アイゼン
不敗の奴隷戦士、アイゼン。彼こそが、僕とエミリーが遭遇した鎧の男だ。
彼の傍らにある斬業の剣が何よりの証拠だ。
僕はウォールドと別れた後、コロシアムを調べていた。
もともとはパンデムの痕跡を探そうとしていたが、さすがの僕も見つけられない。
異次元に潜んだデーモンは神ですら発見できない。
しかし奴は契約に縛られている。あまり遠くには行けないはずだ。
そして今は、パンデムの代わりに鎧の男を発見したというわけだ。
◆◆◆
コロシアムの地下には、戦士奴隷たちが捕らえられている牢獄がある。
僕はそこへ転移し、鎧の男を探し始めた。
地下牢獄は薄暗く、松明の炎が壁に揺らめく影を落としている。
空気は湿っぽく、鉄錆と汗と血の匂いが混じり合っていた。
両側に並ぶ牢屋の中では、奴隷たちが藁の上に座り込んでいる。
死んだような目をした者、傷を舐める者、祈りを捧げる者。
誰もが明日の死を予感しながら、それでも生きている。
僕は足音を殺しながら、奥へと進んだ。
すると一番奥の突き当たりの牢屋に、傷だらけの鎧が脱ぎ捨てられていた。
鎧には無数の刀傷と、焦げた跡。どれだけの戦いを潜り抜けてきたのか、一目で分かる。
男はその牢屋の中にいた。
しかし鍵はかかっていない。逃げる気がないのか、それとも逃げられないのか。
僕は簡単に扉を開けて、中へと入った。
牢屋の中は他よりも広かった。
壁際には簡素な寝台があり、その上に男が腰掛けている。
松明の光が届かない場所で、男の顔は影に沈んでいた。
ただ、その傍らに立てかけられた剣だけが、鈍い光を放っている。
斬業の剣。間違いない。
「やあ、また会ったね。剣は簡単に手に入っただろ?」
「……お前は何者だ。この剣を奪いに来たのか?」
男は、斬業の剣に手を伸ばす。いつでも攻撃できるように。
その動きには無駄がない。歴戦の戦士の動きだ。
「奴はここに来ているのかい?」
奴とはパンデムのことだ。そして彼の標的のはず。
「……」
男は答えない。
なるほど、神である僕にも分からないんだ。パンデムがここにいる前提で話をしよう。
「まずは自己紹介だ。僕の名前はファブ。君の名前は?」
「……アイゼンだ」
低く、かすれた声。しかし無視はされなかった。
よし、話はできそうだ。あとは……。
「ところでパンデム、僕の魂は取らないのかい?」
僕は何もない天井に向かって問いかける。
薄暗い石天井。蜘蛛の巣が揺れている。しかし何も反応がない。
警戒されてる? それとも僕が神だってバレてる? まあいいや、出てこないのはよく分かった。
「何故その名を知っている?」
アイゼンは動くことなく呟いた。
影の中で、その目だけがこちらを見ている。
「まあ、昔の知り合いということにしようか。苦労したんだよ? 捕まらなくてさ」
「……」
「パンデム、出てきてくれたら嬉しいんだけど。出て来れないのかな?」
僕はパンデムではなく、アイゼンに対して話している。
ここにパンデムが出てこないのは、僕が怖いからだと印象付けるためだ。
「まずは教えてよ。奴が誰と契約したのか」
「まだ俺の質問に答えてない……剣を奪いに来たのか?」
「その剣は君に必要なんだろ? だったら取らないよ。好きにすればいい」
「奴は強い者の魂が好物だ。ファブ、お前は弱そうだ。お前が俺から剣を奪えるとは思えない」
「僕を試しているの? じゃあ、もう奪ってるよ?」
そう話してから、僕は手元に斬業の剣を転移させる。
そして目を見開いたアイゼンの足元に剣を置く。
「……奴の知り合いってのは嘘でもないようだ。いいだろう、教えてやろう。どうせ隠すほどのものでもない」
アイゼンは剣を拾い上げ、再び傍らに立てかけた。
「パンデムと契約しているのは俺と、ヘーゲラ、ヴィクトールの三人だ」
「確かに予想通りだね。ねぇ、このコロシアムの裏口に遺跡がある。知ってるよね」
「ああ、よく知っている……」
アイゼンの声が、わずかに揺れた。
「何があったか教えてくれるかい?」
アイゼンはしばらく考えた後、遺跡での出来事を話し始めた。
まるで自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと。
◆◆◆
「あれはもう五年ほど前だ。俺とヘーゲラ、ヴィクトールでパーティを組んでいた。組んだ理由は簡単だ。冒険者ギルドに依頼が張り出されていた。遺跡探索の依頼だ」
