表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/47

温泉郷

 修羅ギルドの訓練場に、温泉施設の建設が始まった。

 木材を積んだ荷馬車が次々と到着し、石材を運ぶ労働者たちが汗を流している。

 街の外れにあった静かな訓練場が、今や建設現場の喧騒に包まれていた。

 休憩所、脱衣所、そして宿泊施設。

 俺の指示のもと、着々と温泉郷の形が出来上がっていく。

 国王より賜った報酬の全てを注ぎ込み、絢爛豪華な温泉施設が出来上がってゆく。

 その隣には、相変わらずボロボロな修羅ギルドが立つ。

 その執務室から俺とファブは建築の様子を確認する。


「順調だね、ウォールド」


 ファブが隣に立ち、工事の様子を眺めている。

 その目は、どこか遠くを見ているようだった。


「ああ。予定より早く進んでる」


「それで……例の件は?」


 ファブの声が、急にひそひそ声になる。

 俺は周囲を見回し、誰もいないことを確認した。


「抜かりない」


 俺は懐から一枚の図面を取り出した。

 温泉施設の設計図。その中央には、執務室の位置が赤く印されている。

 そして執務室の窓から女湯まで、点線が引かれていた。


「完璧な角度だ」


「流石だね。これぞ領主の特権というやつさ」


 二人でニヤリと笑い合う。

 窓から女湯が見える。

 それは男のロマン。

 いや、領主としての視察業務だ。決してやましい気持ちではない。

 俺たちは図面を広げ、より良い角度を検討し始めた。


「ここに鏡を設置すれば、死角がなくなる」


「天才だよ、ウォールド」


 妄想が膨らむ。

 湯気の向こうに浮かぶ、艶めかしい肢体。

 水滴が滴る白い肌。

 濡れた髪が首筋に張り付き――。


「お兄ちゃん、何してるの?」


 背後から声がした。

 振り返ると、エミリーが立っていた。

 腕を組み、じとーっとした目で俺たちを見ている。


「え、えーと……」


「図面の確認をしていたんだ」


 ファブが素早く図面を隠す。

 危うくエミリーに見られる所だった。


「……お兄ちゃん」


 エミリーが満面の笑顔で話す。

 執務室の窓から工事の様子を伺うエミリー。

 数秒の沈黙。

 エミリーの目が、ゆっくりと俺たちに向けられた。


「温泉楽しみだね!」


 エミリーはにっこりと微笑んだ。

 その笑顔が、何故か怖い。


「そ、そうだな、俺達も楽しみだ」


 何事もなく執務室から去るエミリーを見て、俺たちは、ほっとため息をついた。


 ◆◆◆


 温泉が完成した。

 魔法の水瓶から引き込まれた温泉が、大きな湯船を満たしている。

 湯気が立ち上り、硫黄の匂いが鼻をくすぐる。

 俺とファブは、並んで湯に浸かっていた。


「はぁ……最高だな」


「本当にいいお湯だね」


 体の芯から温まる。

 疲れが溶けていくようだ。

 女湯からは、リナとエミリーが楽しそうにはしゃいでいる声が聞こえてきた。

 俺たちは顔を見合わせ、不敵な笑みを浮かべた。


「さて、そろそろ視察業務といこうか」


「そうだね。領主としての責務だからね」


 湯から上がり、体を拭く。

 そして執務室へと向かった。

 俺達は期待に胸を膨らませながら、扉を開ける。


「さあ、いよいよ――」


 言葉が止まった。

 執務室の中央に、巨大な影があった。

 三つの頭。燃えるような赤い目。鋭い牙。

 シフォンが、ケルベロスの姿で俺たちを睨んでいた。


「グルルルル……」


 低い唸り声が響く。

 窓際には近づけそうもない。


「え、えーと……シフォン?」


 三つの頭が同時に吠えた。


「ガウッ!」


 俺とファブは、そっと扉を閉めた。

 廊下に出ると、エミリーが壁に寄りかかって待っていた。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


「……なぜ執務室にシフォンが?」


「シフォンにお願いしたの。女湯を守ってねって」


 エミリーはにっこりと笑う。


「誰かが覗き見したらいけないでしょ?」


 そう言いながら、飲み物の瓶を片手に去っていった。

 俺とファブは、その場に崩れ落ちた。


「たとえ……」


「たとえ喰われても……せめて一目、見たかった……」


 男たちの夢は、ケルベロスの前に散った。


 ◆◆◆


 数日後。

 温泉施設は正式に開業し、街の人々で賑わっていた。

 女湯からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 窓にはシフォンが睨みを利かせており、巨大な魔獣の前に座る俺は、地獄の番人のような絵面だった。

