帰還
五年間、俺は同じ場所に留まっていた。
しかし同時に、とても長い旅をしてきたように感じている。
戦士奴隷としての旅、それもようやく終わる。
パンデム――奴から家族を守るために、俺はアイゼンと名前を変えた。
そしてそれには成功した。ただし、俺はもう家族には会えなくなってしまった。
だが……あの娘、エミリーと呼ばれていた。
とんでもなく強い魔獣を従えていたな。
俺のエミリーは元気にしているだろうか……。
俺の娘と同じ名前だった。それなのに、娘に会えたような気がして、油断してしまった。
崖からは落ちたが、鎧を着ていたせいか、案外平気だった。
川の水は冷たかったがな……。
ウォールド、あいつあんなに強くなってたのか。
まるで化け物だ。何度殴ってもまるで平気だ。
しかもどうしたんだあの筋肉。どんな鍛え方をしたらああなる……。
まあいい、あいつに任せれば安心だ。エルマやエミリーもきっと守れる。
そうか……俺が居なかったせいで苦労をかけちまったのか。それであんなに強く……。
エルマ、俺にはもったいないくらいのいい女だった。
明るくて、優しくて。最後に一目会いたかった……。
でも、そろそろ潮時だな。この世界ともお別れだ。
俺は多くの奴隷を殺してしまった。その罪は償わなきゃな。
もしも死者の国があるのなら、俺は全員に謝ろう。
未練が残ったのは俺のせいだ。
大切な人と会えなくなったのも俺のせいだ。
うまい食事はもう食えない。
励ます声、慰める声、もう聞こえない。
あの明るく輝く笑顔がもう見られない。
全部俺のせいだ……。
エルマ……本当にすまない。
君を残してしまう。さみしい思いをさせてしまった。
あの日、出会えたことは奇跡だ。君は俺の宝物だ。手放したくない。
でも俺は、もう行かなきゃいけない。
ああ、足が重い。誰かが俺を引き止めているのか?
邪魔をしないでくれ。俺は行かなきゃいけない。
あの光の先、あそこまで登って、みんなに謝らなきゃいけない。
俺の最後の仕事だ。
「……て」
なんだ? 何かの声?
「……ないで」
やっぱり声だ。でも誰だ? どこかで聞いた声だ。誰か死んでしまったのか?
「諦めないで!」
なんだ? 俺に言ってるのか? 俺は諦めずにやり遂げたぞ? 今更何を……。
「ようやく見つけた! 私の所に戻ってきて!」
お前は誰だ? もしかしてウォールドと一緒にいた娘? いや、俺は剣を外したはず。
「私はあなたを諦めない。連れ戻しに来たんだから!」
何を言っている? 俺はもう帰れない。あっちに行かなきゃいけないのに……。
ほら、奴隷たちの魂が集まってきた。
「お前は諦めるのか?」
「本当に俺達と来たいのか?」
「俺達が死んだのはお前のせい?」
「なんだよそれ、バカにしてんのか?」
いや、それは……俺がお前達を殺して……。
「俺達が弱かったんだよ。だから奴隷になった」
「お前は生きたかったから俺達を殺したんだ」
それは俺の罪なんだ。謝らせてくれ!
「嫌だね」
「お前は本当にこっちに来たいのか?」
「振り返ってみろ」
俺の体はもう……。
◆◆◆
リナは倒れてもなお、父さんの魂に訴えている。帰ってこいと。
しかし魂は止めても、帰る体がこの状態では……。
その時、ゲートから走ってくる人影が見えた。母さんとエミリーだ。
「ハロルド! やっぱりハロルドなのね」
「お兄ちゃんのバカ! お父さん殺すつもり!」
「いいから手伝って!」
母さんとエミリーもリナに手を重ね、父の魂を逃がすまいと力を込める。
「リナがもう限界だ! ファブ! 何とかしてくれ!」
「僕は癒やし担当じゃないんだよ! どうしよう、癒しの女神セレナ、祝福をお願い!」
『祝福は既に授けています。リナの力を思い出して』
俺の頭の中に声が聞こえる。もしかして女神様の声? リナの力?
