拍。
誰かが言う。
「しかも女勇者といい仲らしい」
沈黙。
赤兵が鼻で笑う。
「そりゃ勝てねぇわ」
黒兵も笑う。
杯がぶつかる。
酒。
笑い。
赤と黒の境目が、少し消える。
赤兵が言う。
「……まぁ」
「黒狼の下なら、悪くねぇ」
黒兵が肩をすくめる。
「今さらだろ」
笑い。
酒。
騒ぎ。
───
レイゼンは書類に目を通し続ける。
ヴァイレンが杯と薬草茶を片手に滑り込む。
「混ざんねーのかよ」
レイゼンは答える。
「挨拶と乾杯の音頭は取った」
「まぁそうだけどよ」
ヴァイレンが杯を机に置き、
薬草茶を注ぐ。
「こんな時間まで仕事しなくてもよ」
レイゼンは息を吐き、弟から杯を受け取る
「そうだな」
だが目は書類から離れない。
レイゼンが小さく口にする。
「初め有らざること靡し、克く終わり有ること鮮し」
ヴァイレンが眉をひそめる。
「……何語だそりゃ」
レイゼンは小さく息を吐く。
「事を始める者は多い。全うする者は少ない」
一拍。
「だから仕組みを作る」
ヴァイレンが鼻を鳴らす。
「また法の話か」
机の上には山のような書類。
黒と赤の軍の再編。
統一すべき規格。
規範。
補佐官たちが忙しく整理し、判を押していく。
同時に法も整備されていた。
黒の理と、赤の義。
その両方を外さぬ形で。
レイゼンは動じない。
「そうだ」
ヴァイレンは少し視線を逸らす。
「……俺が俺らしくいられる場所か」
レイゼンは答える。
「始まりはそうだったな」
ヴァイレンが肩をすくめる。
「ほんとに終わんねぇな」
レイゼンは淡く言う。
「そういうものだ」
───
女子会 広まる誤解
黒耀城。
兵舎の一角。
夜。
石造りの小部屋に、女兵士たちが集まっていた。
卓の上には酒壺。
木皿には乾燥果物。
灯火がゆらゆら揺れる。
仕事を終えた兵たちの、小さな宴だった。
笑い声。
杯がぶつかる音。
その中央に──
セレンが座っている。
まだ慣れない黒革の鎧を脱ぎ、少し緊張した姿勢。
兵の一人が酒をあおり、にやりと笑う。
「セレンよぉ」
「はい」
素直な返事。
兵が身を乗り出す。
「ヴァイレン様と寝てるってマジか?」
セレンは少し考える。
そして頷く。
「はい」
一瞬の静寂。
次の瞬間──
「キャァァ!」「うわあああ!」
黄色い悲鳴が部屋に弾けた。
「マジか!」
「やっぱ勇者だわ!」
「すげぇ!」
「やるじゃねぇか!」
杯が揺れる。
笑い声。
肩を叩く音。
セレンは首をかしげる。
「どうしたんですか?」
女兵士の一人がさらに身を乗り出す。
「でさ!」
「どうなんだあっちのほうは?」
セレンは真面目な顔で考える。
そして答える。
「普通ですよ?」
部屋が止まる。
「普通ってなんだ普通って」
「いやそこ一番重要だろ」
セレンは少しだけ困った顔をした。
「優しくしてくださいます」
一瞬。
それから──
「いやぁぁ」「うわああああ!」
再び嬌声。
「は〜熱いねぇ!」
「応援してる!」
「玉の輿だ!」
「仕留めろ!」
「逃がすな!」
乾燥果物が飛ぶ。
酒がこぼれる。
セレンはまた首をかしげる。
「……?」
よく分かっていない。
だが女兵士たちは盛り上がるばかりだった。
遠くで夜の風が城壁を撫でる。
その頃。
城の別の場所で──
黒の最強魔将ヴァイレンは。
何も知らないまま、静かに薬草茶を飲んでいた。
一緒に寝ているだけである。
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