王都の闇
ヘルグラントに帰る途中、俺はリナやファブと一緒に馬車で揺られていた。
車輪が石畳を噛むたび、荷台が小さく跳ねる。木の板がきしみ、干し草の匂いが鼻をくすぐった。
向かいに座るリナは、もう顔を隠していない。
頬にまだ少しだけ疲れの色が残っているのに、それでも口元だけは何度も緩んでしまう――そんな笑顔を見せている。
一方、ファブは腕を組んだまま、窓の外も見ずに考え込んでいる。
指先だけが、ほんの少しリズムを刻むように二の腕を叩いていた。あいつがああいう仕草をする時は、だいたい「ヤバい計算」をしている時だ。
俺は、フードを被った奴隷商の言葉が頭から離れなかった。
冒険者ギルド本部。ヴィクトールだけでなく、組織ぐるみで奴隷の供給に手を貸していた事になる。
だが、リナはその奴隷を救っていた。話が噛み合わない。噛み合わないのに、嫌なほど辻褄だけは合いそうなのが腹立たしい。
俺は息を吸って、なるべく穏やかな声を作った。
「リナ。あの奴隷商の言葉……何か、気にならないか?」
リナは小さく肩を震わせ、膝の上で組んだ指をきゅっと握った。
それから大きなため息をひとつ吐いて、床へ視線を落としたまま口を開く。
「そうね……信じたくはないけど。あの話が本当なら、ヴィクトールはクズね……」
「ああ、そこは俺も同意だ」
リナは苦笑いを浮かべたが、すぐに唇を噛んだ。
自分の中の後悔を、噛み殺しているみたいだった。
「奴隷を売って稼いで……今度は奴隷を救って稼ぐ……。私は、その手伝いをしていたのね」
……そうか。リナはギルドの“表”だけを見せられていたんだ。
正義の依頼だと信じて動いた結果、悪の歯車に組み込まれていた――。
リナだけじゃない。いったいどれだけの冒険者が、同じように利用されている?
リナは、淡々と事実を並べるように続けた。
「冒険者ギルド本部は、王国のあらゆる依頼を引き受けているの。中には王宮から直接依頼されることもあるわ」
「特に討伐や護衛、その中でも高難易度な依頼。このおかげで、商業ギルドは安全な流通が行えているの」
確かに冒険者は、民間の傭兵みたいな立ち位置だ。
軍隊と違って自由に動ける。だからこそ――監視の目は緩い。
「全てのギルドは冒険者の支援を受けていて、しかも貴族社会とも繋がっている。大抵のギルドマスターは貴族だしね」
社交界で見た連中の顔が浮かぶ。
あの場にも、ヴィクトールはいたのか。――いや、いたに決まっている。
「その中でもヴィクトールは、貴族からも絶大な支持を受けていて、誰も逆らわない。全ての冒険者のトップだものね……」
「はぁ……まさか、そのトップが奴隷を供給していたとはな」
俺は吐き捨てるように言ってしまった。
怒りで喉が熱い。けど、今はここで感情だけで暴れるわけにはいかない。
「そこまでの権力を得たなら、王国を裏で操ることも可能だろうな」
「なあ、リナ。奴隷の人数は……増えているのか?」
その問いに、リナの瞳がわずかに曇る。
さっきまでの“帰れる安心”が、薄い膜として剥がれていくように。
「少しずつだけど、確実に増えているわ」
「鉱山、建築、漁師……あらゆる場所で奴隷は使われているの」
「そこでの労働力が奴隷に置き換わって、それまでの労働者が職を追われている」
「そして路頭に迷って犯罪に手を染めて……奴隷に落ちてしまう人も少なくない……」
リナは言葉を区切るたび、息を飲む。
それでも止まらない。止めたら、自分の中に溜め込んでしまうからだ。
「中には生活のために、娘を少女奴隷として売る親もいる」
「人さらいをして金を稼ぐ者も出てきた」
