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リナの救出

 臭い。

 鼻を突く腐敗臭と、カビの匂いが混じり合っている。

 ジメジメとした空気が肌にまとわりつく。まるで洞窟の奥深くに迷い込んだようだ。

 明かりは壁に取り付けられた蝋燭だけ。小さな炎が揺らめき、俺の影を不気味に揺らしている。

 鉄格子が並ぶ通路。その先に光は届かず、暗闇が閉じ込められている。


 その時、泣き声が聞こえた。

 リナの声だ。

 大人になったのに、また泣いている。本当に泣き虫だな。

 俺が守ってやらないと……。

 その時、泣き声がとまった。暗闇の奥に、リナの気配だけが存在する。


 ファブが言っていた。リナは合わす顔がないと。

 どうしてそんな事を……。

 仮面を奪われたことだろうか。

 ここに捕まったことだろうか。

 もう帰れないと思っているからだろうか。

 もしかして、ヴィクトールに乱暴されたんだろうか。

 可哀想に……。


 俺を待っていてくれたのに、声も出せないでいる。

 どうしよう。どうしたら良いんだろう。

 笑顔が見たい。

 笑い声が聞きたい。

 手を取って慰めたい。


 俺は鉄格子に手をかけた。


「リナ、迎えに来たよ」


 息を飲む音。そして、鎖が地面を擦れる音が響いた。

 リナがそこに居る。何も言えずに怯えている。

 俺の言葉は、リナの心に届くだろうか……。


「俺、リナがヒーラーになるって言った時、本当は止めたかったんだ」


 返事はない。でも、暗闇の向こうで息遣いが聞こえる。


「リナが王都に行っちゃうだろ? 寂しかったんだぜ」


 鼻をすする音が聞こえた。温かい空気が流れてくる。


「でもさ、俺がタンクでリナがヒーラー。凄くワクワクしたんだ」


 音が消え、静寂が訪れた。

 俺は構わず続ける。


「今のリナはシーフだけどさ、最高だよ。俺の代わりに攻撃ができるんだ」


 暗闇の中で、何かが動く気配がした。


「俺、こんな見た目だけど弱くてさ。スライムを倒すのだって苦労してたんだ」


 鎖の音が、少しだけ近づいた。


「でもリナが居れば大丈夫だ。エミリーから聞いたよ。俺のために凄いトレーニングしてたって」


 足音が聞こえる。ゆっくりと、こちらに向かってくる。


「俺なんかファブが居たから耐えられたけど、一人だと挫折してたかも」


 鎖を引きずる音が、しだいに増えてゆく。


「リナは凄いよ。俺にないものを持ってる」


 暗闇から、白い手が見えた。鉄格子に近づいてくる。


「ずっと待ってたんだぜ。もういい加減、待ちくたびれたな」


 鎖の音が激しくなる。足音が駆け寄ってくる。


「一緒に帰ろう、リナ!」


 ジャリーン!


 鎖が激しく鳴った。

 鉄格子の隙間から、リナの両手が飛び出してくる。

 そして俺の体を強く抱きしめた。痛いくらいに。


「うわあああん! ごめんなさい! 仮面、取られちゃったよう!」


 リナは子供のように泣きじゃくっている。

 俺はリナの頭を包むように抱きしめた。


「ファブがまた作ってくれるさ。俺なんか沢山持ってる」


 ああ、あったかいな。


「取り返そうとしたけど、捕まっちゃった。帰るって約束したのにい!」


 鉄格子の隙間から、俺の胸に顔を埋めている。


「迎えに来ただろ? こんな所で辛い思いをさせてごめんな」


 リナの指に力がこもった。


「乱暴されそうになった。怖かったよう! でも仮面が外れて助かった。悔しい……」


 俺の服を掴む手が震えている。


「よかった。リナが無事で。ちょっと強いモンスターに襲われたと思いなよ」


 鉄格子の冷たさに、リナの温かさが伝わってゆく。


「ごめんなさい! ごめんなさい……」


 リナは何も悪くないじゃないか……。


「もう謝らないで。笑った顔を見せてよ」


 リナは俺に顔を見せようと、ゆっくりと上を向いた。

 そして、涙でぐちゃぐちゃになった顔で微笑む。

 ああ、俺の大好きな可愛い笑顔だ。

 おれも笑顔を返す。でもきっと、暗くて見えないかな。

 蝋燭の影になってるしな。

 俺はリナの涙を拭く。


「リナは泣き虫だな」

「バカ!」

 リナが俺を見て笑っている。


 しかし、その顔が恐怖に歪む。

 背中に気配、俺の影の後ろに、別の人影が忍び寄る。


「いやぁぁぁぁ! やめてええ!」


 リナの絶叫と同時に、頭に衝撃が走った。


 ガンッ!