 俺は執務室で書類仕事をしながら、ため息をついた。


「ウォールド、お客さんだよ」


 ファブが執務室に入ってきた。

 その後ろには、光り輝く女性が立っていた。

 金色の髪。輝く瞳。神々しいオーラ。

 最初は仮面を被ったリナだと思った。

 しかし、実際には仮面のモデルとなった女神だという。

 俺はファブに経緯を聞いてみた。


 ◆◆◆


 僕はウォールドと一緒に掘った温泉の湯を街まで引き込むため、魔法の水瓶を作っていた。

 そこに何気なく通りかかった女神ルミエラが、僕に声をかけてきた。


「久しぶりね、ファブ。今度はいったい何を作っているの?」


「やあ、ルミエラ。これは温泉を繋げる水瓶さ。完成したら君も入ってごらんよ、とっても気持ちいいんだ」


「温泉? 地上界に作ってるの?」


 僕は笑顔で頷いた。


「もちろん。魔界のと違って、いい湯加減なんだ。」


 その言葉が広まったのだろう。

 翌日から、女神たちが次々と温泉を訪れるようになった。


 美の女神ルミエラ。

 知恵の女神アテリア。

 癒しの女神セレナ。

 戦いの女神ヴァルキア。

 音楽の女神メロディア。

 豊穣の女神アグリシア。

 僕を振った女神たちだが、今でも良き友人として接してくれている。

 さすが女神様と言った所だ。とても懐が深い。


 天界にはマグマがなく、温泉は存在しない。

 逆にマグマの多い魔界には温泉があるが、熱すぎて入れない。

 地上界に有る適温の温泉は、女神たちにとって初めての体験だった。


「まあ、なんて気持ちいいの……」


「こんな素晴らしいものがあるなんて……」


「ファブ、見直したわ」


 女神たちの声が、女湯から聞こえてくる。

 あまりの神々しさに、お湯まで輝き出したとエミリーが話す。

 街の女性たちは、その光景眺めて祈り始めたそうだ。


「女神様が降臨なされたわ……」


「ありがたや、ありがたや……」


 こうして女湯に「女神の秘湯」の伝説が生まれた。


 ◆◆◆


 温泉から上がった美女たちが、ファブの元を訪れた。

 ルミエラが代表して、ファブに微笑みかける。


「招待してくれてありがとう、ファブ」


「とても気持ちの良いお湯だったわ」


 セレナも頷く。


「お礼に、この温泉に祝福を与えておいたわ」


 ヴァルキアが腕を組んで言った。


「また来るから、よろしく頼むぞ」


 女神のような美女たちは優雅に手を振り、転送魔法で帰っていった。

 ファブは笑顔で見送っている。

 しかし、その隣でエミリーがふくれっ面をしていた。


「エミリー? どうしたんだい?」


「……別に」


 エミリーはそっぽを向く。

 ファブは困った顔で首を傾げた。


「何か気に障ることがあったかな?」


「……綺麗な女神様たちに囲まれて、嬉しそうだったから」

 エミリーは横目で皮肉っぽく答える。


「え?」


 ファブが目を丸くする。

 俺は思わず吹き出しそうになった。

 エミリー、それは嫉妬というやつだ。

 女神のように美しかったから、男なら顔が緩んでも仕方がない。


「そ、そんなことないよ。僕はただ、温泉を楽しんでもらえて嬉しかっただけで……」


「ふーん」


 エミリーの機嫌は直らない。

 ファブは慌てて何かを取り出した。


「そ、そうだ! これをあげるよ!」


 それは一つの果物だった。

 一見すると普通の桃。しかし、ほのかに光を放っている。


「これは?」


「天界の果物さ。別名『女神の実』と呼ばれている」


 エミリーが桃を受け取る。

 その瞬間、桃が淡い光を放った。


「わあ……綺麗」


「食べると、女神としての力が顕現すると言われているんだ」


「女神の力?」


「うん。どんな力かは、食べた人によって違うらしいけどね」


 エミリーは桃を大切そうに抱えた。

 ふくれっ面が、いつの間にか笑顔に変わっている。


「……ありがとう、ファブ」


「機嫌、直してくれたかい?」


「うん。でも、また綺麗な女神様にデレデレしたら怒るからね」


 エミリーは桃を抱えて、部屋を出て行った。

