地獄の予感
再会した私達は執務室のソファに座り、昔話に花を咲かせていた。
「あの時さ、リナが川に落ちて、俺が助けようとしたんだけど……」
「ウォールドが私を引っ張り上げようとして、逆に引きずり込まれたんだよね」
「二人ともずぶ濡れで帰ってきて、お母さんに怒られたの覚えてる!」
エミリーがお茶を淹れてくれた。温かい湯気が立ち上る。
懐かしい記憶が次々と蘇ってくる。
「凸凹コンビって馬鹿にされてたよな。誰が最初に言い出したんだっけ」
「もう忘れちゃったわ。最初は嫌だったけど、途中から気に入ってた」
「俺もだ。二人だけの特別な名前みたいでさ」
ウォールドが笑う。あの頃と変わらない、優しい笑顔。
胸が温かくなる。
「エミリーも一緒に遊んだよね。まだ小さくて、よく転んでた」
「もう! 私だってちゃんと走れたもん!」
「嘘つけ。いつも俺がおんぶしてただろ」
「それはお兄ちゃんが勝手にしたの!」
三人で笑い合う。
ずっと欲しかった時間。
それがここある。戻りたい。この街に……。
◆◆◆
ふと、私は思い出した。
社交パーティの会場で見た光景。荷馬車の中で出会った少女。
「……ねえ、エミリー」
「なに?」
「奴隷の荷馬車の中。――どうして、あの場所にいたの?」
空気が変わった。
エミリーの表情が曇る。ウォールドの目が鋭くなる。
「……騙されたの」
エミリーがぽつりと言った。
「バルドスっていう、元ギルドマスターに。社交界に付いてこいって言われて、ついて行ったら……奴隷商に売り渡された」
「そんな……!」
信じられなかった。ギルドマスターが、自分のギルドの受付嬢を奴隷に売るなんて。
「バルドスは今、牢屋の中だ。二度と手出しはできない」
ウォールドが低い声で言った。
その目には、静かな怒りが宿っている。
「でも、あの時一緒にいた怪しい男がエミリーを連れ出してくれたんでしょ? あの人は何者なの?」
「ああ、あれは俺の友人だ。ファブっていう」
「友人?」
「そうだ! ファブのこと紹介するよ」
そう言うと、ウォールドは腕に付けている腕輪に触れた。
そして何かを念じているようだ。
次の瞬間――。
床に魔法陣が浮かび上がった。
青白い光が渦を巻き、眩い閃光が部屋を満たす。
「うわっ!?」
私は思わず目を覆った。
光が収まると、そこには一人の男が立っていた。
いや、「生えてきた」という表現の方が正しい。
床から、にょきっと。
「さっそく来たよ! ウォールド」
ブカブカの白いローブに貧相な顔。
あの時、エミリーと一緒にいた男だ。
「ファブ、紹介するよ。俺の幼馴染のリナだ」
「ああ、君がリナちゃんか! はじめまして、僕の名前はファブリウス。ファブって呼んでね」
ファブと呼ばれた男が、にっこりと笑う。
不思議な雰囲気の人だ。怪しいのに、どこか憎めない。
「ファブ様は大魔道士なの。すごいんだよ」
エミリーが誇らしげに言う。
「大魔道士……」
納得した。
転送魔法なんて神の所業、大魔道士しか使えない高等魔法だ。
それにしては若く見えるが……。
顔は私に負けず貧相だ。
貧相な顔どうし、仲良くなれそうな気がする。
「ファブ様、この人は昔一緒に遊んでもらったリナお姉ちゃんだよ」
「へえ、なんだか仲良くなれそうだ、リナちゃん」
お互い、同じようなことを考えているのかも……。
「は、はい。よろしくお願いします」
私は慌てて頭を下げた。
大魔道士に心を読まれていたらどうしよう……。
謝ったほうが良いんだろうか。
心の中で謝っておこう……。ごめんなさい。
◆◆◆
「……それで、リナちゃんはどうしてここに?」
ファブが首を傾げる。
私は正直に答えることにした。隠しても仕方がない。
「……実は、シーフとして修羅ギルドの調査依頼を受けて来ました」
空気が張り詰めた。
エミリーの目が鋭くなる。ウォールドが眉をひそめる。
「調査? 誰からの依頼だ?」
