社交界デビュー
鏡の前で、俺は自分の姿を確認していた。
仕立ての良い黒の礼服。銀糸の刺繍が控えめに光っている。エミリーが商業ギルドから取り寄せた一張羅だ。
顔は相変わらずブサイクだが、服だけは一流に見える。
「ウォールド……」
母さんが部屋に入ってきた。俺の姿を見て、目に涙を浮かべている。
「どうしたの、母さん」
「ごめんなさい、つい……」
母さんは目元を拭いながら、優しく微笑んだ。
「お父さんを思い出してしまって。あなた、本当にお父さんに似てきたわね」
「父さんに?」
「ええ。とっても面白い顔、個性的で素敵」
母さん、それ褒めてないから……。父さんも俺と同じブサイクだったのを思い出す。
「お父さんはとても凛々しい人だった。どんな困難にも立ち向かって、絶対に諦めない。心の強い、私の理想の男性だった」
父さんの話を聞くのは久しぶりだった。
五年前、依頼に出たきり行方不明となった。何度も捜索隊が出されたが、手がかりは見つからなかった。
今では、死んだものと諦めている。
「俺も、父さんに見せたかったな。この姿」
「きっと見てるわ。どこかで、あなたのことを見守ってる」
母さんはそう言って、俺の襟を整えてくれた。
◆◆◆
「お兄ちゃん! 見て見て!」
階段の上から、エミリーの声が響いた。
振り返った俺は、思わず息を呑んだ。
真紅のワンピースを纏ったエミリーが、階段を降りてくる。
質素だが、田舎の街で用意できる精一杯のおしゃれだ。
普段は短髪を結ぶだけの妹だが、今日は髪を丁寧にセットしている。
そばかすを隠すメイクも施されていて、見違えるほど美しい。
「どう? お母さんが気合入れてくれたの!」
「あ、ああ……」
俺は言葉を失っていた。
いつの間に、こんなに大人っぽくなったんだ。
「もう、お兄ちゃん。何か言ってよ」
「……綺麗だ」
「えへへ、ありがと!」
エミリーは満面の笑みではしゃいでいる。
だが、俺は兄として心配になってきた。社交界には、様々な男がいる。妹に変な虫がつかないか不安だ。
「エミリー、今日は俺のそばから離れるなよ」
「えー、なんでー?」
「いいから。兄の言うことは聞け」
「はいはい、分かりましたよー」
軽い返事だ。本当に分かっているのか怪しい。
◆◆◆
その時、部屋の空気が揺らいだ。
「やあ、準備は出来たかい?」
転移魔法で現れたのは、ファブだった。両腕に大量の仮面を抱えている。
「ファブ、来てくれたのか」
「約束したからね。仮面を届けに――」
ファブの言葉が途切れた。
エミリーの姿を見た瞬間、目が点になっている。
「ファブ様! こんにちは!」
エミリーがスカートを広げ、笑顔で挨拶した。
その瞬間、ファブの手から仮面がこぼれ落ちた。
ガラガラと音を立てて、床に仮面が散らばる。
「あ! ああ、やっちゃった……」
慌てて拾い集めるファブ。だが、手が震えている。
「ファブ様、大丈夫ですか?」
エミリーが屈んで手伝おうとする。ファブは真っ赤になって後ずさった。
「だ、大丈夫だよ! 自分で拾えるから!」
普段の落ち着きはどこへやら。完全に動揺している。
「それより、その……今日は、とても……」
「とても?」
「……似合ってる! とっても」
ファブは仮面をかき集めている。それにしても沢山あるな。試作品も全部持ってきた様子だ。
「あれ、どれが新作か分からなくなっちゃった…… まいったな」
ファブは仮面の山を見下ろしながら呟いた。
「え? もしかして色々な顔の仮面があるの?」
「う、うん。だから、分かるように説明を貼って、後で届けるよ」
そう言うと、ファブは仮面を全て抱え直した。
「じゃ、じゃあ、僕はこれで! 頑張ってね!」
転移魔法の光に包まれて、ファブは消えてしまった。
仮面を届けに来たはずなのに、全部持って帰ってしまった。
「……行っちゃったね」
「ああ」
「仮面、届けてくれるって言ってたよ?」
「間にあうといいな」
