追跡
アルケディア王国の王都エルディアに、荘厳な城がある。
今、その城も闇夜に染まり、僅かな月明かりが巨大なシルエットを描き出す。
闇夜に紛れ、一つの松明が城門の裏口へと向かう。
黒いマントにフード。一見すると城の従者にも見える。
だが、リナはその男の正体を見破っていた。
姿勢、歩き方、身の丈。そこから導き出される答えは一つ。王国財務大臣、ヘーゲラ・ファンカルトだ。
シーフとして、そして顔を隠す者として、顔以外で個人を判断する能力に長けていた。奴隷オークションでウォールドを見抜いたのも、その技術があってこそだ。
「あの男がこんな時間に外出?」
リナは城の外壁、物見やぐらの上から見下ろしている。
冒険者ギルド本部で、レオンから得た情報。その真意を確かめるためだ。
ヘーゲラは城から出ると、王都から少し離れた場所へと足を進める。
そこには、数年前に建設されたばかりの新しいコロシアムがある。
「護衛も付けずに一人だけで外出なんて、奴隷商のお仕事って言っているようなものね」
リナは見つからないように、距離を保ちつつ後を追う。
常に視界を障害物で隠し、音の届かない距離を保ち、風上を意識する。
そして、自分自身も誰かに追われていないことを確認する。
長いシーフ稼業で身についた基本だ。不可視の魔法でもない限り、リナを発見することは困難だろう。
「コロシアム? さすがね、豪華すぎるアジトを自分で作るなんて……」
ヘーゲラは周囲を確認し、コロシアムの裏口へと姿を消した。
リナは慎重に裏口へと近づき、空気の動きや気配を確認する。
松明の明かりが遠ざかってゆくのを確認し、中へと入る。
「なに? まるで遺跡じゃない……」
コロシアムの中に広がっていたのは、古く風化した壁。謎の文字が壁一面を覆い尽くし、禍々しい扉が蝋燭の明かりで照らされている。
「なんなのこれ……まるで何かを閉じ込めているような……」
ヘーゲラの入った扉には、何重にもカンヌキが取り付けられていた痕跡がある。
そしてそれを、無理やりこじ開けたような傷が無数に刻まれていた。
扉の奥から、話し声が聞こえてくる。
リナは扉に近づき、聞き耳を立てた。
「ヘーゲラか。今日は何の用だ? また誰か邪魔者を始末するのか?」
その声は、子供とも老人とも言えない不気味な響きだった。人の声に似せているが、どこか歪んでいる。
「最近、私の部署に任命されたエリックという文官がおります」
ヘーゲラの声だ。明らかにへりくだっている。
「奴が感づいたようです。アイゼンに何か伝えたと思われます」
何かを報告している。しかも、あの傲慢な財務大臣が、まるで下僕のように……。
相手は何者だ?
「エリックだな。俺様に任せておけ。アイゼンもそのうち喰らうことになる」
喰らう? 食い殺すのか? もしかして魔獣に話しかけている?
「それではよろしくお願いします。パンデム様……」
パンデム。名前が判明した。あとはその姿を確認できれば――
その時、扉の隙間から僅かな空気が流れてくる。
ヘーゲラが移動している。
リナは急いで扉から離れ、コロシアムの外まで移動する。
外壁を駆け上がり、壁の影へと身を隠す。
ヘーゲラが城へと帰ってゆく姿を確認すると、再び遺跡の扉へと近づいた。
「この中に何が居るの? 確認しなくては……」
扉の隙間から僅かな光が漏れている。その光の動きをしばらく観察する。
僅かな明滅が繰り返されるだけで、中に何かがいる気配がない。
「別の部屋に移動した?」
リナは慎重に、ほんの僅かだけ扉を開ける。
そして中を覗き込んだ。
そこには、何も居なかった。
それどころか、蝋燭の明かり以外何も無い。
入口の扉以外、何も無い部屋だった。
「……」
パンデムは一体何処へ?
隠れる場所も無く、移動する通路や扉も存在しない。唯一の出口は、コロシアムの裏口へ続く扉のみ。
「隠し通路? あるいは……」
しかし、シーフの勘が告げている。ここに隠し扉はない。
継ぎ目も無く、陶器のように艷やかな床と壁。天井も同じだ。
残る可能性は一つ。
不可視の存在。
パンッ!
リナは手をたたき、音の反射に集中する。
全くの暗闘の中でも、存在さえあれば、何かの違和感として感知できる。
シーフの持つ特技の一つだ。
しかし、何の反応もない。最初から何も居なかったかのように……。
リナの額に汗が滲む。思わず腕輪に手が伸びた。
「パンデムってなに?」
そっと呟く。
『すぐにそこから逃げて!』
突然、腕輪から、ファブの叫び声が聞こえた。
間髪入れずに出口へと飛ぶ。コロシアムの外へと全力で走る。
背後で、空気が歪んだ。
ぞわりと這い上がるような気配。だが、振り返る余裕はなかった。
「……逃げたか」
不気味な声が、闇夜に溶けてゆく。
「まあいい。また会えるさ」
その声は、幸いなことに、それ以上追ってくることはなかった。
◆◆◆
その翌日、エリックという名の文官が謎の死を遂げた。
外傷は無く、毒や呪いの痕跡も無かった。何の前触れもなく、突然死んだのだ。
そして、王都ではよくある死に方だった。