 後ろを振り向く。

 見張りと思われる男が、剣を振り下ろしていた。

 明らかに殺すつもりで不意打ちを仕掛けられたのだ。

 男は黒いフードを被っている。おそらく奴隷商人だろう。


「なっ! 何だと!」


 男は驚きの表情で俺を見ている。

 そして何度も俺を斬りつけるが、バリアウォールのスキルで何ともない。

 俺は振り下ろされる剣を素手で受け止め、そのままカウンターリフレクションを発動させた。


 バリバリバキイィィン!


 剣が砕け散る。


「ひいいいっ!」


 俺は怯える男の胸ぐらを掴み上げ、間近で睨みつけた。


「お前は奴隷商人か? 答えろ!」


「そっ、そうだ……」


「どこに売りつけるつもりだ!」


「戦士奴隷だ、闘技用だ」


「この娘を誰から買った! 言え!」


「しっ、知らない! 知っていても言えるわけがない」


 俺はリナの様子を確認した。

 鉄格子の前で呆然としている。しかし、僅かに安堵の色も伺えた。


「リナ、ちょっと奥に下がってて」


 俺がそう言うと、リナは少し安心した顔になり、鉄格子から離れた。

 俺は男に向き直り、エミリーから預かっていた魔法の笛を取り出す。


「言いたくないならそれでも良い。これを見ても気が変わらないのならな」


 ピイーーーッ!


 笛を吹くと同時に、周囲に煙が充満した。

 そして轟音と共に、シフォンがケルベロスの姿で現れる。

 三つの頭がヨダレを垂らしながら、男を睨みつけた。


「うわああああっ!」


「少女奴隷のオークションを潰したのは何だと思う? この魔獣だ」


 俺はシフォンの頭に手を置いた。


「買った奴を守りたいのなら、ここの全てと引き換えだ」


「やっ、やめてくれええええ!」


「誰が売ったかなんて、察しは付いているんだ。お前はもう必要ない。喰われろ!」


 シフォンは三つの口で、男の体を舐め回した。


「ひいいいっ! おっ、思い出した! ヴィクトールだ」

「冒険者ギルドに依頼してるんだ! わあああっ!」


「……牢屋の鍵は置いていけ」


 俺が手を離すと、男は鍵束を投げ捨てて走り去った。

 ヴィクトール。その名が出ることは予想していた。

 しかし、依頼を受けていた?

 冒険者ギルドの本部だぞ。一体何をやっているんだ……。

 俺は壁の蝋燭を手に取った。

 そして牢屋へと向かい、鍵を開ける。


「リナ、もう大丈夫だ」


 リナは牢屋の隅で、小動物のように縮こまっていた。

 シフォンを見て、ガタガタと震えている。


「あっ! シフォンを紹介するの忘れてた」

「大丈夫、俺達の家族だ。エミリーとも仲良しだ」


 リナは信じられないという顔でシフォンを見上げた。

 シフォンは三つの頭を傾げて、リナを見つめている。


「怖くないから。ほら、撫でてみて」


「むっ、無理! 無理無理無理!」


 リナは両手を振って後ずさりする。

 シフォンがクゥンと寂しそうに鳴いた。


「あっ……ごっ、ごめんね……?」


 リナが恐る恐る手を伸ばす。

 シフォンの真ん中の頭が、その手にすり寄った。


「わっ……ふわふわ……」


「だろ? エミリーがシフォンケーキみたいだからって名付けたんだ」


「シフォンケーキ……」


 リナの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。

 その後俺は、シフォンのことを説明してリナを落ち着かせるのに、結構な時間を要した。

 でも、そんな事も、俺にとっては楽しい時間だった。


 さあ、次はヴィクトールだ。首を洗って待っていろ。

 冒険者ギルド本部ごと奪い取ってやる!


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