1 勇者到来ーTSする
魔王戦
黒耀城。
黒都 アトラエ
赤との戦を終えたばかりの城内には、まだ血の匂いが残っていた。
その空気が、ふいに揺らぐ。
転移陣の光が弾け、白い輝きが闇を裂く。
現れたのは、ひとりの戦士。
白銀の鎧。青い紋章。握られた剣。
──勇者。
「ここが……魔界」
声は震えていない。
恐怖より、覚悟が勝っている。
玉座の間。
黒曜石の階段の上に、男が立っていた。
レイゼン・ヴァーレス。
王冠はない。鎧もない。
それでも視線を奪う。
黒い二本角。
闇をまとう黒衣。
ただ立っているだけで、空気が変わる。
──美しい。
それが、勇者の最初の感想だった。
「勇者よ。名を名乗れ」
低く、静かな声。
勇者は剣を掲げる。
「我は勇者セレン。神の導きにより、魔王を討ちに来た」
ざわめき。
レイゼンは動じない。
「神、か」
「貴様が地上を脅かしていると聞いた」
「誰からだ」
「……教会だ」
一瞬で、場の温度が落ちる。
レイゼンは小さく頷いた。
「そうか」
階段を降りる。
足音は静かだが、重い。
「問おう。地上は平和か」
答えられない。
「争いは絶えぬか。教会は清廉か」
沈黙。
「貴様は騙されている」
剣先がわずかに揺れる。
「戯言だ!」
「ならば、討て」
距離が縮まる。
圧が、勇者を押す。
「勝てば我が首をくれてやる。負ければ――敗北だ」
「来い」
勇者は踏み込む。
迷いなく剣を振るう。
当たる。
そう思った。
だが。
視界が揺れる。
防がれていない。
弾かれてもいない。
ただ、届かない。
足元が消える。
気づけば、距離が戻っている。
レイゼンは動いていない。
「……なにをした」
「何も」
それだけ。
勇者の指が震える。
怖いのではない。
理解できない。
その瞬間、悟る。
これは力の差ではない。
立っている場所が、違う。
戴冠試練
剣が鳴った。
金属音は一度きり。
刃は噛み合わず、空を切る。
勇者は踏み込む。
速さも踏み込みも申し分ない。
だが――距離が合わない。
近いはずなのに、半歩届かない。
「っ……!」
振るうたび、視界の端で魔王の位置がずれる。
避けられているわけでも、読まれているわけでもない。
そこにいない。
背後に気配。
振り向く。
――いる。
数歩先。同じ距離。
「……なぜ」
息が詰まる。
剣は重い。
溜めた魔力は空を掴む。
振るうほどに、自分だけが削られていく。
詰める。
また詰める。
それでも届かない。
その間、レイゼンは一度も剣を抜かなかった。
ただ、立っているだけ。
勇者は悟る。
これは戦いではない。
試されてもいない。
次の踏み込みで、足元が消えた。
剣が空を裂く。
衝撃。
――届かない。
技でも力でもない。
立っている“場所”が違う。
膝をつき、剣を落とす。
「……くそ……」
息が荒い。
「殺せ……」
顔を伏せる。
「ここで……一人で……死ねると思っていた……」
レイゼンは剣を向けない。
「なぜだ」
勇者が顔を上げる。
「なぜ死に急ぐ」
「……?」
「挑み、負けただけだ」
淡々と告げる。
「魔界には制度がある。王に不満があれば、誰でも挑める」
「それは……恥だ」
「ならば、生き恥を晒し戻れ」
勇者は唇を噛む。
「……帰り方が分からない」
わずかな間。
「ふむ」
レイゼンは顎に手を当てた。
「ならば」
勇者が顔を上げる。
「我らの戦に力を振るえ」
「……何を言っている」
「死に場所を探しているのだろう」
視線は冷静だ。ただ事実を見る。
「問う。如何にして地上へ帰る」
「……知っているのか」
「然り」
迷いない声。
「道はある。だが――血と火を越えねばならぬ」
口元がわずかに歪む。
「余興が欲しい」
勇者の肩が震える。
「もう少し必死になってもらわねば、面白くない」
片手を上げる。
空間が歪み、一冊の書が現れた。
黒革の装丁。古代ヴァルム文字。
迷いなく開き、筆を走らせる。
最後に金の玉璽を押す。
「――《戴冠試練》」
光が満ちる。
白でも黒でもない、王の光。
「――っ!」
光が弾け、止む。
勇者は床に倒れていた。
足音。
「兄貴!」
ヴァイレンが駆け込む。
「早かったな」
「無事かよ」
「うむ。《戴冠試練》にて勝利した」
「はぁ……で、死んだのか?」
「いや」
勇者が呻く。
カン、と兜が落ちる。
金髪が広がる。
長いまつ毛。
青い瞳。
少女の顔。
「……おぉ」
ヴァイレンが固まる。
「うむ。うまくいったな」
「何をしたんだよ……」
少女が叫ぶ。
「なにが起きた!? ……女になってる!?」
「はぁぁ!?」
ヴァイレンの声が裏返る。
レイゼンは淡々と告げる。
「気がついたか」
瞳が静かに光る。
「元に戻り、地上へ帰りたくば――剣を振るえ」
微笑む。
「これから、たくさん働いてもらうぞ」
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