変身した姿
特訓が始まった。
毎朝、エルマさんの美味しい朝食をたっぷり食べる。そして森に出て、エミリーちゃんの指導で走り込み。午後は筋力トレーニング。夕方にはストレッチ。
正直、楽勝だった。
私はシーフとして五年間、王都で鍛えてきた。身体能力には自信がある。
エミリーちゃんが用意したメニューは確かにハードだったけれど、こなせないほどではない。
「リナお姉ちゃん、すごい……」
三日目の夕方、エミリーちゃんが目を丸くしていた。
「お兄ちゃんとファブさんは、初日で泣いてたのに」
「え、ウォールドが?」
「うん。『もう無理だ』って言って、二人で抱き合って泣いてた」
あの大きな体のウォールドが泣く姿を想像して、思わず笑ってしまった。
ファブさんも一緒に泣いていたらしい。魔道士なら仕方がないかも……。
「私、手加減してないんだけどな……」
エミリーちゃんが首を傾げている。
ごめんね、エミリーちゃん。私、これでも王都のシーフとして生き残ってきたから。体力だけは自信があるの。
◆◆◆
二週間が経った。
鏡の前に立つ。
自分の体が、別人のように引き締まっていた。
肉付きが良くなっただけではない。
ウエストはくびれ、お尻は上向きに。
腕も足も、無駄なく綺麗なラインになっている。
痩せた小柄のシーフは、もうそこには居ない。
エルマさんの栄養満点の食事と、エミリーちゃんの特訓の成果だ。
「わあ……リナお姉ちゃん、すっごく綺麗になった!」
エミリーちゃんが手を叩いて喜んでいる。
「ありがとう、エミリーちゃん。あなたのおかげだよ」
「ううん、リナお姉ちゃんが頑張ったからだよ!」
そう言って、エミリーちゃんは私の手を取った。
「さあ、仕上げだよ!」
◆◆◆
居間に降りると、ファブさんが待っていた。
手には、白い仮面が乗っている。
「やあ、リナさん。完成したよ」
ファブさんがにっこり笑う。
相変わらず、お世辞にも整っているとは言えない顔だ。でも、その笑顔には不思議な温かさがある。
「これが、魔法の仮面……」
手に取ると、想像より軽い。羽のようだ。
白い表面には、繊細な模様が刻まれている。
「被ってみて。君の顔に合わせて、最適な美貌へと変化するように作ってあるんだ」
「は、はい……」
緊張しながら、仮面を顔に当てる。
すると、仮面が吸い付くように顔に馴染んだ。
「うわあ……!」
エミリーちゃんが声を上げた。
「リナお姉ちゃん、すっごい美人……!」
慌てて鏡を見る。
そこには、見たこともないような美女が立っていた。
切れ長の瞳。すっと通った鼻筋。薄い唇は桜色に輝いている。
長い黒髪が、艶やかに肩を流れていた。
そして、その下には――二週間の特訓で作り上げた、引き締まったダイナマイトボディ。
「これが……私?」
声は変わらない。でも、顔は完全に別人だ。
誰もが振り向くような、絶世の美女。
地上に降臨した女神と言ってもいいくらいだ。
こんな顔になれるなんて、夢みたい。
「どうだい? 気に入ってくれたかな」
ファブさんが満足そうに頷いている。
「はい……ありがとうございます、ファブさん」
「いいんだよ。君はウォールドの大切な幼馴染だからね」
その言葉に、胸が熱くなった。
ウォールドの周りには、本当に優しい人たちがいる。
「ねえねえ、リナお姉ちゃん!」
エミリーちゃんが、目を輝かせながら言った。
「お兄ちゃんがこれを見たら、絶対びっくりするよ! きっとドキドキしちゃう!」
「え、えっと……」
「お兄ちゃん、リナお姉ちゃんのこと好きだもん。こんな美人になったら、もうメロメロだよ!」
顔が熱くなる。
好き、という言葉が頭の中でぐるぐる回る。
ウォールドが、私のことを……?
