第一話 趙旭、油を売る
油を売る、という慣用句があります。
昔の油は精錬度が低くてドロっとしており、柄杓にすくった油がお客の容器に落ちきるまでに時間がかかります。
油売りたちはその間を繋ぐために口達者が多く、転じて「無駄話に興じて仕事をサボる」の意味になったとか。
私の師父・趙旭様の油売りは評判良くスタートしました。
なにぶん、すこぶる顔がいい。
油の雫が柄杓から切れるまで、その美しい顔を眺めていられるとなれば、近隣の女中、奥方がこぞって趙旭様から油を買おうと群がってきたのです。
普通の油売りは口達者ですが、無愛想でも成り立つのが趙旭様の顔の良さ。
「あなたは世事に疎いところがあるので今まで商売は失敗続きでした。ようやく運が開けてきましたわね! その調子ですわ」
趙旭様の奥方、王婉児様は油売りに客が群がったと聞いて大喜びされましたので、趙旭様は油売りに少しばかり本腰をいれることにしました。
「油の質をよくしよう。サラサラと油を流し込めたら、多くの客に売ることができる」
趙旭様はそう言って、道術を使って油をサラサラにしてみせました。
霊草の類も使わずに道術だけでやれてしまうので元手は掛かりませんが、金丹の修仙者の無駄遣いとも思えます。
前世のサラダドレッシングくらいサラサラで、チョロチョロとお客の容器に注ぎ入れることができます。
「美桜(ビオウ)、これはよい油に仕上がった」
「美桜(みお)です。これはこれで優れた商品ですが、師父の商売にはよろしくありません」
「中原の言葉と南方訛り混じりの珍妙な読み方はしない。よいものならば売れるであろう」
二日目はよかったのです。評判を聞いた客が押し寄せます。
しかし、サラサラの油が持参した容器にあっという間に注ぎ終えるとお客さんは複雑な表情になりました。
「美桜、私の言うとおり、売れただろう。これで婉児も喜ぶ」
「美桜です。師父、ホストはホストクラブにいるべきで、ラーメン屋で回転率上げてちゃダメなんですよ」
「南方訛りならばミヨウだ。お前はたまにわからぬことを言う」
三日目、趙旭様の油はすっかり売れません。
代わりに趙旭様の眺められる場所に陣取った油売りたちが繁盛するのでした。
「ビオウよ、今日は売れなかったな」
「美桜です。時に商売はドリルよりも穴を売るべきなのです」
「穴、すなわち無や空を売る。実に玄妙なる問いかけだ」
四日目、五日目と連続で売り上げはゼロ。
何もイケメンの趙旭様を眺めることばかりが目的ではありません。
油を買っている時間は、女中や奥方たちにとって貴重な休憩や娯楽の時間でもあることを無視した製品がサラサラ油なのです。
「……帰るのが憂鬱だ」
「師母の機嫌は右肩下がりですものね。一昨日は商売にはムラがあると宥められ、昨日は明日こそは売れるはずと宥めておられました……」
「その明日である、今日の売り上げがこの有様だ」
天秤棒で油の瓶を担いだ二人、背の高い影と背の低い影が並んで伸びる夕方の家路。
二人でとぼとぼと歩きながら話題になるのは趙旭様の奥方、王婉児様の話題です。
「婉児を宥めるネタが無くなった。美桜よ、何かよき思案はないか」
「油は毎日使い切るようなものではありません。最初についた客が油を使い切った頃にまたやってくる、と申し上げてはいかがですか?」
「私の周りで油を買っていった者は引きも切らなかった。それでは嘘になろう」
どうにも趙旭様は頭が硬い……もとい、生真面目が過ぎるところがあって、下界での生活がどうにもうまく回っていません。
修仙界ではたった10年で金丹に至った天才であるのですが……いえ、それも修行50年目にして「我、元嬰に至る道を得ず」と自らの限界を悟って下山してしまいました。そういう意味では修仙界でも不器用なお方です。
「嘘も方便と申します。時間を稼いで油を売る方法を考えなくてはなりません」
婉児様の機嫌をとる方法について提案してみたものの、そもそも油が売れるようにならなければ問題の先送りにすぎません。
「この油はよいものだ。時を待てば自ずから売れる」
「よいものなら売れるというナイーブな考えは捨てるべきです」
堂々巡りの議論を繰り返しながら、私たちは仮寓している董員外の屋敷に帰り着きました。
董員外は董家荘という荘園を所持・経営しているお金持ちで、下山した趙旭様と弟子の私を食客として置いてくださっているお方です。趙旭様が修仙界に昇る前、義兄弟の契りを交わした仲だそうです。
「む? 屋敷が騒がしいな」
「なにやら引っ越しでもあるような荷物です」
もう夕方であるというのに、門の前では人足達が荷車に荷物を積み込んでいます。
「ああ、戻っていらしたのですね、旦那様に小娘」
何事かと様子を眺めていると、旅装を整えた女性が趙旭様と私に声をかけてきました。
県令のご令嬢である女性は若く美しく、少々目つきは険しいものの凛とした気品を備えています。
「師母! ただいま戻りました!」
趙旭様の奥方である王婉児様です。
私は拱手して頭を下げ、帰宅の報告を行います。
私は趙旭様の弟子であるので、師父の奥方は師母と呼んで奉ります。
「婉児。どこかへ出かけるのかい?」
修仙者として不老である趙旭様と歳の頃合いは釣り合って見えますが、実年齢は祖父と孫娘ほどに離れているご夫婦です。
「はい、旦那様。わたくし、実家に帰らせていただきますわ」