「俺はその依頼を受けた。冒険者としてな。そしてあの扉を見つけた。あの扉は見るからに、何かを閉じ込めていた」
「ヴィクトールはカンヌキを壊そうとしていたが無駄だった。俺は開けることに反対した。しかしヘーゲラは知っていたんだ。扉を開ける方法を……そして何が閉じ込められているのかを」
「ヘーゲラは一冊の本を取り出した。とても古い本で、パンデムについて書かれていた。ヘーゲラはこう言ったんだ。ここには三つの願いを叶える精霊が眠っている」
「そして一人に一つの願いを叶えてくれる。この扉を開くのに三人の力が必要ってな。なるほど、三人必要だから俺に依頼したのか。そう理解したよ」
「ヘーゲラは契約の儀式を始めた。何やらよく分からん呪文を唱えた後、三人で同時にカンヌキを外したら、あっさり外れてしまった」
「それからは奴の登場だ。俺様の名前はパンデムだってな。あれはどう見ても精霊には見えなかったよ。絶対に出してはいけない存在だって、分かった時には手遅れだった……」
◆◆◆
「ヘーゲラの持っていた本は禁書だね。どうやって手に入れたんだろう」
「奴はもともと王宮の文官だった。きっと王宮から盗んだんだろう」
「そしてヴィクトールと君を巻き込んだというわけか」
「俺は巻き込まれたつもりなどない。依頼を選んだのは俺だからな……俺の責任だ」
アイゼンは静かにため息をつく。
その肩が、わずかに落ちた。
僕はアイゼンに、カンヌキについて話す。
「……あのカンヌキはパンデムを縛る契約だった。肉体、魂、精神。この三つをカンヌキに縛り付けて閉じ込めていた。あの儀式で契約を人間に変更したんだな」
「契約内容を教えてくれないか?」
僕がそう話すと、アイゼンは暗闇を見つめ、思い出すように話し始めた。
◆◆◆
「まず契約したのはヘーゲラだ。望みは権力」
「そして次に、ヴィクトール。望みは金だ」
「最後に俺は……契約しないと言ったら、魂を喰うって脅されたよ」
「別に構わないって言ってやったさ……しかし……奴は別のものに目をつけやがった」
そしてアイゼンは腕に手を伸ばす。
そこには、小さなアクセサリーが巻かれていた。
三つの小さな石がついた、素朴な細工のお守り。
僕はそれに見覚えがあった。
ウォールドの母親が作ったものと、全く同じだ。
もしかしてこの男は……。
「結局俺は契約した。望みは力だ。奴を倒せるだけの力が欲しかった」
「代償は何? 何を差し出したの?」
「俺が死んだら魂をくれてやる。そう言ったら大喜びしやがった。強い魂は大好物だ、喰う時が楽しみだってな」
「ヘーゲラとヴィクトールは奴隷の魂を差し出すって言ったよ。できるだけ強い魂を数多く提供するってな」
「もう分かっただろ? ここがその餌場だ」
「そして俺は、死にたくないから殺し続ける奴隷だ」
アイゼンの声には、感情がなかった。
まるで他人事のように、自分の運命を語っている。
「アイゼン、君には守りたいものがあるんじゃないのかい?」
「そんなものはない……」
「じゃあ何故パンデムを狙うの? 家族を守るため?」
「誰かと勘違いしているようだから言っておく。俺に家族などいない」
アイゼンの声が、わずかに強くなった。
「僕はそのお守りを知っている……」
「これは奪ったんだ! ……そうだ! あのブサイクな男。いい死に様だった!」
アイゼンは吐き捨てるように言った。
しかしその手は、お守りを握りしめている。
「記録を見てみろ、奴はもう死んでいる……」
「……わかった。もう言わなくていい。でも僕から一つだけ言っておくよ」
「そのお守りと同じ石を持っている冒険者が、明日、君の前に立ちはだかることになる」
「君は予感していたんじゃないかな? だからあの時、あの寺院で、強引に剣を奪おうとした」
「……」
アイゼンは答えない。
松明の炎が揺れ、男の顔に一瞬だけ光が当たった。
その横顔は、どこかウォールドに似ていた。
「おやすみ。僕は君の魂を見守るよ。必ずね」
そう話して僕は牢屋を後にした。
背後で、アイゼンが何か呟いたような気がした。
でも僕は振り返らなかった。
◆◆◆
地下牢獄を出ると、夜空が広がっていた。
星が瞬いている。綺麗な夜だ。
明日が正念場だ。
僕は神として、何ができるんだろう。
ウォールドは父親と戦うことになる。
そしてアイゼンは……きっと、息子に倒されることを望んでいる。
待っていろよパンデム。お前だけは許さない。
僕は星空を見上げながら、拳を握りしめた。




