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翌朝。
俺は区役所に向かっていた。
今日で四日連続だ。
さすがに職員の人たちにも顔を覚えられてきた気がする。
受付の女性に会釈すると、向こうも「ああ、またこの人か」というような顔で会釈を返してくれた。
気のせいだろう。
たぶん。
「田中さん、おはようございます」
生活支援課の窓口には、今日も佐々木さんがいた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「……はい。こちらへどうぞ」
笑顔。
完璧な笑顔だ。
しかし、佐々木の内心は違った。
(来た)
(また来たよ)
(四日連続だぞ。四日連続)
(俺、いつからこの人の専属担当になったんだ?)
(頼む。今日は短く済ませてくれ)
佐々木は深呼吸して、相談室の扉を開けた。
「それで、田中さん。本日は何か新しいご相談でしょうか?」
「はい。ちょっと見てもらいたいものがありまして」
「見てもらいたいもの?」
「これです」
俺はポケットに手を入れた。
そして、アイテムボックスから魔石を取り出す。
コトン。
テーブルの上に置かれた青い石を見て、佐々木さんは目を丸くした。
「……これは?」
「魔石です」
「魔石?」
「はい。昨日、テレビで見たんですけど、ダンジョンで採れるんですよね?」
「ええ、そうですね」
「これも買い取ってもらえるんでしょうか?」
佐々木さんは魔石を手に取った。
拳ほどの大きさ。
透明感のある青色で、内部には淡い光が揺れている。
普通の鉱石とは明らかに違う。
「これは……どちらで?」
「異世界で手に入れました」
「…………」
沈黙。
佐々木さんの顔から、ほんの少しだけ表情が消えた。
(また異世界かよ!)
(今度は魔石か!)
(昨日は金貨だっただろ!)
(というか、そんなものまで持ってるのかよ!)
(いや、落ち着け。落ち着け俺)
佐々木は魔石をテーブルに戻した。
「田中さん。こちらは、以前からお持ちだったものですか?」
「そうです。魔物を倒したときに手に入れたり、遺跡で見つけたりしました」
「なるほど……」
「俺のいた世界では、魔道具の燃料に使ったり、魔法の触媒にしたりしてましたね」
「魔道具……」
「ええ。照明器具とか、暖房器具とか。あとは武器に組み込んだりもします」
「…………そうですか」
佐々木はメモを取った。
(もう何を聞いても驚かないぞ)
(異世界の金貨、異世界の魔石、異世界の魔道具)
(次は何だ? ドラゴンの卵でも出すのか?)
佐々木は心の中でぼやいた。
「それで、こちらの魔石についてですが」
佐々木さんは慎重に言葉を選んだ。
「区役所では買い取りはできません」
「ああ、そうですよね」
「ただ、ダンジョン関連の資源を扱っている専門機関があります。そちらに相談することはできると思います」
「本当ですか?」
「はい。ただし、出所が分からない物品ですので、鑑定や確認には時間がかかる可能性があります」
「分かりました」
俺は頷いた。
異世界の物を日本で売る。
考えてみれば、簡単な話ではない。
盗品ではないことを証明するのも難しいし、そもそも日本の法律でどう扱われるのかも分からない。
「ちなみに、田中さん」
「はい?」
「こちらの魔石は、ほかにもお持ちですか?」
「ありますよ」
「……どのくらいでしょうか?」
「ええと」
俺は少し考えた。
小さいものなら数十個。
中くらいのものも十数個。
大きなものは数個。
さらに、品質の高い魔石も保管してある。
「それなりに」
「それなりに、ですか」
「はい」
「具体的には?」
「数十個くらいですかね」
佐々木さんのペンが止まった。
(数十個!?)
(何でそんなに持ってるんだよ!)
(この人、異世界で何をしてたんだ!?)
(いや、冒険者って言ってたな……)
(本当に冒険者だったのか?)