俺たちは顔を見合わせた。
仮面なしで社交界に乗り込むことになりそうだ。少し不安だが、やるしかない。
◆◆◆
ギルドの裏口に、豪華な馬車が止まっていた。
金の装飾が施された四頭立ての馬車。明らかに貴族の乗り物だ。
「お待ちしておりましたよ、ギルドマスター殿」
バルドスが恭しく頭を下げた。だが、その目は笑っていない。
「顧問殿、よろしくお願いするよ」
「もちろんですとも。王都までの道中、私がしっかりとご案内いたします」
バルドスの視線がエミリーに向けられた。
一瞬、口元が歪んだように見えた。
「エミリー殿も、本日はお美しい。社交界でも注目を集めることでしょう」
「ありがとうございます、顧問様」
エミリーは礼儀正しく応えたが、俺は嫌な予感がした。
バルドスの目が、獲物を見るような光を帯びている。
だが、今は彼の協力が必要だ。貴族社会への橋渡しは、元貴族のバルドスにしかできない。
「では、参りましょう」
俺たちは馬車に乗り込んだ。
◆◆◆
王都は、想像を超えていた。
俺達のギルドがある街、ヘルグラントが箱庭に思えるほど、全てが巨大だった。
石畳の大通りは馬車が五台並んでも余裕がある。建物は三階建て、四階建てが当たり前で、中には塔のように高くそびえるものもある。
「すごい……」
エミリーが窓に張り付いて外を眺めている。
「これが王都か」
「ふふ、田舎者丸出しですな」
バルドスが嘲笑った。
「あそこに見えるのが王都の冒険者ギルド本部です。我々のギルドとは比べ物になりませんな」
確かに、巨大な建物だった。修羅ギルドが十個は入りそうな規模だ。
いったいどれ程の冒険者が居るんだろう……。
俺は黙って外を見つめた。その頂点を想像しながら。
◆◆◆
馬車が止まったのは、巨大な屋敷の前だった。
門だけでギルドの建物より大きい。庭園には噴水があり、手入れの行き届いた花々が咲き誇っている。
「ここが会場か」
「ええ。アルケディア王国でも有数の名家、ヴァレンシュタイン公爵家の屋敷です」
バルドスは得意げに説明した。
「本日は公爵家主催の懇親パーティ。王国中のギルドマスターや有力商人が集まります。貴族との繋がりを持つ者だけが招待される、特別な場ですよ」
「俺たちは、その特別な場に来たわけだ」
「ええ。私の顔があってこそ、ですがね」
バルドスはカツラを直しながら言った。
門番に招待状を見せ、俺たちは屋敷の中に入った。
◆◆◆
会場に足を踏み入れた瞬間、俺は圧倒された。
広間は眩いほどの光に満ちていた。天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが、無数のクリスタルで輝いている。
そして、人。
豪華な衣装を纏った貴族や商人たちが、あちこちで歓談している。女性たちは宝石を身につけ、男性たちは勲章や家紋を誇示している。
「これが社交界……」
俺は思わず呟いた。
あちこちで自己紹介が交わされている。名前を名乗りあい、握手を交わし、笑顔で会話する。
「あちらにいらっしゃるのは、北部の鉱山ギルドのマスターですわ」
「こちらは東部の商業ギルドの重鎮でございます」
娘を紹介する父親、息子の結婚相手を物色する母親。政略と打算が渦巻く世界だ。
俺の後ろで、エミリーが小さくなっている。
「お兄ちゃん……すごいね」
「ああ。すごいな」
どうすればいい。何を話せばいい。
俺は社交界の作法など知らない。ただの冒険者だ。
「くくくっ」
バルドスが笑った。
「どうされました? 宣伝しに来たのではないのですか?」
挑発するような口調だ。
「ほら、あちらに有力な商人がおられますよ。話しかけてみてはいかがです?」
バルドスは俺を焚きつけている。恥をかかせるつもりだ。
だが、引き下がるわけにはいかない。ギルドの未来がかかっている。
「分かった。行ってくる」
俺は意を決して、近くにいた貴族らしき男に近づいた。
