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 リャーナは想像を超えた世界で一人ぼっちだった。昔、絵本で読んで憧れた『お姫様』というポジションは、手に入ってみればさほどでもないということを知った。


 豪奢な衣装。まばゆい王冠。

 さまざまな賛美の言葉。

 全部自分の中にとどまらず通り過ぎていく。


 こんな場所に、自分はたった一人なんだと思うと、ただむなしいばかりだ。

 教会で散々説明されたけれど、どうしても信じられない。

 そんな都合のいい話があるわけがない。

 確かに母は城の聖堂にいたシスターだったというし、そこの司祭に付き添って王族と言葉を交わすようなこともあったという。だけど、だからってそんな御伽噺が起こるわけがない。

 証拠だって何もない。当事者は二人ともがこの世のヒトではない。


 ――きっとみんな、わたしをだましているんだ。


 けれど城の中で国王の母――リャーナにとっての祖母の、若い日の肖像画を見て、彼女は愕然とした。美しいドレスをまとうその姿は、あまりにも自分に似ていたから。

 血のつながりを否定するのが、ばかばかしくなるほどに。




 連日連夜の舞踏会。

 国内外から招かれた客が、音楽にあわせて踊る華やかな世界。

 城の大広間の一番奥に、次代の女王はいた。

 宝石や花の飾りで栗色の髪を彩り、花のようにゆるりと広がるドレスを纏う。指先まで徹底的に磨き上げられた少女――リャーナを見て、招待客はうっとりとため息をこぼしていた。


「本当に可憐な方だわ」

「数ヶ月でアレだけ磨かれたのだから、成人なさる頃にはどうなってしまうのかしら」

「まるでサファイアのような、美しい瞳……」


 くすくす、と語られる自分に関するうわさ話。

 リャーナからすると、美しいのは当たり前だろうという気がする。

 最高級の衣服に装飾を重ね、磨き、豪奢な玉座に座る宝飾品に仕立てられたのだから。

 庶民出身の王女にして、次代の君主はお飾りのように椅子に腰掛けていた。うわさ話に花を咲かす令嬢がサファイアといった青い瞳は、どこかうつろで伏せ目がちになっている。

 両の手は大きな宝石が一つだけのシンプルだが豪華な指輪で彩られ、ひざの上で重ねられたまま微動だにしない。姫だと言われなかったら、人形と思われた可能性もあるだろう。


 実際、彼女のこれからは人形として生かざるを得ない。

 数年後の成人を迎えると同時に即位しても、実際に治世を行うのは彼女の配偶者と側近に決まっている。彼女に残された運命は、ただ子孫を増やすという役割だけだ。


 むしろ――それ以外を望まれていないのだ。


 周囲が欲するのは王族の血筋。その最後の一滴の温存、そして拡散だ。できる限り子を産んでほしいということも言われている。性別は問わず、しかしできれば男児が望ましいとも。

 所詮、自分にはその程度の価値しかない。政治の知識はなく、学校には通ったが簡単な計算と文字の読み書きがかろうじてできる程度しかない。だからかわいいお飾りであれと。

 この数ヶ月でどうにか見られる程度の立ち振る舞いは身についた。

 来た頃は荒れていた手のひらも、今では赤子の肌のように柔らかく作り変えられた。それこそ指先の爪から、髪の毛一本一本の毛先に至るまですべてを磨き上げられている。


 とても、教会にいた孤児の娘には、廃棄された王女には見えない。

 そこにいるのは、見目も麗しく作られた姫君。


 だけど――リャーナは、思わずひざの上の手を握り締める。何をしなくてもすべてを得ることができる今より、飢えてひもじい思いをしても、苦労をしても。

 昔のほうが、よかった。


「姫さま、姫さま」


 ふと、誰かに肩を軽くたたかれていることにリャーナは気づく。はっとした彼女が慌てて振り返ると、そこには真紅のドレスを纏う、黒髪の美しい女性が立っていた。

 彼女はリャーナ直属の侍女であり教育係のアリスだ。

 少し前に十八歳になったという話を、本人から聞かされている。


 王族に仕える使用人がそれなりの身分であるように、アリスも名家の令嬢だ。今日も本当は招待客としてこの場にいるのだが、いつの間にかリャーナのそばで侍女に戻っている。

 いつもは質素でシンプルな使用人の制服を着ている彼女だったが、今日は見目麗しくドレスや宝飾品で着飾っている。真紅のドレスに、彼女の白い肌や黒髪はとても映えてみえた。

 普段の格好でもそう思うが、リャーナにとってアリスはまさに憧れの存在だ。大人びた立ち振る舞いを見ていると、何度やっても失敗を欠かさない自分の有様がなさけなくなる。


 けれどアリスは根気よく、何度でも教えてくれた。だから以前よりできることが増えてきている。というよりできる範囲が自分でわかってきた感じだろうか。だから失敗も減った。

 もしアリスがいなかったら、リャーナはダメだったかもしれない。

「さすがにお疲れですね。お飲み物をお持ちしましょうか」

「いえ、大丈夫です……何だか、話に聞くよりすごい世界だなって、思って。アリスさんも踊ってきていいんですよ? 今日はお休みだったんですし、わたしは一人で大丈夫ですから」

