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舞踏会も、今夜で終わる。
リャーナはアリスの目を盗み、こっそりと約束の場所に向かっていた。長い階段を、かつんかつんと駆け上がっていく。このかかとの高い靴も、気づけばすっかり慣れてしまっていた。
きっとシオンについて歩き回ったからだろう。
思えば、舞踏会はそのままシオンとの出会いの場で、思い出の場だった。
最初はあんなに嫌だったのに、気づくと楽しみで仕方が無かった。
彼が教えてくれる、その時に流れている音楽の話も。敵と味方の見分け方も。
少しだけ、ここで生きていく気力がでた。
これで彼が伴侶に名乗りを上げてくれれば、というのはわがままが過ぎる。もちろんそうなったらとても嬉しいし、何があってもがんばれると思うけれど。でも、どうせ叶わないから。
「こんばんは、お姫様」
大好きな場所に、彼は一足先にたどり着いていた。
その声を聞くだけでとても嬉しい。
自然と笑みが浮かぶ。
常にそうするように命ぜられた、作り物の笑顔じゃなく。こうなる前は自然と浮かべていた本来の笑顔を、彼との出会いが取り戻させてくれた。思い出させてくれた。
「ご、ごめんなさい、遅くなって……」
「やはり抜け出すのに時間がかかるのですね」
さぁ、と手を差し出される。リャーナはそこに手を重ねる。
そのまま、かすかな音色に身をゆだねるように、二人は踊った。シオンとこうして踊っている時間が、リャーナにとってはこの上ない幸福だった。ずっと、こうしていられたら。
きっと、彼のことが好きだとリャーナは思う。
憧れなのかもしれないし、相手にするまでもない恋かもしれないけど。でも、リャーナは確かにシオンのことが、好きだと思う。こうして、忍んで会いに向かうくらいには、好き。
アリスにだって内緒の逢瀬。
ドキドキする。
このままさらってくれたら、とか。彼が伴侶に名乗り出てくれたら、とか。それが許されるような身分だったら、とか。いろいろと都合のいい想像をして、きゃあきゃあと照れてみて。
ずっと、このまま。
そんな夢を見てしまうぐらいには、自分は彼が好きなんだと。
リャーナは今日、やっと自覚し、納得した。
「あの、シオンさ――」
声をかけようとした時、遠くから聞こえる音色が消える。
そして、聞きなれた別れの音を奏で始めた。
舞踏会という夢の終わりの調べだ。
これでおしまいだ。
シオンとの、ちょっとした逢瀬も。リャーナというただの少女に戻る夢も、今日、この時を持って醒めてしまう。明日からは未来の女王。こんな風にすごすことも、きっとないだろう。
教会にいるころは大変だった。朝昼晩の食事や洗濯、掃除。孤児などが多く住んでいた場所だったから、とにかくそういう準備は人海戦術。それだけに充実していたし、楽しかった。
物陰から結婚式を眺め、あんな風に幸せになりたいと夢を見て。
もう……それもないのだけれど。
「厳かな祈りの曲。まるでレクイエムのようですね」
「レクイ、エム?」
「えぇ……亡き王、あなたの父君への」
そして、とシオンは笑った。唇の端をつい、と上げて。
「今宵死に逝くあなたのための、これは鎮魂の祈りでしょうね」
え、とリャーナが首をかしげるのと、そこに花を添えるようにナイフの刃が当てられたのは同時だった。触れていないにもかかわらず、ひやりとした空気を肌が掬い取る。
けれどその切っ先が、リャーナの肌を裂くことはなかった。
「あなたは、邪魔だそうですよ」
シオンが笑っている。
月よりも冷め切った笑みを。
今まで、リャーナが出会った誰よりも、その表情は冷たかった。
「あなたが出てきた瞬間、貴族は玉座を取り上げられた。自らを彩る宝飾品を。いや、周囲に威張り倒すことができるオモチャを。よりにもよって、身分の低い女が生んだ小娘に……」
首筋に当てられた刃は、ぴくりとも動かない。
にもかかわらず、リャーナは息苦しさを感じていた。まるでゆっくりと、首を絞められているかのような、水底に沈められていくような。彼の手で浮かんだ心が、また底へ落ちていく。
