8
俺は今日も区役所に来ていた。
もはや通い慣れた道である。
最初は緊張していた区役所も、今ではすっかり見慣れた景色になってしまった。
「田中さん、おはようございます」
窓口には、いつもの佐々木さん。
「おはようございます。今日は何か進展ありました?」
「はい。先日お預かりした魔石について、鑑定結果が届きました」
「おお!」
思わず声が大きくなった。
「本当ですか?」
「ええ。こちらをご覧ください」
佐々木さんが一枚の書類を差し出した。
俺は受け取って目を通す。
そこには魔石の成分や魔力含有量、品質評価などが記載されていた。
専門用語が多くて、正直よく分からない。
「ええと……つまり?」
「一般的なダンジョン産の魔石と比較して、少し品質が良いという評価です」
「少し?」
「はい。魔力の含有量や純度が、平均的なものよりやや高いようです。ただ、極端に珍しいものではないとのことでした」
「へえ……」
俺は少し拍子抜けした。
異世界では、そこそこ良質な魔石だったはずだ。
だが、日本のダンジョン産魔石も、それなりに品質が高いらしい。
「ちなみに、値段は?」
「現時点での参考価格ですが、一般的な同程度の大きさの魔石より、少し高く評価される可能性があるそうです」
「具体的には?」
「正式な買い取り価格ではありませんが、通常品が一万円前後だとすれば、こちらは一万二千円から一万五千円程度ではないか、とのことです」
「おお、結構いいですね」
「ただし、これはあくまで参考価格です。実際の取引価格は、買い取り先や状態によって変わります」
「分かりました」
一万二千円から一万五千円。
悪くない。
異世界では、もっと高い値段で売れた気もするが、ここは日本だ。
比較対象が違うのだろう。
「田中さん、こちらの魔石は売却を希望されますか?」
「そうですね。できれば売りたいです」
「では、買い取り可能な業者について確認してみます。ただし、出所の確認や取引手続きが必要になると思います」
「お願いします」
俺は頭を下げた。
これで少しでも生活費の足しになればいい。
佐々木は書類を整理しながら、内心で考えていた。
(思ったより普通だったな……)
(もっととんでもない値段がつくのかと思った)
(いや、普通より少し高い程度なら、話はそこまで複雑にならないか)
彼は少しだけ安心した。
田中が持ってきた魔石は、確かに一般的なものより品質が良かった。
しかし、規格外というほどではない。
希少な資源として大騒ぎになるような代物でもなかった。
(これなら専門業者に相談すれば何とかなりそうだ)
(頼むから、次は普通の相談で来てくれよ……)
佐々木は顔を上げた。
「田中さん、ほかに何か確認したいことはありますか?」
「そうですね……」
俺は少し考えた。
「異世界の魔石って、ほかにも種類があるんですけど」
佐々木の手が止まった。
(おい)
(待て)
(まだあるのか?)
「色が違うものとか、大きさが違うものとか。あと、魔力の性質が違うものもあります」
「……そうですか」
「全部鑑定してもらったほうがいいですかね?」
(全部!?)
(やめてくれ!)
(今の一個だけでも、関係部署と鑑定先に連絡して結構な手間がかかったんだぞ!)
(数十個あるって言ってたよな!?)
佐々木は心の中で叫んだ。
しかし、顔には出さない。
「まずは、今回の魔石の取引を進めてからにしましょう。ほかのものについては、必要に応じて確認していく形がよいと思います」
「分かりました」
(よし!)
(ひとまず先送りできた!)
佐々木は心の中で小さくガッツポーズをした。
「それと、田中さん」
「はい?」
「本人確認についても進展がありました」
「おお、そっちもですか」
「過去の戸籍情報については確認が進んでいます。以前の住所や家族関係についても、記録をたどることができそうです」
「そうですか……」
俺は少しだけ表情を曇らせた。
両親が亡くなっていることは、すでに聞いている。
それでも、自分が日本に存在していた証拠が見つかるというのは、複雑な気分だった。
「ただ、現在の住所や本人確認書類については、引き続き調整が必要です」
「分かりました」
「焦らず進めていきましょう」
「はい」
佐々木さんの言葉に、俺は頷いた。
この人は、心の中では俺のことを面倒くさいと思っているかもしれない。
いや、たぶん思っている。
それでも、こうして仕事をしてくれている。
ありがたいことだ。
「佐々木さん」
「はい?」
「本当にありがとうございます」
「いえ。私は担当として当然のことをしているだけです」
(頼むから、感謝の言葉を言ったあとに新しい相談を追加しないでくれ)
(今日はもう終わりにしてくれ)
佐々木は心の中で祈った。
「じゃあ、今日はこれで失礼します」
「はい。お気をつけて」
(よし! 終わった!)
佐々木は心の中で大きく息を吐いた。
ところが。
「あ、そうだ。佐々木さん」
「……はい?」
(何だよおおおお!)
「探索者登録のことなんですけど」
「……はい」
「来週、講習を受けようと思ってます」
「ああ、そうでしたね」
「その前に健康診断を受けたほうがいいんですよね?」
「そうですね。ぜひ受けてください」
「分かりました。じゃあ、また明日」
「…………」
佐々木は笑顔を保った。
「お待ちしています」
(また明日かよおおおお!)
その日の午後。
俺は宿泊施設に戻る途中、コンビニの前で立ち止まった。
店内には弁当が並んでいる。
今日は少しだけ気持ちに余裕があった。
魔石が売れれば、いくらかお金になるかもしれない。
そう思うと、久しぶりに日本での生活が現実味を帯びてきた。
「一万二千円か……」
小さく呟く。
一個で一万二千円。
数十個ある魔石を全部売れれば、かなりの金額になるかもしれない。
ただし、全部が同じ価値とは限らない。
それに、出所の問題もある。
「まあ、焦るな。焦るな」
俺は自分に言い聞かせた。
まずは一個を売ってみる。
それから考えればいい。
そのとき、店内のテレビから聞き覚えのある名前が流れた。
『人気探索者兼ダンジョン配信者、九条アリスさんが本日、新たな攻略動画を公開しました』
画面には、金髪ツインテールの少女が映っていた。
『今日は中層の魔物を攻略していきます! みんな、ちゃんと見ててね!』
俺は少しだけ足を止めた。
「この子、こないだの……」
大型モニターで見た配信者だ。
画面の中の彼女は、華麗な動きで魔物を攻撃している。
しかし、俺はその魔物の姿を見て、少し首を傾げた。
「……あれ?」
魔物の鼻先が、妙に大きい。
体表には硬い毛が生えている。
見た目は狼に似ているが、鼻の周辺が発達している。
「嗅覚が強いタイプか?」
俺は思わず呟いた。
異世界にも似た魔物がいた。
視界が悪い場所では、匂いを頼りに獲物を探す厄介な相手だった。
ただ、弱点もある。
「確か、あいつは……」
そこまで考えて、俺は首を振った。
ここは日本だ。
同じ魔物とは限らない。
知識をそのまま当てはめるのは危険だ。
「まあ、今の俺には関係ないか」
俺はコンビニを後にした。
まずは健康診断。
それから探索者登録。
そして、生活を立て直す。
順番にやっていけばいい。