「そういうわけにもいきません。どうせ踊る相手もいませんし」

 そんなバカな、とリャーナは思う。アリスはとても綺麗な人だ。彼女と踊りたい男性はいくらでもいると思う。実際、仕事中でもよく話しかけられている姿を見たことがあった。


 やっぱり、自分は場違いだという気がしてならない。

 目の前に広がる光景と、耳から入る音楽が、現実だという気がしないのだ。


 全部夢なんじゃないかと、朝が来るたびに考える。

 けれど目の前に広がるのは華やかな内装、そして身に纏わされる高級感漂う衣服。

 軽くつねる頬は痛くて、すべて夢ではなく現実なのだと思い知る。

 それを何度も、何度も繰り返した。

 リャーナはもう一度、きらびやかな部屋をぐるりと見回す。誰もが笑顔で踊り、実に楽しそうな雰囲気に満ち溢れている。暗い表情をしているのはたった一人……リャーナだけだ。

 それを思い知った瞬間、言いようの無い孤独が体中を縛り上げる。

 思わず立ち上がったリャーナは、窓の方へ歩き出した。


「姫さま、どちらに?」

「少し……外の空気を吸ってきます」

「お供しましょうか?」

「いえ、一人になりたいので……すぐそこですから」


 踊ってきてもいいんですよ、とアリスに告げる。アリスは心配そうな目をしたが、その時にはもう背中を向けていたリャーナは、彼女の視線には気づかなかった。

 慣れない靴で転ばないよう、ゆっくりと窓を目指す。開け放たれた窓の向こうにはベランダがあって、中庭へ続く階段もある。今夜はきっと綺麗な月が見えるだろう。

 外に一歩出ると、あれだけ騒がしかった音がわずかに消える。

 月明かりに照らされた中庭は、昼間とは違う神秘的な雰囲気があった。

 その時だ。ふいに音楽が変わった。

 弦楽器が高らかに奏でていた音色がやみ、大広間が静まり返る。

 どうしたんだろう、とリャーナが振り返ると、静かな音色が流れ始めた。踊っていた人々はその音色を眼を閉じて聞き、指を組んで祈りを捧げる姿もあった。


「この音楽は舞踏会の終わりを知らせるもの、だそうですよ」


 かつ、かつ、と響く靴音。

 振り返ると人影が一つ、リャーナに近づいてくるのが見えた。


「こんばんはお姫様」


 そういってリャーナに微笑みかけるのは、黒い衣服を纏う青年だった。少し青みを帯びる黒髪はまっすぐで少し長く、その向こう側に潜む黒い瞳は夜空のように深い色をしている。

 これまでの人とは違うと、リャーナは思った。

 何が違うのか、言葉にできない。でも違うと思った。確かに彼の格好は、どこにでもいる貴族の令息そのものだけれど、その瞳の中の何かが決定的に違っている。そんな気がして。

 彼は、広間の中を窓越しに見つめながら。

「これは神への感謝と祈りの曲。あなたも教会にいたのなら、聞いたことがあるのではないかと思いますよ。もっとも、教会では曲というより、歌というべきかもしれませんが」

 言われてみれば、このメロディには聞き覚えがある。教会のシスターが礼拝者と共によく歌っていたものと同じだ。まさか、こんなところで聞けるなんて思わなかった。

 城の中に教会もあるし、やはり神への信仰は身分を問わないということなのだろうか。


「――さて、そろそろ出なければなりませんね」


 かちり、という金属音がした。見ると青年が、懐中時計を手にしている。銀色に光るシンプルなものだ。彼はそのふたを綺麗に閉めると、そっと懐へと治めた。

「名残惜しいですが、それでは」

 静かに微笑みを浮かべたまま、青年は広間の方に向かう。

 高級そうな黒い外套が、リャーナの視線の中で踊るように翻った。

「ま……まってください!」

 去っていくその背中に、リャーナはなぜか声をかけた。

 なぜだろう。必死に自問するが、答えを返してくれる人はいない。

 青年は律儀に待っている。振り返って、ほんの少し驚いた様子を見せながら。

 こくり、とつばを飲み込んで、リャーナはゆっくり唇を開いた。

「あの……あの、その、あなたの、名前を」

 相手は自分のことを知っているようだった。

 まぁ、それは当然だ。この舞踏会はリャーナの花婿探しをかねているのだから。年がいくらか離れていようとも、息子がいるなら参加させるに違いない。おそらく彼もその一人だろう。

 どうせリャーナ自身の好みも意見も、尋ねられることもなく最初からなかったものとされてしまうのはわかっている。だから誰に話しかけられても、名前を覚えようとは思わなかった。

 その他大勢の一人としか思えず、背景のような認識さえ抱いて。


 だけど彼は、なぜか気になってしまう。

 名前を『知りたい』と、思った。


 尋ねられた青年は軽く瞳を見開いていた。わずかにさまよう視線は驚いているような、あるいは迷っているような。彼もまた、すぐに答えが出せないでいるのだろうか。

 それとも名を尋ねられるなど、少しも思わなかったのかもしれない。

 しばらくして彼はリャーナのそばに戻り、ひざをついて跪く。


「……シオン、といいます。以後お見知りおきを」


 そしてリャーナの手をそっと取り、その甲に口付けた。

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