「ギルド本部の……ギルドマスターからです」
「ギルドマスターか……」
ウォールドが苦々しげに呟く。
「……すみません。でも、依頼は依頼なので……」
「いいよ」
ウォールドがあっさりと言った。
「好きなように見てくれ。隠すことなんて何もないからな」
「え?」
「調査でも何でもしてくれ。俺たちは正々堂々とやってる。後ろ暗いことは何もない」
驚いた。こんなにあっさり許可が出るとは。
普通なら警戒するはずだ。スパイかもしれない相手を。
「それより、リナ。お前、ずっと顔を隠してるのか?」
「え……うん。シーフだから」
「ここでは隠さなくていいぞ。見ただろ、うちの冒険者たち。顔がボコボコでも誰も気にしない。むしろ誇りにしてる」
確かに、あの冒険者たちは顔のことを笑い合っていた。
でも、私は……。
「……無理、だよ」
思わず本音が漏れた。
「無理?」
「私、顔を見せるのが怖いの。昔、寺院で……顔のせいで、ひどいことを言われて……」
言葉が詰まった。
思い出したくない記憶が蘇る。
「お前のような醜い顔では、神の御前に立つことは許されない」
あの言葉が、今でも胸に突き刺さっている。
「神はそんな事気にしないよ。女神セレナは優しい神だよ」
ファブが言葉をかけてくれる。この人は優しい。ウォールドと同じだ。
「はい、わかっています。 でも…… 顔を変えられるものなら、変えたかった」
私は俯いて、小さく呟いた。
沈黙が流れた。
余計なことを言ってしまった。暗い話をして、場を白けさせてしまった。
「リナ」
ウォールドの声がした。
顔を上げると、ウォールドが何かを取り出していた。
仮面だ。
白い、シンプルな仮面。
「顔を隠すなら、これを使ってみろ」
「……これは?」
「魔法の仮面だ。被ると、顔が変わる」
顔が、変わる?
そんな魔法のアイテムがあるのか?
「ファブ様が作ったんだよ。すごいでしょ?」
エミリーが誇らしげに言う。
ファブが照れたように頭を掻く。
「まあ、僕の趣味みたいなものさ」
私は恐る恐る仮面を受け取った。
軽い。でも、不思議な力を感じる。
「……被っても、いいの?」
「ああ。試してみろ」
私はマスクを外し、仮面を顔に当てた。
瞬間、不思議な感覚が全身を包んだ。
「わあ……!」
エミリーが声を上げた。
何が起きたのかわからない。私は近くにあった鏡を覗き込んだ。
そこには、見知らぬ女性がいた。
整った目鼻立ち。透き通るような肌。形の良い唇。
美人だった。誰がどう見ても、美人だった。
「……えっ?、誰……?」
信じられなかった。
鏡の中の女性が、私と同じ動きをしている。
仮面を触る。頬を触る。確かに、私の顔が変わっている。
「すごい……すごいよ、これ……!」
涙が溢れそうになった。
こんな顔になれるなんて。夢みたいだ。
でも――。
「……あれ?」
鏡をよく見ると、違和感があった。
顔は美人になった。でも、体は変わっていない。
痩せ細った体。骨ばった肩。貧相な胸。
美人の顔と、痩せた体。
バランスが、おかしい。
「……なんか、ちぐはぐだね」
エミリーが正直に言った。
その通りだ。顔だけ美人でも、体が追いついていない。
「うーん、これは……」
ファブが顎に手を当てて考え込む。
「仮面は顔しか変えられないからね。体型までは……」
そうか。顔だけ変わっても、意味がないのか。
少しだけ、落ち込んだ。
「でも大丈夫!」
エミリーが明るく言った。
その目が、怪しく光っている。
「体型なら、私がなんとかしてあげる!」
「え?」
「リナお姉ちゃん、しばらくうちに泊まっていきなよ。お母さんのご飯、美味しいんだから!」
エミリーが私の手を握る。
その笑顔は、なぜか少し怖かった。
「食べて、鍛えて、理想の体型にしてあげる! 私、トレーナーとしても自信あるんだ。 お兄ちゃんだって鍛えたんだよ」
「えっ? そうなの……?」
ウォールドのあの筋肉を、エミリーが?