あれは……修羅ギルドで見せたヒール。冒険者の傷を治してしまったあの力。
あの時リナは……そうだ! 話しかけていた。
「みんなで話しかけるんだ!」
俺は父さんに話しかける。魂へ届くように。
「安らかな顔して満足してんじゃねえ! 母さんはずっと待っていたんだ! 五年も待たせやがって! 母さんを悲しませるのは俺が許さない。生きろ!」
「ハロルド! せっかく会えたのに! 私を置いていかないで!」
「お父さんのバカ! 出かけるの長すぎ!」
◆◆◆
「ほらな、あいつらまだ諦めてない」
「じゃあな、気が変わったら来な」
俺、物凄く怒られてないか? まあ五年も放ったらかしにしてたら当然か……。
チクショウ! 帰りたい。帰ってまた一緒に過ごしたい。頼む、俺を連れて行ってくれ。
頼むから、俺を助けてくれ!
「さあ、手を取って! 今度は暴れないでよ」
俺は手を取る。温かい手だ。ウォールド、隅に置けないな。
そうか、君はもしかしてリナか?
そして俺はリナに見守られながら、体の中へと帰ってゆく。
体の感覚が戻ってゆく、そして激しい痛みが襲ってきた。
◆◆◆
「ぐがはぁっ!」
「ハロルド! 息を吹き返したわ」
「お父さんが生き返った!」
「まだだ、傷が塞がってない!」
その時、リナがピクリと反応する。そして目を開き起き上がる。
「ふううううっ……連れて帰ったわよ!」
そう言って、父さんの傷を見る。
その場の全員が驚くが、リナだけは冷静だった。
「みんなの声が聞こえたわ。ここからよ! 気合を入れて!」
「おおーっ!」
掛け声とともに、リナに手を重ね、心を一つにする。
「父さんを引っ張って帰るぞ!」
「倒れるまで食べさせるから!」
「新しい服買って!」
「娘さんを僕に下さい!」
声とともにヒールの光が強くなる。
「私はウォールドに救ってもらった! だから私も救いたい!」
「あなたは帰りたいと言った! 助けてくれと言った!」
「あなたは諦めなかった! だから私も諦めない!」
「みんな私に力を貸して!」
リナの声がコロシアムにこだまする。
その声は、観客の心を動かしてゆく。
「アイゼン! 俺はあんたの強さに憧れた!」
「起き上がれアイゼン! あんたの倒れた姿は見たくない!」
「不敗伝説を続けてくれ!」
声援はしだいにコロシアム全体に広がって行き。
ヒールの光も強く輝いてゆく。
「アイゼン! アイゼン! アイゼン!」
声は次第に一つとなり、光の脈動を生み出す。
◆◆◆
国王は眩い光に包まれたコロシアムを見て呟く。
「まるで神の奇跡を見ているようだ……あの娘は誰だ」
王の質問に側近の一人が答える。
「はい、リナという娘です。過去に女神セレナ寺院で修行をしておりました」
「そうか……。この光景、目に刻ませてもらおう」
コロシアムの光は、王の顔を暖かく照らす。その心を癒やすように……。
◆◆◆
光が収まる。胸の刺し傷の血は止まり、父さんはゆっくりと呼吸を始める。
俺、母さん、エミリー、そしてリナとファブ。
みんなが輪になって顔を眺める。
父さんの目がゆっくりと開く。
少し眩しそうに目を細め、母さんの顔を見る。
みんなどんな顔をしていたのか分からない。
でも父さんはほんの少し笑顔を見せた。
そして口を開いて一呼吸する。
そしてその声を聞かせてくれる。
「ただいま……」
ようやく、ようやくその声が聞けた。
胸の傷はまだ深くえぐれている。でも父さんは生きている。
帰って来てくれた。
コロシアムの係員が担架を持って走ってくる。
そして父さんを運びながら、ヒールを継続してゆく。
「ちょっと待ってくれ……」
父さんが手を上げ、係員を制止する。
そして一言だけ話した。
「娘はまだやらんぞ」
そう言い残して、母さんと一緒に会場を後にする。
その言葉に、ファブはイジケてしまったが、エミリーが慰めると、機嫌はすぐに直った。
リナは立ち上がることも出来ないくらいに疲労していた。
俺はリナを抱きかかえる。
リナの顔がとても近い。そして愛おしかった。
リナは恥ずかしそうに口を布で覆うと、俺の肩に顔を埋めてしまった。
俺達が会場を後にすると、一斉に声援が沸き起こる。
コロシアムのトーナメントは幕を閉じ、パンデムはそれ以降、魂を喰らうことはなかった。