佐々木は目の前の魔石を見つめた。
一つだけでも、かなりの価値があるかもしれない。
それが数十個。
もし本当なら、生活保護の資産調査にも大きく関わる。
「田中さん。申し訳ありませんが、今後、ほかの魔石を出す場合は事前に相談してください」
「分かりました」
「また、鑑定が終わるまでは売却などは控えてください」
「はい」
「それと、生活保護の申請についても、資産の価値が分かるまでは判断が難しくなる可能性があります」
「なるほど……」
俺は頷いた。
少し期待していたのだが、やはり簡単にはいかないらしい。
「それから、田中さん。探索者登録の件ですが」
佐々木さんが話題を変えた。
「はい」
「昨日お渡しした資料は読まれましたか?」
「読みました。来週、初心者向けの講習があるんですよね」
「ええ。ただ、先ほども申し上げた通り、健康状態の確認が先です」
「分かってます」
「無理をしてダンジョンに入ることだけは避けてください」
「大丈夫です。俺だって死にたくありませんから」
「それならいいのですが」
佐々木さんは少し安心したようだった。
だが、俺はまだ気になっていることがあった。
「佐々木さん」
「はい」
「ダンジョンの魔物って、どんな種類がいるんですか?」
「それは……探索者管理機構の資料に詳しく載っていると思います」
「ゴブリンとかいます?」
「ゴブリンはいますね」
「やっぱり」
「ほかにもスライムやウルフ系の魔物などが確認されています」
「ウルフ系……」
俺は考え込んだ。
ゴブリンもスライムも、異世界ではよく見かけた魔物だ。
ただし、同じ名前だからといって同じ性質とは限らない。
スライム一つ取っても、酸を吐く種類や、火に弱い種類、物理攻撃が効きにくい種類などがいる。
見た目だけで判断するのは危険だ。
「魔物の種類によって、弱点も違いますからね」
「ええ。ですから、探索者には知識も必要になります」
「そうですよね」
俺は頷いた。
佐々木さんは少しだけ感心した。
(あれ?)
(この人、意外とまともなことを言うな)
(異世界の話はともかく、危険性は理解しているみたいだ)
(頼むから、無茶だけはしないでくれよ)
「では、本日はここまでにしましょう」
佐々木さんが書類をまとめた。
俺は魔石を受け取ろうと手を伸ばした。
「こちらはお預かりすることになっていますので、今は置いていってください」
「あ、そうでしたね」
「預かり証をお渡しします」
「お願いします」
書類にサインをして、俺は相談室を出る準備をした。
そして、椅子から立ち上がる。
ギシッ。
「…………」
佐々木さんの視線が椅子に向いた。
(頼む!)
(今日こそ壊れないでくれ!)
(この椅子、もう限界なんじゃないか!?)
俺はゆっくりと立ち上がった。
椅子は無事だった。
「では、また何かあれば相談してください」
「はい。ありがとうございました」
俺は頭を下げて部屋を出た。
扉が閉まる。
佐々木は椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。
「…………」
そして、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「はあああ……」
(魔石が数十個って何だよ)
(金貨だけでも大変なのに)
(鑑定先を探して、関係部署に連絡して、資産の扱いを確認して……)
(俺の仕事、こんなに増える予定じゃなかったんだけどな)
机の上には、田中健太と書かれた相談記録。
その横には、魔石の写真が添付された書類が置かれている。
佐々木はそれを見つめた。
「……胃が痛い」
一方、俺は区役所を出て、近くの公園へ向かっていた。
今日は少し歩くつもりだ。
昨日、五分歩いただけで息が切れた。
さすがにこのままではまずい。
「よし、今日は十分歩くぞ」
目標は低い。
だが、最初から無理をしても仕方がない。
俺はゆっくり歩き始めた。
十分後。
「はぁ……はぁ……」
「……まだ十分なのに」
ベンチに腰を下ろす。
ギシッ。
「お前もか」
ベンチに向かって呟いた。
俺の体重は、想像以上に深刻な問題らしい。
そのとき、近くの広場に設置された大型モニターから声が聞こえてきた。
『本日のダンジョンニュースです!』
俺は顔を上げた。
画面には、若い女性探索者が映っていた。
金髪のツインテールに、派手な装備。
カメラに向かって笑顔で手を振っている。
『今日は私、九条アリスが初心者向けダンジョン攻略のコツを教えちゃいます!』
画面の下には、登録者数八十万人の人気配信者という文字が表示されていた。
「へえ……」
俺は興味を持って画面を見つめた。
『ダンジョンでは、魔物の特徴をよく観察することが大切です! 見た目だけで判断しちゃダメですよ!』
「おっ」
なかなかいいことを言う。
俺は少しだけ感心した。
『それじゃあ、今日も楽しく攻略していきましょう!』
画面が切り替わり、ダンジョンの映像が映る。
俺はベンチに座ったまま、その映像を眺めていた。
異世界で十年以上暮らした俺にとって、ダンジョンは決して珍しい場所ではない。
ただし、ここは日本だ。
俺が知っている世界とは違う。
焦らず、少しずつ調べていこう。
そう考えながら、俺は腹をさすった。
「……腹減ったな」
結局、今日も食欲が最優先だった。




