34 臨界点
その瞬間。
背後で──
「……あ」
ノアだった。
膝をついていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。
瞳孔の奥で、白い光が脈打つ。
「……消えた」
小さく、はっきりと。
「……つながりが」
周囲の魔素密度が跳ね上がる。
石畳が軋む。
ノアの足元に、白と黒の光が浮かぶ。
発光が広がる。
表面が染まるように。
「……私」
ゆっくり立ち上がる。
「……自由?」
その言葉が落ちた瞬間。
上空の魔素が収束する。
空気が圧縮される
石畳が沈む
肺が押される
セレンが息を止める。
ヴァイレンが蛇矛を構え直す。
「……チッ」
低い舌打ち。
「厄いな」
ノアの周囲の濁った光が、わずかに広がる。
静かに。
確実に。
──臨界に近づく。
黒耀城。広場上空。
ノアの身体が、ゆっくりと上昇する。
足が地面を離れる。
次の瞬間。
魔界の天井のである地殻が沈む。
内側へ引き込まれる。
天蓋が一点へ歪む。
音が遅れて追いつく。
衝撃波が広場を押しつぶす。
大地が沈み、
隆起し、
砕ける。
セレンが膝をつく。
呼吸が奪われる。
魔素の流れが乱れる。
白い聖衣がまだ上昇する。
ノアは立っていた。
否、空中に固定されていた。
背後で黒い亀裂が走る。
過飽和。
行き場を失ったエーテルが一点へ強制収束する。
「……いなくなった……」
収束。
空気が歪む。
ヴァイレンが歯を噛みしめる。
「──止まれ!!」
丈八蛇矛を振りかぶり、投げる。
四メートルの黒槍が、
一直線にノアへ向かう。
だが──
空間に触れた瞬間。
穂先が、歪む。
弾かれたのではない。
触れた部分から、形が保てなくなる。
金属が、粒子化する。
砂のように。
穂先が消える。
刃が失われる。
柄が、途中で途切れる。
投擲の勢いだけが前へ進み、
残骸が黒い渦へ吸い込まれる。
「……っ」
ヴァイレンの目が細くなる。
当たる以前に、
存在の形を保てない。
蛇矛の残骸が、
静かに落ちる。
レイゼンは遠くでそれを見る。
制御不能。
魔界全域に警鐘が走る。
「退避を急げ」
「観測を続けろ」
黒い光は、唐突に収束した。
荒れ狂っていた力が、
一瞬で内側へ沈む。
音が消える。
圧だけが残る。
ノアは宙にあった。
否。
そこに立つ形を保てなくなっていた。
「……あ……」
掠れた声。
自分の手を見る。
指先の輪郭が薄れる。
表面から粒状に分解していく。
黒い砂が零れ落ちる。
「……そっか……」
微笑む。
これまで見せたことのない顔で。
「……私……いらなかったんだ……」
腕が肘から粒となって崩れ落ちる。
肩が欠ける。
胸が消える。
痛みはない。
維持が、止まった。
黒砂が舞う。
音はない。
その瞬間。
ヴァイレンが動いた。
考えるより先に。
セレンの腕を掴み、地へ叩き伏せる。
自分は半身を被せる。
「伏せろ!!」
収束したエーテルが臨界を越える。
衝撃。
背骨が軋む。
光が消える。
一瞬、無音。
そして音が遅れて爆ぜる。
建造物が潰れ、
地盤が沈み、
魔法陣が砕ける。
低い衝撃。
魔界深層まで届く震動。
天蓋の罅が広がる。
轟音。
岩塊が崩落する。
セレンは言葉を失う。
天蓋に罅が走る。
裂け目から外界の光が差す。
ヴァイレンは拳を握る。
「……クソ……」
───
レイゼンは崩落する天蓋を見上げる。
(想定以上だ)
(これが……災厄か)
───
その頃。
地上、教会。
聖堂地下、封印された観測室。
水晶盤が一斉に罅を走らせる。
乾いた音。
ひび割れが広がる。
「な……何が起きた……?」
枢機卿が後退する。
祭壇の聖具が黒ずむ。
光を失う。
記録官が報告する。
「魔界深層……」
「勇者ブレイド、聖女ノアの識別波形……」
喉が鳴る。
「……途絶しました」
沈黙。
教皇がゆっくりと顔を上げる。
「勇者を失ったか」
誰も答えない。
水晶盤の中央。
新たな波形が現れる。
「……魔界地殻構造に異常」
「巨大な亀裂が……」
室内の空気が重くなる。
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