 ファブは額の汗を拭いながら、ほっと息をついた。


「……なんとか許してもらえたみたいだね」


「お前、全然分かってないな」


 俺は呆れながらファブを見た。


「え? 何が?」


「……いや、なんでもない」


 もし神様だったとしても、鈍感な神様だ。

 エミリーの気持ちに、いつ気づくのやら。


 そして、その後の奇跡により、俺は彼女達を本物の女神様と認めることになった。


 ◆◆◆


 女神たちの祝福を受けた温泉は、驚くべき変化を遂げた。

 女湯に、あらゆる効能が現れたのだ。

 美肌効果。魔力増進。体力回復。あらゆる病の治療効果。

 さらに、女神たちによって不可視の結界が張られ、覗き見は完全に不可能となった。


 街の商店では、女神饅頭や女神の写し絵、女神人形などが名物として売られ始めた。

 観光客が押し寄せ、宿屋は連日満室。

 女神への信仰が増し、祝福の効果はさらに強力になっていく。

 女神はもはや、街の守り神となってしまった。

 ヘルグラントは女神の温泉郷として有名になってゆく。


 一方、男湯は別の意味で有名になった。

 修羅ギルドの冒険者たちが入るため、湯船はブサイクとボコボコ顔の異様な光景に。

 しかも、女湯から聞こえてくる楽しげな声に興奮し、なかなか湯から上がれない。

 のぼせてフラフラになる者が続出した。


「あやうく女神様の元に召される所だった……」


「あそこに入ると、地獄を見る」


「命がけの入浴だ」


 いつしか男湯は「地獄の釜」と呼ばれるようになった。


 女神の秘湯と、地獄の釜。

 こうしてヘルグラント温泉郷は、大いに発展していった。


 ◆◆◆


 その頃、魔界では――。


 薄暗い洞窟の中を、一人の少女が歩いていた。

 長い黒髪。紅い瞳。背中には小さな蝙蝠の翼。

 サキュバスの特徴を持つ少女だった。

 しかし、その翼は普通のサキュバスより小さい。


「魔王様……どこにいらっしゃるのです?」


 少女は魔王を探していた。

 名前はまだない。

 魔族にとって、名前は主から与えられるもの。

 彼女は魔王に名前をもらうため、ずっと探し続けていた。


「お前、まだ魔王を探しているのか」


 背後から声がかかった。

 振り返ると、リッチーの集団がいた。

 骨だけの体に、ボロボロのローブを纏った不死者たち。


「リッチー様。何か情報はないです?」


「ふむ……実は、見たのだ」


 リッチーの一体が前に出た。


「魔王を?」


「ああ。人間界との境にあるダンジョンで、魔王様を見た」


 少女の目が輝いた。


「本当なのです?」


「間違いない。禍々しいオーラ。威圧感。あれは魔王様に違いない」


 リッチーは震えながら言った。


「我々は恐れおののき、その場から逃げ出した。しかし、あの御姿は忘れられん」


 少女は頭を下げた。


「ありがとうなのです。すぐに向かいますです!」


 少女は走り出した。

 魔界の荒野を駆け抜け、人間界へと続くダンジョンを目指す。


 やがて、転送陣を発見した。

 しかし、その前には神の結界が張られていた。

 普通の魔族なら、決して通ることはできない。


「……私は、半分は人間、通れるはずなのです」


 少女は結界に手を触れた。

 激しい痛みが走る。魔力が削られていく。

 それでも、少女は前に進んだ。


「魔王様に……名前をいただくまでは……」


 魔力を使い果たし、満身創痍で結界を突破する。

 転送陣が光り、少女の体を包み込んだ。


 次の瞬間、少女は見知らぬ場所に立っていた。

 澄んだ空気。木々のざわめき。そして、目の前には美しい泉。

 忘れられた泉。

 ファブとウォールドが出会った、あの場所だった。


 少女は膝をつき、荒い息をついた。

 魔力は底をつき、体は限界だった。

 しかし、その瞳には希望の光が宿っていた。


「魔王様……必ず、お会いするのです……」


 少女は意識を失い、泉のほとりに倒れ込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