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今宵も宴は開かれている。
最近、舞踏会に喜んで参加する王女に、侍女のアリスはほっと一安心していた。
今はまだよいのだが、いずれは否応なしに出席せざるをえないし、他国の逸れに招かれる事だってある。できるだけ慣れてもらわないと、後々面倒なことになってしまう。
確かに……彼女にとってここは異世界だ。いきなり住んでいた場所と真逆の場所に永住しろといわれ、元気をなくさない方がおかしいのはわかっている。
けれどもアリスは、ただ彼女に笑ってほしかった。
周囲がそうあるように求めるそのままの姿――まさしくただ綺麗に着飾っただけの人形のような彼女を、アリスはあまり見たいとは思わない。うつろな目でいてほしくない。
しかし最近の彼女は、いくつかあるドレスのどれを着ようか迷ったり、自分から鏡を見て髪をいじったりするなどの姿を見せるようになった。そのときに浮かんでいるのは笑みだ。
もしかすると、恋をしたのだろうか……なんてことも考える。身分が身分ゆえ、相手によっては悲恋で終わるかもしれないが、そうなったとしてもどうか以前に戻らないでほしい。
……まぁ、何があったのかはさておき。
城での生活に慣れてくれるなら、それに越したことは無い。
「すぐに外に出てしまうのは困りもの、ですけどね」
今日も王女リャーナは、供もつけずにベランダにいる。以前のようにまるで人形のようにぼんやり椅子に座られるよりは、マシといえばマシなのかもしれないが……。
「姫さまは……あら、あんなところに」
アリスがふとリャーナの方に視線を向けると、誰かが隣にいるのが見えた。背格好からして自分よりも年上の青年だ。二人はずいぶんと親しげで、談笑に花を咲かしているらしい。
最近、リャーナはよく彼と一緒にいる。アリスが確認している限り二日目か三日目の頃に出会ったようで、それからはああしてベランダ辺りで二人でいた。
遠目でもはっきりわかるその喜びの笑みに、アリスもふっと笑みを零す。
もしかして彼なのだろうか。
あの幼くて、けれどもひたむきで純粋な王女の心をつかんだのは。
もしもリャーナを泣かせたりしたら絶対に許しません、とアリスは心の中で呟く。しかしあの様子では問題ないだろう。リャーナも嬉しそうだが、青年もまた嬉しそうに微笑んでいる。
あれでもしもリャーナをだましているのなら、この世に善人などいない。
あぁ、仕事があるのが恨めしい。もし昨日だったら、根掘り葉掘りしたものを。まぁ、いずれ出会うこともあるかもしれないから、その時を期待して待つことにしよう。
「とりあえず、年齢について徹底的につっこみますかね……ふふ」
アリスは笑って、仕事に戻っていった。
リャーナは遠くに聞こえる音を聞きながら、ぼんやりと空を見上げていた。本当は華やかな広間の中心で、知らない誰かと代わる代わる踊るべきなのだろうが、その気になれない。
慣れない靴で足を痛めた――という、わかりきった嘘で、今日もごまかした。
これくらいは許されてもいいとリャーナは思う。
本当は、部屋でひっそりとしていたいぐらいなのだから。
汚れないよう少しドレスをつまみ上げて、かつん、かつん、と階段をおりていく。すでにいつもの場所には彼がいる。こちらを見て微笑んでいるのが、遠くからでもはっきり見えた。
リャーナは少し早足に階段を駆け下り、シオンの元へ向かう。
中庭は一面に芝が植えられていて、はだしで歩きたいくらいにふかふかだ。
ここまで降りると音はさらに遠ざかる。
目を閉じると、城にいることを忘れてしまいそうだ。
今夜も月は空に浮かび、静かに、そして冷たくリャーナを照らした。その光には清めの力があるという話を聞いたことがあるが、ならばリャーナの中にある悪い部分も清めてほしい。