「……私が救い出した依頼も、その一つ。少女奴隷のマリアを、売られる前に救出できた」
マリア、名前が出た瞬間、闇が一気に“人の形”を持った気がした。
「王国はいったい何をやっているんだ……! 奴隷商なんて犯罪だろ!」
思わず声が荒くなる。
馬が驚いたのか、車体が少し揺れた。
リナは、首を横に振った。
「犯罪じゃ……なくなるわ……」
「なんだって? どうしてそうなる!」
「最近、王国の財務大臣が奴隷を合法化させようとしているの」
「奴隷の使用が見逃されているのは、安い労働力のおかげ……」
「奴隷のおかげで商品の価格が下がって、貧しい人が助かっている――そういう理屈よ」
冗談みたいな現実だ。皮肉にしてはタチが悪すぎる。
隣でファブが、はじめて小さく息を吐いた。
眉間に寄った皺が、いつもの飄々とした空気を壊している。
「最近では、奴隷だけじゃなく亜人や獣人も雇い出したわ」
「人より強い肉体や……より美しい容姿を持っているのが理由よ」
「……奴隷は、どんな扱いを受けている?」
俺は、聞きたくない答えを覚悟して尋ねた。
「奴隷を大切に扱う者は多いわ。大切な労働力だから」
「でも中には、死ぬまで働かせる者もいる。人体実験や、生贄の話も聞く……」
「そんなこと……国王が許すはずがない……!」
言った瞬間、自分の言葉の幼さに胸が痛んだ。
――許すはずがない。そう信じたいだけだ。
リナは静かに首を振り、現実を叩きつける。
「奴隷は貧しい者を助ける。合法化すれば堂々と税が取れるようになる」
「多くの貴族たちはそう思っているわ。……そして、国王の耳に入る話もね……」
聞いているだけで気分が悪くなってきた。
胸の奥が、泥水で満たされていくみたいだ。
俺は、今すぐにでも王都へ引き返して殴り込みたくなった。
けど――相手は冒険者ギルド本部だけじゃない。
国の中枢、貴族、商業、奴隷商。闇が広すぎる。
「……ヴィクトールや冒険者ギルドだけの問題じゃないな。もっと調べる必要がある」
俺は歯を食いしばり、怒りを“決意”に作り替える。
殴り込みは、後だ。
まずは情報。確実に、逃げ道を塞ぐ。
そして――俺たちには魔法の仮面が有る。誰も俺たちだと知られずに行動できる。
俺はその闇の中心、そこに蠢く悪意を引きずり出す手順を、頭の中で組み立て始めた。
俺たちの進む先、そこに待ち受けるのは勝利か、破滅か。
まだ分からない。
◆◆◆
俺たちは修羅ギルドに到着し、エミリーの元へ向かった。
一番に報告したかったのだ――リナが、ここにいると。
修羅ギルドの扉を開けた瞬間、カウンターの奥にいたエミリーが顔を上げた。
そして、俺の隣のリナを見た途端――目がまん丸になる。
「リナお姉ちゃんっ!」
椅子を蹴って飛び出してきて、そのまま勢いよく抱きつく。
「良かった……無事に帰ってきた。本当に良かった……」
顔を埋めて肩を震わすエミリーにリナが優しく声をかける。
「ごめんね、心配かけちゃった。でも、帰ってこれた。みんなのお陰……」
リナは困ったように笑って、エミリーの頭を撫でた。
「ただいま、エミリー」
俺はそのやり取りを、少し離れて見守る。
救出だの復讐だの、物騒な言葉が頭を埋めていたはずなのに……この光景だけで胸の奥が温まった。
「よし、執務室で話そう」
俺が言うと、エミリーは慌てて涙を袖で拭き、何度も頷いた。
◆◆◆
執務室。机の上に仮面を置き、俺は全員を見回した。
「相手はヴィクトールだけじゃない。国の中枢と貴族まで絡んでる」
「だから――いきなり殴り込みはしない。まずは情報を集める」
エミリーが不安そうに眉を下げる。リナは静かに頷いた。
「王都を調べる。仮面で別人になって潜入だ」