頭も感情も現実に追いつかない中で、リャーナは彼の言葉を思い出す。
――欲のために数多を利用し、金で命を奪うことも厭わない者。
その中に彼が含まれていたということなのだろうか。彼は貴族ではなかったのか。だからリャーナは彼を好ましく感じてしまったのか。言葉の一つ一つ、行動も、計算されたもので。
じゃあ、この思いは。
「……わたしを、殺しにきたんですか?」
心が静かにわかりきった問いを、言葉にした。
この期に及んで『冗談でした』なんて展開など、ありえないとわかっているのに。
シオンは哀れむような笑みを浮かべ。
「えぇ、そうですよ」
それが私、いや俺の仕事ですから、と笑った。
シオンの言葉に、リャーナは何も言い返せない。いや、言い返す言葉が無い。自分が一部の貴族に疎まれているのは知っていたし、だからこそ有力な貴族との婚姻を望まれた。
それは彼女の周りを固めて、手出しできないようにするためだ。
そうしなければいけない程度には、自分という存在は重要なんだと知っていた。
だから舞踏会には厳重な警備体制が敷かれるなど、リャーナ――いや、この国の王族の血筋を守るための策が講じられた。侍女の中に武芸に秀でたものを加えるなどもされていた。
すべてはこんな事態を防ぐため。
リャーナは自ら、彼女らから離れてここまできた。
目の前の暗殺者からすると、それはさぞかしこっけいな姿だっただろう。ちょっとした甘い囁きでコロリと罠にかかる獲物なんて、この上なく楽な仕事だったに違いない。
「さて、騒ぎになる前に片付けましょうか」
静かな声でシオンがいい、ナイフを握る手に力がこもる。
リャーナは、動かなかった。
動く気もなかった。
心がきしむ。
彼を信頼していた、バカな自分に泣きたくなった。
だけど、どこか静かに現状を受け入れる自分が遠くにいる。
どうせ生きながらえたところで、リャーナとして生きることなど二度とないのなら。今後も同じようなことばかりが繰り返されて、人形のようにお飾りとしてしか存在できないのなら。
今ここで死んでしまった方が、いいのかもしれない。
好きになった相手に、殺される方が。
リャーナは静かに目を閉じる。シオンが息を呑む音が聞こえた。首筋のナイフは、いつまで経っても動かない。逃げられないようにリャーナの肩をつかむ、シオンの手が震えている。
息を吸いこみ、吐き出して。
震えがぴたりと止まって。
そして、周囲のガラスがいっせいに砕けた。
ガラスの向こうに影が見えた瞬間。
破壊の音が、からっぽの空間に響き渡った。
身を翻しながら、シオンはとっさにリャーナを腕の中に収める。頭の隅で、なぜ守るようにするという呟きが聞こえたが、砕けていくガラスの音がそれを黙らせた。
自分が殺す。
彼女を。自分がこの手で殺す。
それが仕事だ。
他の誰かに奪われるわけには行かない。
だからだと、何度も心の中で唱えた。だからこうして、守る。
すべてを終わらせるのは自分。
その役割を、他の誰かに渡してなるものか。
ぐるりと回る視界の中、複数の人影が入り込んだ。
それぞれが種類の異なる刃物、ナイフから包丁、短めの剣を手にしている。おそらくそれぞれの身近な場所から、適当に拝借してきたのだろう。連携などとるつもりもないらしい。
ガラスを叩き割って入ったのも、その音に驚いた隙をつくつもりだったのか。
それとも、何も考えずに飛び込んできたのか。
「これはこれは……ずいぶんと荒っぽい侵入者だ」
口元をゆがませ、シオンは笑う。
大勢でくれば数名の兵士など敵ではなく。そして、大勢の侵入者を見逃した責任を姫を祭り上げた者たちに押し付け失脚させ、そうでなくとも発言力を亡き者にすることができる。
おおよそ、彼らの雇い主の魂胆はそんなところだろう。
実に浅はかでわかりやすい。
自分の雇い主の方が、ずっと頭がいいとシオンは思った。
この騒ぎで失脚する人材を、補えるだけの力が己に無いことを知っているからだ。敵対関係になっているであろう、亡き王の側近だけではすまないと、あの男はちゃんとわかっている。
