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領主の野望

 伯爵になった。

 ヘルグラント領の統治を任された。

 ……なのに、俺は何をしているんだろう。


 執務室の窓から外を眺める。

 青空の下、ヘルグラントの街並みが広がっている。煉瓦造りの建物が並び、石畳の通りを行き交う人々の姿が見える。

 その向こうには広大な農地が広がり、小麦畑が風に揺れていた。

 

 俺は壁に貼られた地図へと目を向ける。

 南には魔界へ通じるダンジョンのある大森林。

 北は未開拓の荒れ地。

 西には山脈の先に隣国の領土。

 そして東は王都エルディアへと続く交易路。

 

 まあ、ほとんど何もない田舎だ。今までは農業や畜産業を慎ましく営んでいた地域である。

 ところが、魔界へと通じる新ダンジョンを作ったことで、レアアイテムの一大生産地となった。もちろん修羅ギルドの討伐のおかげだ。

 今のままでも、領地の経営は何とかやっていける。

 しかし、やはり物足りない。

 平和だからこそ、ロマンを追求してみたい。

 ダンジョン以外の血湧き肉躍る何か。

 俺は何を成し遂げれば良いのだろう……。

 もしも考え付いたとして、俺に実現出来るのだろうか。

 いや、そもそも俺は伯爵になったんだよな。それって割と偉い領主様のはずなのに……。


 バタン!


 背後で扉の開く音がした。


「ウォールド、お父さんにお弁当届けてくるわね~!」


 振り返ると、母さんが執務室に入ってきた。手には籐のバスケット。

 中には父さんの好物が詰まっているのだろう。美味しそうな匂いが漂ってくる。

 母さんは俺に手を振ると、部屋の隅に焼き付けられた転送陣へと向かう。

 青白い光が母さんを包み込み、次の瞬間には姿が消えていた。

 父さんは奴隷から解放され、英雄として冒険者ギルド本部のギルドマスターとなった。毎日王都へ出勤している。

 一方、母さんは毎日王都へとお弁当を届けている。そしてそのまま夕方まで帰ってこない。

 母さんは父さんにベッタリで、仕事の邪魔になっていないか心配になる。


 バタン!


 また扉が開いた。


「お兄ちゃん! 見て見て! ファブが面白い物作ってくれたよ」


 エミリーが駆け込んできた。手には小さな革のポーチ。目を輝かせながら俺の前に立つ。


「見ててよ! この中って、別の場所と繋がってるんだよ」


 そう言いながらポーチを開き、中に腕を突っ込む。肘まで入っているのに、ポーチは膨らみもしない。

 次の瞬間、エミリーは大量のポーションを取り出した。赤や緑の液体が入った小瓶が、机の上に並べられていく。


「これって別のポーチと繋がってて、もう一個は倉庫に置いてるんだよ。便利でしょ!」


 バタン!


 言いたいことだけ言って、エミリーは出て行った。

 嵐のような妹だ。

 気軽に執務室に出入りされる領主。ちっとも偉くなった気がしない……。


 俺は深くため息をついて、椅子に腰を下ろした。

 執務室と言っても、元はギルドマスターの部屋だ。伯爵とは言っても、豪華な屋敷もなければ、執事やメイドもいない。単に、肩書きに釣り合う責任を押し付けられたと言った所だ。

 とはいっても、国王の期待には応えたかった。


 机の上に並んだポーションを眺める。

 赤や緑の液体が、窓から差し込む陽光を受けて輝いていた。

 ふと、地獄の特訓を思い出す……。

 生傷が絶えず、ポーションをガブ飲みしていた日々。

 シフォンに追いかけられ、喰われた日々。

 温泉が出るまで地面を掘りまくった日々。

 よく死ななかったものだ……。


 あの温泉、いい湯加減だったな……。

 もっと近くにあれば良かったのに……。

 ファブに頼んで転送陣でも設置してもらうかな……。

 そうすればいつでも入れる……。

 リナと温泉か……。


 目を閉じると、妄想が膨らんでゆく。

 湯気の向こうに、リナの姿が浮かぶ。

 湯面に屈折する艶めかしい肢体。

 首筋に張り付く濡れた髪。

 火照った頬。潤んだ瞳。

 甘い香りが漂ってくる。

 湿った吐息が、顔にかかる……。


「ああ……たまんねぇな……」


 ニヤけた顔で目を開くと、すぐ目の前にリナの顔があった。


「どうしたの?」


 不思議そうに首を傾げている。

 茶色の髪が揺れ、そばかすの浮いた頬が近い。

 その瞬間、顔に血が昇り、熱くなる。

 頭が混乱し、パニックになる。なのに体は全く動かない。

 俺は固まったまま、その場を取り繕う言葉を探した。


「お、お金が……溜まらねぇな……」


 リナは不思議そうな顔をしたまま、その後も財政を確保する相談に乗ってくれた……。


 ◆◆◆


 その後、執務室にファブが現れた。

 白いローブは豪華なのだが、何故か貧乏神っぽい。

 最近はあまり気にしていない様子なので、少し嬉しくなる。

 ファブはソファに腰を下ろし、くつろぎ始めた。

 俺はエミリーの持ってきたポーチについて尋ねてみた。


「ああ、あれかい」


 ファブは天井を見上げながら答える。


「エミリーに頼まれたんだ。壁に穴を二つ開けて、それを空間で繋ぎたいって」


「ポータルとか言ってたんだけど、よく分からないからポーチを作ったんだ」


「そしたら、これじゃないって突っ返されてね」


 ファブは両手を広げて首をかしげる。


「エミリーは凄く喜んでたけどな……」


「確かに喜んでポーションを出してたよ。転送陣みたいなものなのか?」


 俺はポーションを手に取りながらファブに話す。


「転送陣は人や物を転移させるんだけど、ポーチは空間を繋げるんだ。似ているけど違うものだよ」


「空間を繋げるって凄いな。色々なものを届けられそうだ……」


 ふと、あることを思いついた。


「……そうだ。温泉のお湯をここに出せば」


 ファブが何かを察したように、俺を見ている。

 その目には、期待の光が宿っていた。


「……ファブ、やろうか」


 俺は真面目な領主の顔でファブを見た。


「流石だね! お湯を張る桶はあるかい?」


 ファブはにやりと笑い、手のひらに魔法陣を展開する。

 青白い光が部屋を照らした。


「それじゃあ楽しくない」


 俺は真剣な表情でファブを見つめた。


「まさか……」


 ファブがソファから立ち上がる。

 魔法陣が消え、瞳が期待に輝いた。


「この街に温泉施設を作る!」


 俺は拳を握り、決意を表明した。


「そして観光資源で利益を出すぞ!」


 建前を高らかに叫ぶ。


「ふっ、僕はポーチの技術を水瓶に転用するとしよう。さっそく制作に取り掛かるよ」


 ファブも顔を赤く染めながら、顎に指を置くポーズで消え去った。

 男二人、下心を隠しながらの共同作業が始まる。


 温泉をここに作る。

 場所は既に決まっている。

 俺は窓から訓練場を見下ろした。

 広々とした砂地が広がっている。今ではほとんど使用されていない場所だ。

 午後の陽光が、砂埃を金色に染めていた。


 ここが、ヘルグラント温泉郷になる。

 俺は静かに拳を握った。


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