「エミリーちゃん、それは……」
「ほら、噂をすれば――お兄ちゃん帰ってきた!」
玄関の方から、足音が聞こえた。
◆◆◆
「ただいま。ギルド本部への報告、終わったぞ」
ウォールドが居間に入ってきた。
二週間ぶりに見る、大きな体。相変わらずの、愛嬌のある顔。
私の心臓が、どくんと跳ねた。
「おかえり、お兄ちゃん!」
「おっ、おう、エミリー。ただいま。リナはどんな調子だ?」
ウォールドはエミリーちゃんの頭を撫でて、それから私の方を見た。
そして、固まった。
「……えっ? 誰?」
ウォールドが、警戒するような目で私を見ている。
そうだ。私は今、仮面を被っている。別人の顔だ。
「お兄ちゃん、この人、誰だと思う?」
エミリーちゃんがニヤニヤしながら聞いている。
「エミリー、お前を手伝ってるトレーナーか? 実は美人になったリナだったりして……なんてな!」
美人。
ウォールドが、私のことを美人と言った。
頭が真っ白になる。
「あの、ウォールド、私――」
「え?」
ウォールドが目を見開いた。
「その声……リナ、か?」
「う、うん……」
「仮面を被ってるのか…… でも、リナって、こんな……」
ウォールドの視線が、私の顔から体へと移動する。
引き締まったウエスト。上向きのヒップ。そして、豊かな胸元。
じっと見つめられて、恥ずかしさが込み上げてきた。
「ウォールド、あんまり見ないで……」
「あ、ごめん! 違うんだ、その、なんていうか――」
ウォールドが慌てて目を逸らす。
顔が赤い。耳まで赤い。
その様子を見ていたら、なんだか嬉しくなってきた。
私の体を見て、ドキドキしてくれている。
エミリーちゃんにトレーニングしてもらって本当に良かった。
その様子を見て、エミリーちゃんはニヤニヤしている。
そして、ウォールドの背中に回り、力いっぱい背中を突き飛ばす。
「ほら! 頑張って!」
「え、ちょ、エミリー!?」
ウォールドが私にぶつかってきた。
大きな体。温かい胸。懐かしい匂い。
ああ、ウォールドだ。思わず抱きしめる。
「リナ、ごめん……、むっ、むね……」
「え?」
気づいた。
私の胸が、ウォールドの胸板に押し付けられている。
ダイナマイトボディの、豊かな胸が。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて離れようとした瞬間、ウォールドの体がぐらりと傾いた。
「ウォールド!?」
鼻から血を流しながら、ウォールドが床に倒れ込む。
白目を剥いている。完全に気絶していた。
「お兄ちゃーん!?」
エミリーちゃんが駆け寄る。
ファブさんが呆れたように肩をすくめた。
「うん。その気持は分かるよ。僕も何度か気を失った事あるし」
「ファブさん、これ、大丈夫なんですか……?」
「大丈夫さ。彼は頑丈だからね」
床に転がるウォールドを見下ろしながら、私は複雑な気持ちになった。
嬉しいような、申し訳ないような。
でも、少しだけ――ほんの少しだけ、勝ち誇った気持ちもあった。
◆◆◆
夕方。
ウォールドはようやく目を覚ました。
居間のソファに寝かされていた彼は、起き上がるなり私から目を逸らした。
「リナ、さっきはごめん……」
「ううん、私こそごめんね。いきなり抱きついたりして……」
「いや、その、嫌じゃなかったっていうか……」
ウォールドがもごもごと言う。
嫌じゃなかった。
その言葉が、心に染み込んでくる。
「ねえねえ、お兄ちゃん!」
エミリーちゃんが、待ってましたとばかりに割り込んできた。
「お兄ちゃん、明日暇でしょ?」
「え? まあ、特に予定はないけど……」
「じゃあ決まり! 明日、リナお姉ちゃんと一緒に街に行ってきて!」
「は?」
ウォールドが目を丸くする。
「リナお姉ちゃん、久しぶりに帰ってきたんだし。新しいお店とか案内してあげて!」
「いや、でも、俺が行かなくても……」
「お兄ちゃんじゃなきゃダメなの!」
エミリーちゃんが、有無を言わさぬ口調で言い切った。
その目が、怪しく光っている。
「リナお姉ちゃんは、お兄ちゃんの大切な幼馴染でしょ? 久しぶりに会ったんだから、二人でゆっくり話してきなよ!」
「エミリー、お前も一緒に……」
「私は忙しいから、一緒に行けないの。ファブさんもね!」
エミリーちゃんがファブさんの方を見る。ファブさんは苦笑いしながら頷いた。
「僕も、ちょっと用事があるんだ。すまないね」
絶対嘘だ。
でも、二人とも私たちを二人きりにしようとしている。
「お兄ちゃん、リナお姉ちゃんのこと、お願いね?」
「わかったよ。リナも良いかい?」
私は笑顔で頷いた。
「じゃあ決まりだね!」
エミリーちゃんが、満面の笑みを浮かべる。
完全に、してやったりという顔だ。
「リナお姉ちゃん、明日は私が選んだ服を着てね! 絶対可愛いから!」
「え、えっと……」
断る隙もなく、話がどんどん進んでいく。
気づいたら、明日ウォールドと二人で街に出かけることが決まっていた。
「ねぇ、お兄ちゃん、リナお姉ちゃんを泣かせたら許さないからね!」
「なんで俺が泣かせる前提なんだよ……」
ウォールドがげんなりした顔で呟く。
でも、その顔はどこか嬉しそうにも見えた。
◆◆◆
その夜。
私はベッドの中で、天井を見つめていた。
明日、ウォールドと二人で街を歩く。
これって……デート、だよね?
心臓がドキドキして、眠れない。
エミリーちゃんが選んでくれた服は、白いワンピースだった。清楚で、可愛らしいデザイン。私には似合わないと思ったけれど、エミリーちゃんは「絶対似合う!」と言って譲らなかった。
魔法の仮面を被った私が、あの服を着たら……。
ウォールドは、どんな顔をするだろう。
また、ドキドキしてくれるかな。
私のことを、可愛いって思ってくれるかな。
考えれば考えるほど、胸が高鳴って眠れなくなる。
五年間、ずっと会いたかった人。
凸凹ブサイクコンビだった、私たち。
でも今の私は、絶世の美女になれる仮面を持っている。
明日は、ウォールドの隣を堂々と歩ける。
恥ずかしくない姿で、一緒にいられる。
「……楽しみだな」
小さく呟いて、目を閉じた。
明日が待ち遠しい。
ウォールドと過ごす、久しぶりの時間が。