お飾りとはいえこの国を背負って立つ立場なのに、自分しかいないのに。それを煩わしいと思ってしまう、女王なんて面倒くさいし、正直どうでもいい。
そう思ってしまう、自分の嫌な心の中身を全部。
「それは、当然だと思いますけどね」
誰もが怒るだろう心の内に、しかしシオンだけは同意を示してくれた。
「あなたのような立場なら、きっと誰もがそう思いますよ。舞い上がるのは最初だけで、後から何もかもわずらわしいと思うでしょう。……悩むのは、それだけ真剣ということです」
「そ、そんな、こと……」
醜いと思っていた部分を褒められるのは、何ともいえない心地になる。
――どちらかというと、叱咤してほしかったのにな。
そんなことでは王族としてダメだと。もう誰も叱ってくれないから。そんな身分のヒトは一人としていなくなってしまったから。シオンならもしかしたら、と思って。
でもまさか、こんなふうに肯定されるとは思わなかった。
「他の貴族連中も、あなたを見習えばいいのに」
「シオンさん?」
「あなたがもし醜いのなら、連中は汚物にも劣るでしょう。あなたをこうして祭り上げたのがわかりやすい一例だ。己の欲のためなら、連中は王族さえも利用し、時に捨てる」
「そんな……今は協力しなきゃ、いけないはずです」
「連中には関係ないんですよ。そうやってはびこってきた病巣だ」
自分たちを、そして家名のためにありとあらゆるものを利用する。そこには他の貴族だけでなく王族さえ含まれ、少しでも前に進むためなら命を狩ることさえ躊躇わず。
貴族の中には何百年も前から非常に仲が悪く、未だに何かにつけ争っているところも珍しくはないらしい。今では利害関係が一致する家同士で派閥も組まれている、という話もある。
「貴族の世界なんて、不協和音ばかりですよ。あんな美しい音色は聞こえない」
シオンは大広間の方を見上げる。
かすかに聞こえる音色を、聞き取ろうとするように。
「自分の邪魔をするなら容赦なく叩き潰し、味方さえ時に裏切る。それが自分の実子であっても使えないならゴミのように捨てる。すべては自らの権力、そして家の支配力のために」
愚かしいことですよ、とシオンは呟く。
「あなたも、どうか気をつけてくださいね。あなたの周りはそういう輩しかいない。そして彼らにとっての『邪魔』の中には、あなたが含まれることだって……きっと、ありえますから」
「それは、どういう……意味、ですか」
「彼らは有り余る財産を有することが多い。そして……残念なことですが、世の中には金が貰えるなら何だってする、という人間が少なからずいるのですよ。殺人さえいとわない連中が」
シオンはそっとリャーナの頬に触れる。
じっと見つめられ、息が止まるような感覚に襲われた。
締め付けられる。苦しい。
その暗い色の瞳に、自分の全部を奪われるような。
「……さて、そろそろ向こうに戻らないといけませんね」
すっと離れていくシオン。それに安堵しつつも、心のどこかで残念に思う。
流れ来る音楽も、いよいよ終幕の楽曲に移り変わっていた。
今夜の舞踏会も、あと少しで終わる。楽しい夢もまたこの音と共に消える。
その前に、リャーナはいつもの場所に戻らなければいけない。すなわちあの椅子に。そこに腰掛けて挨拶しつつ去っていく人々を、笑顔を浮かべたまま最後まで見送る仕事があるのだ。
けれどあまり気乗りしない。
まだ、シオンとこうして一緒にいたい。
もう少し、話をしていたい。
そんなリャーナの心境に気づいたのか、最初からお見通しだったのか、彼はくすりと、その顔に笑みを浮かべた。一歩下がった彼は大きな動作で、リャーナの前に手を伸ばした。
「この曲では少々踊りにくいですが、いかがです?」
これは、ダンスの誘いだ。
こくこくと無言でうなづいて、アリスに教わった通りにその手を取る。
ぬくもりがふわりと触れ合う箇所から伝わった。
とく、とく、とリズムを刻む胸。
