3 勇者Lv1
目が覚めたとき、天井は石だった。
冷たい。高い。
血と魔素の匂いが、まだ残っている。
「……ここは……」
声が、軽い。
喉が細い。
起き上がろうとして、違和感に気づく。
胸がある。
腰が軽い。
重心が、違う。
「……っ」
布をめくり、固まった。
「……女……?」
その瞬間、扉が乱暴に開く。
「起きたか、勇者」
立っていたのは、黒角の魔族。
長身。鍛え抜かれた体。
無造作な黒髪。腕を組み、露骨に面倒そうな顔。
「……誰だ……」
「ヴァイレン・ヴァーレス」
ぶっきらぼうに名乗る。
「今日からお前の監督官だ」
顎で示す。
「立て。武官見習いの朝だ」
最初に渡されたのは、剣ではなかった。
水桶。
「持て」
「……は?」
「魔界の見習いは、まず水運びだ」
重い。
持ち上げた瞬間、腕が震える。
「な……っ」
「地上仕様の身体じゃそんなもんだ」
容赦がない。
「ここは兵舎だ。甘えたら死ぬ」
廊下を歩くたび、視線が刺さる。
二本角。一本角。片角。
黒。赤。蒼。濁った色。
どれも大きい。強い。
「勇者だってよ」
「角もねぇのか」
「折れそうだな」
笑い声。
水が揺れ、床にこぼれる。
「止まるな」
ヴァイレンの声が飛ぶ。
「止まったら最初からだ」
昼。
石みたいな黒パンと、味の薄い肉。
「……噛めない……」
「噛め」
「歯が……」
「折れたら生える」
真顔。
泣きそうになりながら噛む。
喉を通らない。
「……こんな……」
「帰りたいか」
唐突に聞かれる。
「……」
答えられない。
ヴァイレンは短く言う。
「帰りたいなら、生き残れ」
一拍。
「生き残れなきゃ、帰る前に死ぬ」
軽くもなく、優しくもない。
ただの事実だった。
午後。
ようやく剣が渡された。
だが――重い。
「持てない……」
「持て」
短い。
振り上げた瞬間、剣は床に落ちた。
乾いた音。
兵舎が、静まる。
ヴァイレンが剣を拾い、彼女の前に突き立てた。
「勇者」
初めて、そう呼んだ。
「ここじゃ、強い奴だけが生きる」
「性別も出自も、神も関係ねぇ」
一歩、近づく。
「泣くなら夜に一人で泣け」
それだけ。
彼女は唇を噛んだ。
悔しい。
怖い。
でも――
もう一度、剣を掴む。
腕が震える。
指が白くなる。
それでも、立つ。
「……まだ……」
息が荒い。
「……まだ、やれる……」
ヴァイレンは、ほんのわずかに目を細めた。
(折れねぇな)
それだけ思う。
夜。
兵舎の隅。
膝を抱え、座り込む。
勇者と呼ばれても、何もできない。
「……私……」
小さな声。
「……何なんだ……」
その背に、毛皮がかけられた。
振り向くと、ヴァイレン。
「寝ろ」
ぶっきらぼうに言う。
「明日もきつい」
それだけ残して、去っていく。
毛皮を握りしめる。
(……でも)
(……死にたくは、ない)
その夜。
魔界で初めて、
“生きたい”と思った。
黒耀城の訓練場。
高い天井。黒い石の床。
魔素が濃い。呼吸するだけで肺が焼ける。
「立て」
短い命令。
女勇者――いや、武官見習いは、膝をついたまま歯を食いしばる。
立つ。
全身が痛む。
剣を握る手が震えている。
その前に立つのは、ヴァイレン。
黒の中でもひときわ濃い角。
真っ直ぐで、長く、歪みがない。
偶然ではない。
強さは、形に出る
魔族は、強いほど美しい。
飾りではない。
筋肉の付き方。骨格。姿勢。
そして――魔素の流れ。
無駄がない。
体内を巡る魔素が最短で循環し、肉体を最適な形へと整える。
ヴァイレンとレイゼンは、その極みに近い。
見れば分かる。
格が違う。
「剣を持て」
ヴァイレンが木剣を投げる。
受け取れず、床に落ちる。
「拾え」
拾う。
握る。
構える。
甘い。
次の瞬間、衝撃。
腹に一撃。
視界が揺れ、空気が抜ける。
「遅い」
怒鳴らない。
叱らない。
ただ、事実だけを告げる。
何度打たれたか、もう分からない。
数える余裕は、とっくにない。
拾う。
構える。
打たれる。
また拾う。
構える。
叩き落とされる。
「……っ、は……」
息が浅い。
胸がうまく広がらない。
それでも倒れない。
――倒れさせてもらえない。
「……なぁ」
息の合間に、絞り出す。
「……魔界って……」
「なんだ」
「……空気、薄い……?」
ヴァイレンは一瞬だけ目を細めた。
「今さらか」
それだけ。
説明はない。
だが、答えにはなっていた。
「慣れろ」
ヴァイレンが木剣を構える。
「吸いすぎるな」
「吐きすぎるな」
「……どっちもダメってこと……?」
「そうだ」
即答。
一歩、踏み込む。
「だから慣れろ」
振り下ろされる木剣。
今度は――
かろうじて受けた。
乾いた音。
腕が痺れる。
(……受けた……)
ほんの一瞬、目が合う。
ヴァイレンは何も言わない。
もう一度、剣を振るうだけだ。
気づけば、床に座り込んでいた。
全身が痛い。
息をするだけで軋む。
「……もう……」
声にならない。
ヴァイレンが近づく。
「今日はここまでだ」
その一言で、力が抜けた。
「……殺されるかと思った……」
「殺す気はねぇ」
「……ほんとに……?」
「死なせる気もねぇ」
背を向ける。
そして、振り返らずに言う。
「だが甘やかす気もない」
足音が遠ざかる。
一人残され、黒い石の床に仰向けになる。
天井が遠い。
息は浅い。
それでも。
(……生きてる)
昨日より、少しだけ。
そう思えた。
勇者のメンタルはメンズのままです。
そのうちラブコメになりますちゃんとはい。