私が思わず目を向けると、ウォールドとファブが、同時に顔を青くしていた。
二人とも、何かを思い出したような表情をしている。
「あ、僕、リナちゃん用の仮面を調整しておくね。それじゃ!」
ファブが慌てて転送魔法を発動させる。光に包まれて、消えてしまった。
「俺も、王都に行かなきゃならない用事があるんだ」
ウォールドも立ち上がる。
「王都?」
「ああ。リナの調査依頼の件、俺がギルド本部に報告してくる。ギルドマスターとも話したいし」
「え、でも、それは私の仕事……」
「いいんだ。お前はしばらくここにいろ。エミリーと……その、頑張れ」
ウォールドの目が泳いでいる。
明らかに逃げようとしている。
「あ、お兄ちゃん待って! リナお姉ちゃんと一緒に……」
「帰ってきたらな! じゃ!」
ウォールドは振り返りもせずに去っていった。
いったい何に怯えてるんだろう……。
◆◆◆
その夜、私はウォールドの家でご飯を食べることになった。
「いらっしゃい、リナちゃん。久しぶりに会えて嬉しいわ」
エルマさん――ウォールドのお母さんが、優しく迎えてくれた。
昔と変わらない、温かい笑顔。
「お久しぶりです、エルマさん」
「遠慮しないでね。今日は腕によりをかけて作ったから」
テーブルには、豪華な料理が並んでいた。
肉料理、魚料理、野菜料理、スープ、パン……食べきれないほどの量だ。
「こ、こんなに食べられないです……」
「あら、遠慮しないで。リナちゃん、痩せすぎよ。もっと食べなきゃダメ」
「そうだよ、リナお姉ちゃん。これから毎日、お母さんのご飯を食べて、しっかり肉をつけないと」
エミリーがにっこりと笑う。
「毎日……?」
「うん。それから、毎日森で特訓もするからね」
「特訓?」
「筋肉をつけつつ、理想の体型に仕上げるの。大丈夫、私に任せて!」
エミリーの目が、また怪しく光った。
何だか、とんでもないことになりそうな予感がする。
「そういえば、ウォールドは?」
「お兄ちゃんは王都に行ったよ。リナお姉ちゃんの代わりに、ギルド本部に報告するんだって」
「本当に行っちゃったんだ」
「涙目になりながら出かけてた。嫌なら行かなきゃいいのにね?」
「ウォールドにも、ギルドマスターとしての仕事と責任があるし、私も我慢するわ」
ウォールドが居ないのは淋しいけれど、また会えるんだ。少しくらい我慢できる。
「私も頑張る! お兄ちゃんが帰ってくるまでに、リナお姉ちゃんを見違えるほど綺麗にする!」
エミリーの笑顔が、何故か悪魔っぽく見えた。
「さ、まずはたくさん食べて! 明日から特訓開始だよ!」
私は覚悟を決めて、料理に手を伸ばした。
……美味しい。
信じられないくらい、美味しい。
これなら、毎日食べても飽きないかもしれない。
でも、特訓って何をするんだろう。
ウォールドとファブが逃げ出したのが、少し気になった。




