32 勇者ブレイド
黒曜城、正門広場。
セレンは宿舎へ向かう途中だった。
訓練終わりの兵が笑っている。
誰かが食糧の籠を抱えて走り、
ここはもう、ただの敵地ではない。
魔界は、
自分の居場所になりつつある。
「……今日、ちゃんと避けられましたし」
ひとりごちる。
蛇矛の一撃。
腕はまだ痺れているが、嬉しかった。
強くなっている。
ここで、生きている。
そのとき。
ズン、と。
足元が沈んだような感覚。
笑い声が、止まる。
空気が、一瞬で重くなる。
「……っ」
胸を掴まれたように息が詰まる。
空気が、軋む。
広場の灯りが揺れた。
「……何だ?」
次の瞬間。
広場の中央に、影が落ちた。
上空。
天蓋の一点が、歪んでいる。
鈍く輝く転移門の魔法陣。
黒耀城、回廊。
ヴァイレンの表情が変わる。
「なんだ」
回廊の灯が、
ひとつ、またひとつと消える。
風はない。
なのに火が、
逃げるように、細くなる。
魔素が、揺れている。
ヴァイレンの金の瞳が細くなる。
「……来やがったか」
黒曜城、正門前。
セレンの背筋が、ぞくりと冷えた。
遠くの高塔から鐘が鳴る。
一度。
二度。
来訪の合図。
光はない。
ただ、空間が一拍、遅れた。
次の瞬間。
そこに立っていた。
黒い外套。
古い鎧。
大剣は鈍色。
磨かれすぎて、逆に冷たい。
男が視線を上げる。
それだけで、
広場の空気が薄くなる。
値踏み。
物を見る目。
隣の兵が息を呑んだ。
バキ、と。
足元の石が割れる。
男は、何もしていない。
「……ここが魔界か」
低い声。
感情がない。
背後で、鎖が鳴る。
引きずられる音。
白い法衣。
細い手首。
聖女ノア。
床に膝をついたまま、顔を上げない。
「教会の命だ」
男は淡々と言う。
「勇者セレンを回収しにきた」
その名で、空気が張る。
ブレイドの口角が、わずかに歪む。
「……やはり、ここだな」
剣の柄に手がかかる。
「匂いがする」
一歩。
「絆だ」
もう一歩。
ノアの髪を掴み、持ち上げる。
「こうやって壊せば、簡単だ」
鈍い音。
叩きつけられる。
誰も動けない。
身体が拒む。
ブレイドは剣を抜く。
剣はただ、吸う。
魔素を。
感情を。
視線が向く。
「来い、勇者」
「奪うか」
一拍。
「奪われるか」
静まり返る広場。
戦いは、もう始まっていた。
「お前が勇者セレンか」
「そうだ」
「……その子を、離して」
静かな声。
ブレイドが鼻で笑う。
「命令か?」
「違う」
一拍。
「見てられないだけ」
空気が張る。
「甘いな」
ブレイドがノアを引き寄せる。
「優しくした方が死ぬ」
「だから、こうする」
腕が軋む。
「やめて」
セレンの声が揺れる。
「そのやり方、自分も苦しいでしょう」
ブレイドが笑う。
「苦しい?」
「慣れる」
「痛みは、必要だからある」
「この子、震えてる」
「あなたを見て」
ブレイドの目が冷える。
「震えるのは、生きてる証だ」
「黙ってるより、ましだ」
ブレイドの声が荒れる。
「縛らなければ裏切る」
「放せば奪われる」
セレンは、まっすぐ見る。
「それはあなたが一番怖いんでしょう」
一瞬。
空気が止まる。
「失うのが──」
剣先が向く。
「黙れ」
低く、掠れた声。
「お前に何が分かる」
「全部はわからない」
セレンは視線を逸らさない。
胸が痛い。
それでも。
「でも一つだけ」
ノアの瞳が揺れる。
「あなたは勇者じゃない」
一拍。
「絆に、触れられなかっただけだ」
魔力が跳ね上がる。
黒い衝動が広がる。
歪んだ圧が地面を沈ませる。
ブレイドの呼吸が荒い。
「……殺す」
低い声。
「お前を殺して、証明する」
一拍。
剣を構えたまま、睨む。
「俺は──」
空気が震える。
「勇者ブレイドだ」
セレンも剣を抜く。
震えはある。
だが、逃げない。
「……なら」
「私は、あなたを止める」
最初に動いたのは、ブレイドだった。
地面を蹴る。
音が、遅れて届く。
「──潰れろ」
剣が振り下ろされる。
轟音。
セレンは跳んだ。
剣が振り下ろされる。
轟音。
斬撃が地面を縦に割る。
石畳が砕け、亀裂が一直線に走る。
岩塊が宙へ跳ね上がった。
「速い……!」
横薙ぎ。
骨に響く重さ。
真正面から受ければ砕ける。
セレンは刃を斜めに当て、流す。
金属音が弾ける。
肩が痺れる。
縦斬り。
沈んで回避。
髪が裂ける。
距離が近い。
間合いを取らせない。
突き。
速い。
身体をひねり、紙一重で外す。
柄を叩く。
ブレイドの重心が、わずかに揺れる。
踏み込む―
その瞬間。
魔力圧。
足元が沈む。
空気が潰れる。
ブレイドが一歩、前に出ただけだった。
「……いい動きだ」
平坦な声。
「だが──軽い」
次の一撃。
真正面。
受けきれない。
衝撃。
セレンは吹き飛ばされた。
地を転がり、背を打つ。
「……っ、は……!」
腕が痺れる。
それでも剣は離さない。
ブレイドは歩いてくる。
「逃げないのか」
「……逃げません」
立ち上がる。
構えは低い。
ブレイドの足が止まる。
「なるほど」
剣を上げる。
「勇者だな」
振り下ろされる──
「……そこまでだ」
低い声。
空気が変わる。
重圧が上書きされる。
ブレイドの視線が逸れる。
黒の二本角。
丈八蛇矛。
長身の男。
「──次は、俺だ」
蛇矛が地を鳴らした。
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