アリスには踊るときは相手の顔を見るように、といわれた。
けれど無理だ。リャーナはうつむいて、さらに視線を下げてしまう。シオンを直視することがどうしてもできない。頬がかっと熱くなって、情けない変な声が出てしまいそうになる。
こんな感情は初めてだ。
ダンスだけはアリスでは教えられず、専門の先生に習った。それは若い男性で、おそらくシオンと同じくらいだと思う。だけど彼との練習では、こんな状態にはならなかったのに。
焦るほど思考が混乱していく。
もしシオンのリードがうまくなかったら、とっくの昔に転んでいた。リズムを崩し転びそうになるとすぐ、彼がそっとフォローを入れてくれる。不思議な感覚で踊っていた。
ずっとこうしていたい。
彼ともっと、もっと一緒にいたい。まるで縋りつくように、彼の手を握るリャーナの指先に力がこもってしまう。離したくないという衝動が、意思と身体を巧みに操り寸断していく。
そんな彼女の心の内を知ってか知らずか、シオンは急に足を止めた。
静かで厳かな音色はまだ流れている。
まだ、まだダンスは続けられる。
どうしたのか、と顔をあげるリャーナの視線と、シオンの視線がぶつかる。
リャーナをじっと見つめる彼の瞳は、かすかに細められていた。悲しみとも怒りとも喜びとも言いがたい、言うならばいろんな感情がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた光を宿している。
本人もそれがわかっているのか、必死に隠そうとしているような感じがあった。
だから、この表情は『苦しみ』なのだろう。
内側に吹き荒れる嵐を、必死にやり過ごそうとするゆえの苦痛。
つらそうな、表情だった。
「あの、シオンさん……どうかしましたか?」
心配になって、そして不安になって、リャーナは声をかけた。
すでにダンスは止まっている。手を繋いだまま、二人は静かに見詰め合っている。
シオンは視線をわずかに躍らせた。何を言うべきか迷うように。
「いえ……何でも、ないですよ」
すっと身体を離すシオン。
手が解けるように離れていく。
指先から消えた温もりにすがるように、リャーナは彼の外套を掴んでしまう。
そのまま離すタイミングを失ってしまい、むしろ離したくなくなって。すでに楽団が楽器を片付け始めている音が聞こえているけれども、もう少しだけ、彼と過ごす時間を望んで。
「明日が、舞踏会の最後の日ですね」
シオンは、自分の外套を掴むリャーナの手を握りながら言う。
優しい手つきで、リャーナのこわばった指を、ゆっくりと解いていく。
そして身をかがめると、リャーナの耳元にささやくいた。
「明日……東の時計塔の最上階に。そう、あのステンドグラスの広間に。どうかあなた一人できてほしいのです。私は、いや俺はあなたに伝えたいことがある」
離れていきながら頬に口付けを落とし、シオンは背を向けて去っていく。
指定された場所は、一度だけアリスに連れられて行ったことがあった。勉強に勉強を重ねる日々に疲れていたリャーナに、少しでも息抜きになればと。
そこは静かな場所だった。かすかに時計の針の音が響くだけの、静かな場所。本来はあまり立ち入ったりしない場所らしく、入り口は施錠されていないので好きなように入れる。
貴重な品など一つもなく、ステンドグラスの内側はカラッポだ。
だけど、リャーナはあの場所が好きだ。
今でも時々、あそこでぼんやりと休憩している。
自室にいてもベッドに入っても、いろいろと考えてしまうリャーナにとって、唯一何も考えずにすむ数少ない場所。そう、あそこは育った教会と同じような空気の場所だった。
そこで、彼は待っているという。
「あし、た……話したい、こと」
リャーナはぬくもりが触れた側の頬を押さえる。
結局、彼女はアリスが呼びに来るまで、その場から動けずにいた。