だからシオンだけを侵入させた。
だが連中の雇い主は、何も考えていない愚か者。彼らの思惑通りになったところで、この国はすぐにつぶれてしまうだろう。連中に王の器はひとかけらも存在していない。
確かに、彼らから見れば国民など愚かなのかもしれない。
けれど心底愚かというわけではないのだ。
少なくとも、自らを治める王候補の優劣ぐらいは、わかっている。
「できるだけ俺のそばにいるように」
先ほどと打って変わって怯えた様子のリャーナに言い、ナイフを構える。
相手は五人。格好はばらばらで手にする刃物の構え方もぬるい。
どうやら城の使用人か何かに、適当に命令し対価の金をやっただけのようだ。
言葉にできない叫びと共に切りかかってくる男を、まずは一人。リャーナを抱えて、男とすれ違うようにやり過ごす。その背中にナイフをつきたて、ひねりながら抜いた。
静かに崩れ落ちる男を横目にシオンは笑う。
やはりこれらは、素人ばかりの集団だ。作戦も何も考えずに、ただ獲物めがけて突っ込んでいくしか脳のないバカの集団。これなら仮に足を怪我していても余裕で勝てる。
あっけなく倒れた仲間を前に、残りの連中がうろたえだした。
シオンはリャーナから離れ、まず一番近い男のところに向かった。武器も構えられないそののど元を切り裂き、続いてすぐ隣のヤツの胸に、男が持っていた剣をつきたてる。
一気に二人になった相手は、すぐさま部屋の外へと走り出した。
「遅い」
シオンは男の胸から剣を引き抜き、先頭を走る男に投げつける。致命傷にはならなかったものの足に突き刺さり、痛みに身を丸くしながら転倒した男に、後続が巻き込まれた。
その隙にシオンが一気に近寄り、あっという間に二人を切り裂く。
「ひ、ど……」
か細く聞こえるのは、部屋の中央に取り残されたリャーナだ。
血溜りの中に立ち尽くし、細かく震えているのは触れずともわかる。
「ひどい? あなたを殺しにきた相手ですよ?」
「でも、だけど」
「俺は仕事の邪魔をされるのが、一番気に入らないんですよ」
それに、あなたを殺すのは自分の仕事だから。
シオンは改めてリャーナの前に立った。震えるその肩に手を置く。
華奢で、力を入れると折れてしまいそうなほど細い。首も、力を込めて切りつければ、たやすく両断できるほどに。シオンの手にはナイフがまだ握られている。
彼女は――また、静かに目を閉じている。
さっきも、同じように目を閉じていた。
それが諦めなのか覚悟なのか、シオンにはわからない。問う意味もない。
ナイフを握ったままリャーナの頬に触れてみた。
じわりと伝わる温もりに、胸が締め付けられるような痛みが生まれた。彼女を殺さなければならないと言い聞かせるたびに生まれていた、あの痛みよりもずっと強い、引き裂くような。
あぁ――だめだ。
そう思った瞬間に、シオンは彼女を抱きしめていた。
強く、きつく。
けれどそれは一瞬のことで、何事も無かったように二人の距離は離れる。
見開かれたリャーナの瞳の中に、苦笑する己の姿が見えた。
「麗しきわが姫。今宵はこれにてお別れを。……えぇ、永遠にこれでお別れです」
まるで御伽噺の騎士か王子のように跪いて、その手をとった。美しく磨かれた爪、王家の紋章が刻まれた金色の指輪。それらで彩られた彼女の、やわらかい手の甲にそっと口付ける。
仕事はしくじった。
今のシオンにはもう、彼女をどうこうすることはできない。
だから離れる。
もうじき騒ぎを聞きつけた兵士が駆けつけるだろう。破片は下にも落ちただろうし、あれだけの音はそう隠しきれるものではない。そう経たないうちに、城の中は大騒ぎになるはずだ。
その前に、この城を出なければ。
彼女の前から消えなければ。
名残惜しむ心をねじ伏せ、手をとり走りたい衝動を殺し、シオンは立った。リャーナは唖然としたまま、視線で彼を追いかける。その唇が、何かを言いたそうに震えている。
そんな彼女を、目を通じて心に刻み込んでから。
「さよなら」
シオンは走り、そして夜の闇へ溶けていく。
最後に彼が見たリャーナは。
――泣いていたような、気がした。




