8 それぞれの思惑
会議回です。
蒼の都
水と石で構成された静かな庭の奥。
蒼央園の議場は、重く沈んでいた。
「黒赤軍、再編」
「兵力四十万規模」
室内が静まり返る。
将の一人が言う。
「均衡が崩れました」
当主は地図から視線を外さない。
「最初から均衡など存在しない」
一拍。
「赤は義の氏族。簡単に膝を折る相手ではない」
「だからこそ意味がある」
「赤は何を見た」
参謀が答える。
「赤領は近頃、魔素が細り、湖水位も低下。
郊外では盗賊が増加し、治安が崩れています」
「追い詰められ、決戦に踏み切ったと見られます」
将の一人が低く言う。
「魔王か」
「黒は巫術に強い。龍脈を弄った可能性は十分ある」
参謀が頷く。
「魔素低下、水位低下、治安崩壊。
三つが同時に起きています。自然とは考えにくい」
視線が北へ向く。
「どちらにせよ、黒は魔界をまとめつつある」
当主の指が黒の領域をなぞる。
「勇者が魔王を倒す。その後、氏族は再び分裂する。
それがこれまでの歴史だった」
「我らはそれを前提に均衡を保ってきた」
指が止まる。
「だが、勇者は魔王を倒さなかった」
「勇者は黒に入った。赤は黒に膝を折った」
「我らの前提は崩れた」
議場が重く沈む。
怒号が上がる。
「黒に従うなど御免被る」
「蒼の魔鉱石技術は吸い上げられる」
「交易は黒の管理下に置かれる」
「蒼の独立は終わる」
声が重なる。
「蒼が失うのは領土ではない。
交易だ。流通だ。独立だ」
やがて別の声。
「勇者はどうした」
参謀が答える。
「勇者セレン──黒。
勇者バニング──紫。
勇者ジャスティス──敗退。
勇者ブレイド──死亡」
「新たな勇者誕生の報はありません」
将が吐き捨てる。
「まさか地上の神に奇跡を願うことになるとは」
沈黙が落ちる。
当主が地図を見る。
「盤は変わった」
「勇者は盤を整える存在だった。だが今は盤を乱している」
指が地図を越える。
地上。
「黒は進む。魔界で止まらぬ。次は外だ」
議場の空気が張りつめる。
「我らは遅れた」
「勇者に魔王を討たせ、魔界を分裂させ続ける。それが蒼の盤だった」
「その盤は崩れた」
誰も動かない。
「遅れれば」
「蒼は消える」
───
紫の都、紫楼閣
紫楼閣の庭。
石の水盤。
水位が低い。
底の紫石が、半分ほど露出している。
番兵が小声で言った。
「……また下がった」
当主の前で、補佐官が報告書を読み上げる。
「南部貯水池、水位低下」
紙が一枚めくられる。
「それに伴い、収穫量が減少しています」
当主は何も言わない。
補佐官は続けた。
「魔素濃度も低下」
一拍。
「戦闘員の気力、魔力の両方に低下が確認されています」
静かな声。
「このまま推移すれば、来季には兵の稼働率が落ちます」
沈黙。
紫楼閣の窓の外では、風が弱く庭を揺らしていた。
───
──情は育った。だが、力が足りない
紫の奥座敷。
紫の香が焚かれている。
脈動する勇者の生体波形が水晶玉に映る。
紫の当主は、指先で光の線をなぞった。
「……弱い」
独り言のように、淡々と。
波形は安定している。
恐怖も、憎悪も、忠誠も――過不足なく混ざっている。
「情は、結ばれた」
「孤立も、依存も、十分」
それでも。
「“届かない”」
当主は、軽く息を吐く。
水晶玉の上に手をかざすと映像が変わる。
黒の正門広場。
殺しあう魔族と人族。
大地を裂く斬撃、
クレーターを作るほどの衝撃。
「黒狼ヴァイレン・ヴァーレス」
「勇者ブレイド」
「紫の勇者は──」
「どちらにもはるかに及ばない」
そして──
もし黒狼と黒の勇者が並び立った場合、
紫の勇者は
戦場に存在できない。
紫は結論を出した。
「足りないのは、感情ではない」
「──出力だ」
呼び鈴が、鳴る。
短い二本角の幹部が、膝をついた。
「次段階に移る」
「勇者バニングの体を調整する」
即断。
生き延びるため。
一瞬のためらいもない。
───
幹部は冷静に言った。
「黒の将軍は勇者と結ばれた」
「出力が違う」
「ブレイドは天蓋に罅を入れた」
「だが制御できなかった」
一拍。
「我らは制御する」
視線が落ちる。
「薬で底を引き上げる」
小さな小瓶。
無色透明の液体。
ヴィオラが顔を上げる。
「……そんなことは、よくありません」
乾いた音。
「ああっ」
頬が打たれる。
「黙れ」
「お前は世話役だ」
「命令通りにしろ」
震える手。
茶に水滴が落ちる。
溶ける。
涙が落ちる。
───
数日後
バニングは穏やかだった。
穏やかすぎた。
よく眠る。
目覚めは軽い。
胸の奥が、あたたかい。
「ヴィオラ」
優しい声。
「ここは、いい場所だね」
笑う。
以前よりも従順だった。
命令にも素直に従う。
魔力の出力も安定している。
だが。
怒らない。
迷わない。
疑わない。
ただ満ちている。
幸福で。
静かで。
空虚に。
ヴィオラは俯く。
(ごめんなさい)
それでも茶を差し出す。
バニングは飲む。
日が過ぎる。
ゆっくりと。
体に変化が出る。
最初は関節。
指の節。
肘。
膝。
皮膚の下に紫の色が滲む。
日を追うごとに広がる。
左肩。
皮膚が紫に染まる。
それでも。
バニングは穏やかだった。
笑う。
歩く。
命令に従う。
だが、ときどき。
体が揺れる。
膝が折れる。
背骨が曲がる。
ぐにゃりと体が折れ、
床に膝をつく。
立てない。
呼吸が乱れる。
数秒。
やがて。
何事もなかったように立ち上がる。
「……大丈夫だよ」
穏やかな声。
ヴィオラは顔を上げられない。
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