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 隠れ家の教会で、シオンはぼんやりと祭壇に腰掛けていた。

 その傍らにあるカバン。その中身と彼が今身につけているすべてが、シオンの荷物。彼が所有するもののすべてだ。これをもって歩き出すだけで、彼は『旅』を始めることができる。

 一ヶ月経ってほとぼりも醒め、彼はこの町を出ることを決めた。

 にもかかわらず未だに離れられない。すでに三日ほどを無意味に過ごした。


 だから決めた。

 今日、今夜、この町を出ると。


 いっそ異国へ行くのもいいかもしれない。新天地で過ごすのも悪くは無いはずだ。この町にいるといろいろと、余計なことを頻繁に思い出す。家族や、あの姫君の姿を。

 知人への挨拶は済んだ。

 荷物もそう多いわけではない。

 離れたくない、というわけでもないはずだ。

 できるだけ早く離れなければ、あの依頼主の貴族が何をするかわからない。なにせたった一人の王族を暗殺しようとしたような男だ。しくじったシオンを野放しなど考えられない。

 だがシオンは騒ぎが落ち着くのをただ待っていた。その方が国境を越えやすいし、向こうの出方も探らなければいけない。確実に動かないタイミングで脱出しなければ、危険が高まる。


 そのタイミングこそ、今の時期だった。


 一昨日辺りに再開されたという、姫の伴侶探し。候補に名乗りを上げられる貴族は、みなそちらに集中しきっている。あの貴族だって例外ではない。連日城に上がっているという話だ。

 さすがにこの重要な時期に、たかが暗殺者を追いかけるだけの余力はないはず。

 こちらを追いかけ、伴侶の座を奪われればまったくもって意味がない。

 念のために知人を通じて探りをいれ、完全にこちらの読みが当たっている、と確認したのは今日の昼過ぎのこと。最低でも一週間はそちらにかかりきりで、国境までは馬車で三日。

 今以上のタイミングなど、決してありえはしない。

 これでこの国を飛び出す準備は整った。


 ――もう、いいだろう。


 祭壇からひょいと飛び降り、振り返る。廃棄されながらも美しいステンドグラス。規模や色合いこそ違うが、あの王女と最後に会った場所のものと、同じモチーフだと今気づいた。

 もう逢うことも無い、この国の未来の女王。

 お飾りの、何かを成すことを決して許されない……。

 あの笑顔と、最後に見た姿を思い出し、シオンは自然と苦笑していた。

 やはり、あのまま連れ去っていればよかったのだろうか。けれど、何度やりなおしたとしてもそうすることはないと思う。あの時、手を離すことが運命で、そうするべきだった。

 だけどあの時に、彼女が何か言っていれば、自分は。

「……いや、そんなことは、ないか」

 ざり、と砂とほこりを踏みしめ、シオンはステンドグラスに背を向ける。

 二度と帰らないである場所。その入り口を見た。



 ――ステンドグラス越しの月光に照らされる、彼女が、いた。



 息が止まった。荷物を持つ手が震えた。

 そこにいたのは使用人の服を着たリャーナ。しかし丈が長かったのか、それとも邪魔だと感じたのか、袖は乱暴にまくられていて、裾などは適当に短く破りそろえられてる。

 とても高貴な身分とは思えぬ、城の主がそこにいた。

「ここに、あなたがいると聞いて……お城を出てきました」

 あちこちに擦り傷と泥汚れをつけた彼女は、シオンを見つめている。

「……どうして」

「あなたに会いたいからです」

 リャーナが一歩近寄る。

「どこかにいくなら、わたしを連れて行ってください」

 さらに一歩。

 彼女はゆっくりと、シオンに近づいてくる。


「ダメなら……ここで、殺してください」


 気づけば、リャーナはシオンの前にいた。すぐ前、手を伸ばせば、その細く白い首を掴んで締め上げることもできる。彼女が言うように殺すことだって、簡単にできる。

「あなたに、シオンさんに殺されるなら、それでいいと、わたしは……」

 最後の方は声が震えていた。

 リャーナはその大きな瞳に涙をためている。

 己のすべてを相手に託し、彼女はシオンを見上げた。

 強い瞳が、彼を射抜くような光を宿す。


「……あなたは、バカな人ですね」


 自然とその髪に手が伸びた。逃げるときに森の中でも抜けたのか、ぼさぼさで木の葉がいくつか引っかかっている。顔の擦り傷は、きっとそのせいでついてしまったのだろう。

 その手をゆっくりと頬に、そして浮かんでいる涙をぬぐう。

「二度と、ここには戻れない。旅の途中に二人そろって死ぬかもしれない。幸せとは程遠い一生を送るかもしれない。城にいた方がマシだったと、後で思うかもしれない……それでも?」

 それでも、もし一緒にいてくれるなら。

 ふわり、とリャーナが微笑んだ。シオンが惹かれた、あの微笑みだ。彼女はシオンに向かって大きく腕を広げる。そして涙の粒をぽろぽろと、いくつもいくつも零しながら。


「ずっと監禁されているより、不幸なんて無いです」


 腕を広げるその身体を、膝をついてきつく抱きしめる。

 あの夜、一瞬で終わった抱擁は、互いに腕を回しあい長く長く続いた。自分はその手をとってよかったのかというかすかな迷いも、このぬくもりの前に解けて消えていく。

 彼女が決めた覚悟を、自分が決められないわけが無い。

「じゃあ、いきましょうか」

「はい……っ」

 ぎゅ、とシオンの手を握るリャーナ。

 その小さな手を握り返し、二人は教会を後にした。

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