俺は仮面を指で弾く。乾いた音が鳴った。
……でも正直、浮ついた気持ちもあった。
リナに王都を案内してもらえる。
そのことを思うと、どこか小さく胸が躍ってしまう自分がいた。
変装して観光、みたいな感覚が混ざっている。危機感が薄い? ……たぶんそうだ。
「王都のことなら私が詳しいわ。案内するから安心して」
リナが少しだけ得意げに言う。
「おお、頼む」
俺はつい即答した。
その瞬間。
「えっ!? じゃあ、わたしも行く!」
エミリーが椅子から身を乗り出した。
「ダメだ。受付が――」
「受付嬢は他にもいるもん!」
「いや、そういう問題じゃ……」
エミリーはぷくっと頬を膨らませ、両手を腰に当てる。
「わたし、また置いていかれるの嫌!」
「お兄ちゃんが王都行くなら、わたしも行く!」
まずい。わがままスイッチが入った。
俺が頭を抱えかけた、そのとき。
「お母さんを受付に雇うって話、進めるね」
エミリーがさらっと言った。
「……は?」
思考が止まった。
「いやいやいや、待て待て待て」
俺は手を振った。
「誰がお母さんを雇うって?」
「お兄ちゃんがわたしを置いて王都に出かけたからだよ!」
「留守の間、お母さんに相談したの!」
「相談の方向性がおかしいだろ……!」
リナは口元を押さえて笑いを堪えているし、ファブは椅子にもたれて面白そうに肩を揺らしている。
「お母さん、お兄ちゃんや私と一緒に仕事ができるって、大喜びだったよ?」
「……」
俺は天を仰いだ。
もう無理だ。理屈で止められる流れじゃない。
「……分かった。受け入れる」
俺は観念して椅子に座り直す。
「ただし、王都は“遊び”じゃない。危ないこともある。そこだけは守れ」
「はーい!」
エミリーが元気よく返事をした。
返事だけは。
そのタイミングで、ファブが立ち上がる。
「じゃ、新しい仮面を作ってくるよ。リナやエミリーの分をね」
「腕が鳴るなぁ!」
「え、作れるの?」とエミリーが目を輝かせると、ファブは当然のようにウインクした。
「僕を誰だと思ってるのさ」
そう言いながら、ファブは魔法陣を展開し、床に吸い込まれるように消え去った。
俺は机の端に置いていた魔法の笛を取り、エミリーに返す。
「これも返す。シフォンが役に立った」
「助かったよ」
「でしょ!」
エミリーは得意げに受け取った。
その横でリナが固まる。
「……シフォンって、あの子?」
「うん! わたしの友達!」
「……なるほど」
リナは深く頷いた。
オークション会場で起きた“おかしなこと”が、全部つながった顔だった。
「じゃあリナお姉ちゃん、これ!」
エミリーは新しいギルドカードを取り出し、リナに差し出した。
「修羅ギルドの冒険者として登録したよ」
リナはカードを受け取り、宝物みたいに見つめる。
「……ありがとう」
エミリーは急に真顔になって言った。
「でも、注意。他人にブサイクって言っちゃダメ」
「言うと、頭がハゲるから」
「ええ!?」
リナが思わず自分の髪を押さえる。
「まあ、そういう掟だ……」
俺は咳払いでごまかした。
困惑しつつも、リナがふっと笑う。
「変なギルド……でも、嫌いじゃない」
その言葉が嬉しくて、俺は口元が緩むのを止められなかった。
これで、新しい仲間ができた。
リナと一緒にパーティが始まる。
――だからこそ。
俺は机の上の仮面を手に取り、掌の中でそっと握りしめた。
王都は、きっと楽しい。リナの案内も、エミリーのはしゃぎ顔も、目に浮かぶ。
でも、その向こう側には、確かに闇がある。
絶対に守る! それがどんな相手であっても……
そう、強く心に誓った。