「失礼します。私はヘルグラントの冒険者ギルド、ギルドマスターのウォールド・ブルームと申します」
男は俺を一瞥した。そして、露骨に顔をしかめた。
「ヘルグラント? 聞いたことがないな」
「西部の辺境にある街です。最近、高難度の依頼を多く――」
「辺境か。興味ないね」
男は俺に背を向けた。
次に話しかけた女性商人も同じだった。
「まあ、辺境のギルドマスター? わざわざ王都まで?」
「ええ、我々のギルドは――」
「ごめんなさいね。私、田舎の話には興味がないの」
くすくすと笑いながら、女性は去っていった。
何人に話しかけても、結果は同じだった。
辺境。田舎。取るに足らない存在。
俺のブサイクな顔を見て、あからさまに蔑む者もいた。
「ほら見ろよ、あの顔」
「よくあんな顔で社交界に来られるものだ」
「身の程を知らないのだろう」
聞こえよがしに囁かれる。
俺は拳を握りしめた。悔しい。だが、ここで怒っても何も変わらない。
振り返ると、バルドスがニヤニヤと笑っていた。
身の程をわきまえろ。そう言いたげな目だ。
エミリーは俺の袖を掴んで、心配そうにこちらを見ている。
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
「ああ、平気だ」
平気なわけがない。だが、妹の前で弱音は吐けない。
俺は負けじと声を掛け続ける。強引に話に割り込もうにも、きっかけが掴めない。
甘かった。少なくとも会話くらいは出来ると思っていたが、そもそも話題についていけない。
俺は焦り始め、誰か一人で孤立している人物は居ないかと周囲を探し始めた。
そして気がつくと、エミリーの姿が消えていた。
「エミリー?」
何度も周囲を見回す。しかしどこにもいない。
バルドスの姿も見えなかった。
「くそ、どこに行った……!」
俺は会場を探し回った。
広間、廊下、階段の踊り場。どこにもいない。
嫌な予感が胸を締め付ける。
バルドスが何かを企んでいるのではないか。
俺は会場を出て、屋敷の中を走り回った。
◆◆◆
中庭に出た時だった。
「やあ、ウォールド、遅くなってごめんよ」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、ファブが立っていた。手には魔法の仮面を持っている。
「ファブ!」
「仮面、届けに来たよ。説明もちゃんと貼ったからね」
ファブはいつもの調子で笑った。だが、俺にはそんな余裕はなかった。
「エミリーがいないんだ! バルドスと一緒に消えた!」
俺の言葉に、ファブは眉をひそめた。
「バルドスと?」
「ああ。何か企んでいるかもしれない」
ファブは腕を組んで考え込んだ。
「……それは危険かも」
「そうなんだ! すぐに探さないと――」
「落ち着いて、ウォールド」
ファブは俺の肩に手を置いた。
「危ないのは、バルドスの方だよ」
「……は?」
「エミリーを甘く見ない方がいい。あの子は君が思っている以上にしたたかだよ」
ファブは真剣な目で言った。
「エミリーのことは、僕に任せて」
「でも――」
「君にはやることがあるだろ?」
ファブは仮面を俺に押し付けた。
「社交界での宣伝。ギルドの未来のために来たんだろ? なら、やり遂げなよ」
俺は仮面を見つめた。
これをかぶれば、俺はイケメンになれる。蔑まれることもなくなる。
「……分かった」
「うん。僕はエミリーを探してくる。何かあったら、腕輪で連絡するよ」
ファブは転移魔法の準備を始めた。
「ファブ」
「ん?」
「……頼んだ」
「任せてよ」
ファブは笑って、光の中に消えていった。
◆◆◆
同じ頃。
屋敷の門の前で、守衛が倒れていた。
眠っているのか、ぴくりとも動かない。
月明かりの下、黒い影が屋敷の壁を駆け上がる。
窓から会場を覗き込み、影は呟いた。
「……見つけた」
その視線の先には、豪華な衣装を纏った貴族たち。
そして――。
影は音もなく、屋敷へと侵入していった。




