間話 湯たんぽ2
黒耀城。夕刻。
天蓋越しの赤い光が、訓練場の石床を染めていた。
セレンは剣を構える。
息を整える。
振る。
刃が走る。
巻藁に当たった。
乾いた音。
藁束が、斜めに切り落とされる。
セレンの顔がぱっと明るくなった。汗と埃にまみれた顔のまま、振り返る。
「出来ました!」
ヴァイレンは腕を組んで見ていた。
「……まぁいいだろう」
短く言う。
それだけで、セレンの肩がぴょんと跳ねた。嬉しさを隠しきれない。
剣を握ったまま、うずうずしている。
「じゃあもう──」
ヴァイレンが口を開いた。
「次は魔力流したまま回避と受け流しだ」
セレンの動きが止まる。
「ええっ今日はもう……」
ヴァイレンは構えを取った。
「オラ、いくぞ」
木剣が振り下ろされる。
「きゃっ!」
慌てて受ける。
「魔力流せ!」
「やってます!」
「流れてねぇ!」
打ち込み。
受ける。
回避。
受け流し。
数合。
十合。
二十合。
やがて。
「はぁ……はぁ……」
セレンの足が止まる。
剣先が揺れる。
「……あ」
そのまま。
ぱたり。
石床に倒れた。
完全な魔力切れ。
ヴァイレンが覗き込む。
「……早ぇよ」
セレンは床に転がったまま、弱々しく言う。
「でも……さっき……切れました……」
少し誇らしそうだった。
ヴァイレンは鼻を鳴らす。
「まぁな」
夕刻の訓練場に、静かな風が吹いていた。
───
夜。
黒耀城、上層。
ヴァイレンの私室。
無駄に広く、無駄に豪華。
戦利品と実用品が混在した、黒の最上級将の部屋。
そこに──
「では勇者専用魔力回復用──魔族型熱源恒温体」
司書リュミエラが事務的に言った。
「今回からこの配置ですね」
治療士が頷く。
「寝具、運びます?」
兵が当然のように確認する。
ヴァイレンは一拍、固まった。
「……やめろ」
返事を待たず、話は進む。
寝台は整えられ、灯りは落とされ、
両親指、さらに手首を厳重に拘束されたヴァイレンが座らされる。
理由は明快だ。
・逃げない
・動かない
・熱源として安定してもらう
──ゆたんぽ。
「黒の最強魔将の俺が……」
低く呻く。
「……湯たんぽ……?」
隣では、セレンがすでに布団に潜り込んでいる。
「……すぅ……」
呼吸は安定。
訓練で魔力切れ。
魔族型の魔力操作の訓練のせいである。
治療は順調。
ヴァイレンは天井を見つめる。
(地獄だ)
寝返り。
むに。
柔らかい感触。
「…………」
脚が、絡んできた。
無意識だ。完全に。
体温が伝わる。
香りが近い。
(……いや違う違う違う)
「……あぁクソ……」
小声で呟く。
さらに寝返り。
ふに。
太ももが、完全に固定される。
ヴァイレンの思考が停止しかける。
(動けねぇ……)
(逃げ道、ねぇ……)
(殺してくれ……)
隣で、セレンは幸せそうに眠っている。
完全に無防備。
信頼100%。
「……ぐぅ……」
ヴァイレンは、目を閉じた。
「……朝まで……耐えりゃいい……」
天井が、やけに遠かった。
セレンが、無意識に肩へ体重を預けてくる。
とくん。
呼吸が、首元に当たる。
「……」
ヴァイレン、完全硬直。
(近い近い近い近い)
「……すや……」
寝息。
柔らかい重み。
体温。
ヴァイレン、天井を睨む。
「……司書……」
声にならない声。
「絶対……血祭りに……」
そのとき。
むに。
腕に、何かが当たる。
セレンの手。
指が、ぎゅっと掴む。
離れない。
ヴァイレンの思考が停止する。
(……)
だが──
動かせない。
起こせない。
拒めない。
なぜなら。
セレンは、ただ信頼して眠っているだけだから。
ヴァイレンは、目を閉じた。
「……クソ……」
低く、敗北宣言。
⸻
朝の地獄
朝。
天道の熱光が、天蓋越しにゆるく差し込んでいた。
静かな寝室。
豪奢な黒の寝台。
そして──
ヴァイレンは固まったまま座っていた。
一睡もしていない。
両手には拘束具。
側には、ぴったり寄り添うセレン。
すやすやと寝息を立てている。
しかも脚が絡んでいる。
「…………」
ヴァイレンの目の下には、うっすらと隈が浮かんでいた。
(長い)
(夜が長すぎる)
コン、コン。
扉が叩かれる。
「ヴァイレン様、朝の報告を──」
返事をする前に。
セレンが、もぞりと動いた。
さらに密着する。
むに。
「……っ」
ヴァイレンの理性が、また少し削れる。
そのまま扉が開いた。
入ってきたのは黒の兵が二名。
そして女司書リュミエラ。
三人は同時に足を止めた。
視線が──寝台へ向く。
無言。
一瞬で状況を理解した顔だった。
兵の一人は何かを察したように頷き、
もう一人は妙に尊敬のまなざしを向ける。
リュミエラも静かに頷いた。
「……お取込み中でしたか」
「違ぇ!!」
ヴァイレンは即答した。
その声で、セレンがうっすらと目を開ける。
「……あれ……おはようございます……」
まだ状況を理解していない。
それでも、セレンの手はヴァイレンの腕を掴んだままだった。
兵の一人が小声で呟く。
「やはり、絆の安定化が……」
もう一人が頷く。
「さすがヴァイレン様……」
「ちげぇって言ってんだろ!!」
ヴァイレンは動けない。
拘束具がカチャ、と小さく鳴った。
リュミエラは相変わらず淡々としている。
「体温供給、成功のようですね」
「やめろ」
「魔力循環、安定傾向」
「やめろ」
セレンはのんびりとした声で言った。
「……よく眠れました」
にこり、と笑う。
ヴァイレンは完全に敗北していた。
兵の一人が直立する。
「今後も同様の配置で」
「決定事項にすんな!!」
やがて兵たちは廊下へ出ていく。
その途中、ひそひそ声が聞こえた。
「やはり関係を……」
「もう夫婦では」
「早い」
「いや遅い」
ヴァイレンは額を押さえた。
(俺は何もしてねぇ)
(何もしてねぇのに)
隣でセレンが首をかしげる。
「……何かありましたか?」
ヴァイレンは遠い目をした。
「……何もねぇ」
地獄は、続く。
進展:ゼロ
誤解:拡大
ヴァイレン:社会的に死亡
湯たんぽ回はシリアスの合間に何回かまだやります。
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